07 師弟?
朝、眠っていたシノンはドアノブが回され、扉の開く微かな物音で意識を浮上させる。
侵入者は薄暗い部屋の床に転がる物に進路を邪魔され、上手く進めないような気配だった。部屋に入るノックの音といい、モニカではないことを察する。
そしてその人物は、振り上げた何かを眠るシノン目掛けて振り下ろした。
「……あれ? なんでここに?」
布団に入ったまま左腕を上げて防げば、パコンという可愛らしい音が響く。眠気眼なシノンの先にいるのは、今日から同じ家に住むことになった序列見習いのミゥ。
木刀や真剣などではなく長めの紙を巻いた物というところが、彼女なりに本気ではないという意思表示なのだろう……顔面を狙ってはいたが。
「ふんっ、お姉ちゃんに言われたから起こしに来てあげたわよ。さっさと起きなさい」
「……あー、おはよ~さん」
シノンがのそのそと上半身を起こして、漸く今日から一緒に住むことを思い出しミゥに挨拶をしたのだが、既に彼女の姿はこの部屋になかった。目を覚ましたのを確認すると、さっさと出て行ってしまったのである。
眠い目を擦り顔を洗ったシノンがダイニングに来ると、いつもよりも一人分多い食事が用意されていた。既にモニカとミゥは席に座り、二人とも食事には手をつけず話しをしている。
「おはよー」
「おはようございます」
「……はよ」
モニカに窘められ、ミゥは外方を向いたまま渋々と挨拶を交わす。そして、三人で向かえる始めての朝食、食卓に並ぶのはいつもと同じくパンと魚に少しばかりの野菜。
「ミゥ、今日はシノン様の邪魔にならないようにね」
「分かってるけど、まさか二人っきりだからって変な場所に連れて行かないでしょうね」
「……へ?」
白い目を向けられての問いに否定しなかった事で、余計に寒々とした空気が流れてしまう。そこでシノンは変な考えなどないと否定しつつ、何か予定があったかどうかを思い返していく。
「いや違う違う……ん~、あっ」
「忘れてたでしょっ、今朝も思ったけど私関連のこと忘れてるわよねぇ。その小さい脳みそに刻み込んであげましょうかっ」
「ね、寝ぼけてただけだし」
握り締めた拳をフルフルと震わせるミゥに対し、言い訳をしつつシノンは今日の予定を思い出していた。家の中のことは昨日モニカが教えていたので、今日は外での役目などをシノンが教える手筈だったのだ。
そして、朝食を食べ終え準備を整える。とは言っても、午前中に行く場所は特に荷物を持つ必要がないので、水筒だけで十分である。
「いってきまーす」
「い、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
まだこの家で出発の挨拶に慣れていないミゥは、少しばかり照れくさそうに頬を赤く染めてシノンの後を追う。
そんな二人を微笑ましく笑って見送ったモニカは、気合を入れるように強く息を吐き出して家へと戻っていく。これから一日掛けての掃除を行うつもりなのだった。
◇◇◇
モニカがいつもより気合を入れて掃除を始めた頃、シノンとミゥは森の中を歩いていた。今向かっているのは街でも釣りをした港でもなく、ミゥがほぼ毎日通うことになる場所だという。
「よーし、ここがお前の修行場だっ」
そして、家から十分ほど歩いてやって来たのは、周囲の木々が切り倒され開けた場所。
シノンを追い越して周囲を軽く見回したミゥだったが、彼女の期待に沿えない場所だったらしく、これ見よがしに深いため息を吐き出した。
「これって……ただの畑じゃない」
彼女の言うとおり、木々の開けた一面は土が耕され、野菜が生えている何の変哲もない畑だったのだ。そこを「修行場だ」と強く言われても、ため息しか出ないのは当然と言えるだろう。
「そう、ここで土を耕したり雑草毟ったり、とにかく野菜を育てるのだっ」
畑を指差しポーズを決めるシノンにミゥの冷めた視線が突き刺さる。
その冷たい空気を流そうと、シノンはゴホンと小さく咳払いをするが当然流れるはずもない。ただ、それを気にするような男ではないらしく、何事も無かったかのように話を続けるのだった。
「ほら、この国って野菜高いからさ」
「知ってるわよ。ウチも国から畑借りてるし」
「それに農作業は……え~、身体を鍛えられるらしいから、ほら鍬を振り下ろす動作? が剣とかと似てて――」
思い出し思い出しで言葉に詰るしゃべり方に、ミゥは思わず声を張り上げてしまう。
「受け売りでしょ、受け売りよね。しかも、そのへったくそな説明は自分でもよく理解してないでしょっ」
せっかく師匠役として言うことを聞かせようとしたシノンだったが、容易に看破されてしまい再び咳をして場の空気を濁す。ただ、彼もそこまで威厳や格好をつけるつもりはないので、言い訳などすることなく彼女をここに連れて来た本当の理由を話し始めた。
「冗談はともかく、まぁ我が家の食卓を彩るためにも、畑の世話はミゥもやること。これはモニカもやってくれてるんだからな」
「うっ、仕方ないわね」
モニカの名前を出されると弱いのだろう。ミゥは渋々と言った感じで深く息を吐き出しながら袖をまくり上げる。
先ほど彼女が言った通り、国から畑を借りて野菜を育てるというのは、この国でなら当たり前のことなので、彼女もこの手の作業には当然なれているのだ。シノンよりも率先して雑草を抜いていく。
「でも小さい畑ね。お姉ちゃんと二人分だったって考えれば十分なのかもだけど」
「まあ、足りてたと言えば足りてたけど……他の種類が育てられないし、やっぱ小さいよな。実は俺も拡張しようかなとか考えてたけど、面倒でこのままだったから丁度良かったんだよね」
ニコニコと笑いながら、整地されていない場所を指差す。石や草が生えた手付かずの自然、そこを整地するようにとの意図なのだ。これからは修行という名目で、ミゥを手足として扱き使うつもりなのかもしれない。
しかし、そう言われて「はい、分かりました」と素直に行動するほど、ミゥはバカじゃなければシノンを尊敬もしていなかった。
「……はぁ、私も食べるんだからいいけど。アンタは家主なんだから率先して働きなさいよね」
「えっ、家主だからこそサボっても良いんじゃ――」
「何言ってるの、私はお姉ちゃんみたいに優しくないわよっ」
シノンの言葉を遮りミゥはニヤリと笑う。そして、サボらせまいとテキパキ指示を出しながら彼女自身も率先して動くので、シノンはそれに従うしかなかった。
こうしてシノンの午前中は十二歳の少女にこき使われて終わったのである。
◇
農作業の後は一度家に帰って三人で昼食を取り、午後からは再び二人で山を降りて街まで出かける。ミゥにとっては、この間別れの挨拶をしたばかりの街に帰ってきて、少々拍子抜けといったところもあるだろう。
しかし、今回のは序列という仕事の為の一環。二人は店を見て回ることなく街の入り口へと向かい、そこで落ち合うのは城から派遣された兵士六名。この国では国民持ち回りの常駐兵である。
「それで今度は何よ? 街のごみ拾いでもするの?」
「まぁ似たようなものだな」
「全然違いますよ」
兵士に突っ込みを受けつつ一行は街を抜け出し、暫く道沿いに進んでから普段は立ち入り禁止となっている森の中へと足を踏み入れる。
この森は多くの魔物や獣人などが住み、人間の世界でメイミレア王国に組み込まれてる土地ではあっても、その全てを把握している訳ではない危険な土地なのだ。
それは他国と繋がる唯一の道を歩いていても安心出来ず、ましてそこから逸れて森の中に入るとなると尚更である。一行は周囲を警戒しながら森の中を進み、その道中でミゥに今回の仕事の内容を伝えていた。
「ほら、街には魔物が入らないよう石の防壁があるじゃん」
「結構高くて丈夫な造りの奴でしょ。子供の頃から見てるし大事なものだって聞いて育ってるんだから、知らない方が可笑しいわよ」
魔物が多く生息している森側には、襲撃された場合に備えて防壁がある。実際過去にも役立っているので、その重要度はミゥも当然分かっていることだ。
「まあ、あそこまでのは作れないけど、森の中にも木造の柵があって、これからするのはその点検と補修作業ってわけ」
確かに彼らの歩く直ぐ脇には、胸辺りまである木製の柵が続いている。これは魔物の進行を防ぐ目的だけではなく、街の人間にここから先が危険地帯だと知らせる意味もあるのだ。
ミゥも柵があるとは知っていたが、実際に目にするのは初めてである。その第一印象はというと「街の防壁と比べて頼りない」というもので、まあ命がけで作業をしてくれてる人には悪いが、石と木とではそう思うのは致し方ないのだろう。
「点検と補修やってるの俺らじゃないっすか。シノンさんは俺らの護衛だけでしょ。自分でやってる風に自慢気に言わないで下さいよ」
前回の時に見つけていた修理箇所まで来ると、兵士が背負っていた腕ほどの太さの、特に加工されていない枝を杭や紐で固定していく。見えている範囲には別の日に修理された個所があり、高さなどバラバラに継ぎ接ぎされていて、雑な仕事をしているように見えるだろう。
もっとしっかり直さないのか、そう疑問に思ったミゥがその事を尋ねる。
「ある程度酷くなってたら街で柵を作って取り替えるけど、それまでは早さ重視だね」
ずれない様に丸太を支えている兵士が答える通り、慣れた手付きで素早く補修作業は進んでいる。その間、シノンは周囲を警戒しているようでいなさそうな、ぼーーっと森の中へ視線を送っていた。
「ミゥも序列に名を連ねたら、この仕事をやるんだからな」
「ふ~ん、退屈っていうか地味な仕事ね……まぁ重要なのは分かるけど」
街の住人であれば、森の魔物が如何に危険であるかということは理解している。もちろんミゥも口調とは裏腹に柵を見詰める視線は真剣だ。
何度か頷く彼女を視界の隅で捕らえながら、何かを思い出したシノンはポツリと呟く。
「あー、ミゥをアイツらにも紹介しといた方がいいか」
「アイツらって誰よ?」
「ん、あぁ、この森に住む獣人『カシレイ』だよ」
シノンの独り言が聞こえたミゥは訝しそうに見上げるが、彼女を見返して答えるシノンの口調はそれまでと変わりない。ただ、その顔には彼らとの親しさを表すような微笑みが浮かんでいるのだった。