05 もう1人の……
この日コルフォトは国からの伝令役ではなく、シノンの友人として彼の家に遊びに来ていた。彼らは無駄で取り留めのない会話を続け、気だるい午後を静かに過ごしていたのである。
そんな時なにかを思い出したのか、コルフォトは一つ手を叩いて新たな話題を切り出す。
「あっ、そうそう。もしかしたら二人目が認定されるかもですよ」
楽しそうにニコニコと笑っているが、突然そう切り出されてもシノンには何ら思い当たることはない。何のことかと頭を傾げて考えてみるが、そんな彼の反応は想定内だったのだろう。コルフォトは椅子の背凭れに背中を預け、大きく背伸びをしながら天井を見詰める。
「シノンさん以来の序列認定ですよ。いやー、もし決定すれば他国に勝負を挑めるようになりますね。まぁ、僕たちの国じゃ競うような案件何てほとんど無いですけど」
「ほー、俺以来ってなると八年振りくらいか」
メイミレア王国では先代が現役だった時など、同じ時期に序列は最大二人しかいなかった。ただこれは人口が一万人程度と他国と比べて少なく、他から流れてくる人も少ないので仕方ないところはあるだろう。
だからこそ表情や口調にあまり出ていないが、新しい序列の誕生にはシノンも結構驚いているのだ。
「今、俺がやってる仕事も任せられるのかね」
「まだ未定なんで、過度な期待はしないでおいて下さいよー」
今から仕事を押し付けることを考えて、一人嬉しそうにほくそ笑むシノンだったが、決まってもいないことを話し合っても意味がない。そうコルフォトに突っ込まれるも、今まで話していたものも意味や内容などなく、結局二人はぐだぐだと中身のない会話を続けるのだった。
◇◇◇
その日は普段通りぐうたらとした日々で、昼食の後片付けも終わったモニカもシノンと一緒にお茶を飲み、リラックスしている午後だった。
そんな空間に来客を知らせるノックが響く。普段は突然の来客が少ないシノン宅だが、何か困った街人が訪ねてくることもあるので、モニカは疑問に思う事無く対応に向かう。
「はい、どちら様ですか?」
リビングから直ぐ近くにある玄関でモニカがドアを開けると、そこに居たのはまだ幼さの残る少女。年の頃は十一、二だろう。肩に掛かる長さの金髪は両サイドで結ばれ、緑色の瞳はモニカを見た後でリビングに座るシノンを強く睨みつけた。
しかし、そこまで強い感情をぶつけられても、シノンには少女に全く見覚えは無い。ただ、どうやらモニカには見覚えがあるらしく、少女の来訪に軽く驚いて目を見開く。
「ミゥ? どうしたの?」
「お姉ちゃん、私やったよ」
少女がシノンからモニカへと視線を移せば、その眼差しは歳相応のものに戻る。
二人の言葉遣いや態度に姉妹かと思ったシノンだが、妹がいるとは聞いておらず、それ程似ていない二人に小首を傾けた。そんな家の主を無視して、ミゥと呼ばれた少女は弾むような歓喜の声を発する。
「正式にはなれなかったけど、序列見習いとして認められたのっ」
「えっ、それじゃあコルフォト様が仰られていたのってもしかして」
モニカはその報告に頬を緩めて喜びを示し、そんな姉の反応が嬉しいのだろう。ミゥもニコニコと満面の笑みを浮かべながら、どこか誇らしげに胸を張っている。
そんな微笑ましい空間から置き去りにされているシノンだが、このまま玄関先で話しているのもどうかと思い、二人に言葉を掛けることにした。
「モニカの知り合い?」
「あっ、はい。近所に住んでいた子で、小さい頃は一緒に遊んでいたんです。ほら自己紹介して」
「……ミゥ・エンディーよ」
モニカの言う通り名乗りはしたが、シノンを見詰める瞳は最初と変わらず鋭いものだった。当然心当たりの無いシノンは困惑しているが、そんな少女の様子に一番戸惑っているのはモニカだろう。
「どうしたのミゥ、シノン様に失礼でしょ」
「……だってお姉ちゃん。せっかくお城で働けるって喜んでたのに、こいつの性でこんな人気も何も無い山奥に住み込みで働かなきゃならないなんて……。そんな事させるなんて変態に決まってるじゃないっ」
少女らしく高い声が家中に響くき、シノンは言葉を発することが出来ず三人の間に無音の時間が流れる。
彼もモニカに悪いなぁと考えていた事を、年下の少女から変態疑惑まで加えて突きつけられたのだ。変態という部分は全力で否定するが、そう思ってしまった少女の考えを否定しきることは出来なかったのである。
しかし、これには普段温厚なモニカが珍しく怒気を表した。
「ミゥ、シノン様に謝りなさい」
「でもっ」
「いつ私がシノン様に仕えるのが嫌だって言ったの?」
モニカが本気で怒っていると感じたのか、ミゥは身体をビクつかせて押し黙る。しかし、チラチラとシノンを覗き見る視線から、不服そうなのはありありと伝わっていた。
「申し訳ありません、この子の非礼は私の責任でもあります」
モニカはミゥを背後に庇い、シノンに向き直り頭を下げた。
そして、それに追随するようにミゥも「ごめんなさい」と小さく呟き頭を下げるが、それは渋々嫌々という感情が手に取るように分かった。ただ、そんな彼女の態度にシノンの機嫌が損ねた様子は見られない。
「いや、俺がよそ者だったから心配なのも分かるし、そこまで気にしてないよ」
姉貴分を横取りされた少女の気持ちを酌んで、大人として流すことにしたのである。ただ、これが大人同士ならまだしも、今回の相手は子供だった。
「はんっ、アンタが良くても私は気に入らないのっ」
「ミゥっ」
「今のは私の個人的な感想だも~ん」
直ぐに下げた頭を上げると、悪態をついて素知らぬ顔で外方を向く。ミゥが先ほど謝ったのはシノンにというよりも、モニカの感情まで憶測に込めてしまった事に対してで、シノンに対しては一向に悪いと思っていなかったのだ。
妹分の失礼な態度に悲しみや怒りなど様々な感情が渦巻いているモニカだが、それを主人の前で爆発させる事も出来ず、一先ずため息をこぼしてここに来た理由を尋ねた。
「それでミゥが来たのは見習いに認められたっていう報告かな?」
「うん、それもあるけど、何かこの時間に来るようにって言われたから」
「わざわざ俺の家に? もしかしてそう言ったのは――」
この家を指定する人物など一人しか思い浮かばない二人だが、その答えはミゥからではなく、玄関とは別の閉じられたドアの向こう側から返ってきた。
「もちろん僕ですよー」
そう言いながら入ってきたのは、予想通りの人物コルフォト。事前連絡もない突然の来訪だが、モニカは挨拶を交わしてお茶を入れる為に席を外す。
彼がこの国の王子であることはミゥも知っているが、特に畏まるようなことはしない。前の兵士もそうだったが、これがここのお国柄なのだろう。
「それでこの子を――」
「ミゥよ」
「ミゥをここに呼んだ理由は何なんだ? 序列候補としての顔見せか?」
序列なら仕事の引継ぎなどがあるだろうが、候補生ともなればそれもないだろう。だから単なる顔見せかと考えたシノンだったが、わざわざそんな事をする必要も思いつかない。
するとコルフォトは「ふふふっ」と軽く笑って、まるで劇か何かを演じるように両手を開く。
「それもありますけど……。はーい、ここがミゥさんの新しいお家ですよー、お帰りなさーい」
「……は?」
どちらからとも無く発せられた気の抜けた声。そんな二人の間の抜けた顔を期待していたのか、コルフォトは満足気に頷く。
「きちんとご家族には話を付けてるから大丈夫です。まあ、家にも直ぐじゃないけど帰れる距離だし――」
「ちょ、ちょっと待ってよっ。お姉ちゃんと一緒なのは嬉しいけど、どうしてこんな男とまで住まなきゃならないのよっ」
「うん、まーそう思うのが普通だろうなぁ。俺としても勝手に決められちゃ困るんだけど」
ミゥはシノンを指差して強い声で否定し、シノンも年頃の子の感情に納得して見せつつ、家に面倒ごとを持ち込むなと内心では不満を垂れている。
二人が拒否するであろうことは想定済みなのだろう、コルフォトは驚くこと無く腕組みしながら何度も頷いた。
「お二人の言葉はご尤も。ただ、ミゥさんを序列に認めることは出来ませんでしたけど、はっきり言って僕らよりもずっと強いんですよ。なので、これ以上僕らで鍛えることとか難しいですし、全部シノンさんに任せちゃえーってのが国の意向らしいです」
「何を勝手に決めてるのよっ」
「思った以上に丸投げじゃねーか」
二人を説得してくるのかと思いきや、その内情の暴露はむしろ反感を買いそうな代物。案の定ミゥもシノンも即座に突っ込むが、コルフォトが動じる様子はない。
「それにこんな子供を親元から離すとかどうよ」
「いやー、何か『良い経験になるかも』って、乗り気だったっぽいですよ」
「……うん、ママならそう言うでしょうね」
母親の言動がありありと思い浮かぶのか、ミゥは疲れたようにため息を吐き出した。彼女も家を出ることにはそれほど抵抗がなさそうである。まぁ、今はシノンという別の問題に意識がとられてるのかもしれないが。
ミゥの母親の件で静かな空気が流れるも、それは一瞬のこと。直ぐに二人はコルフォトに文句を言い始める。
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて……あっ、そうだミゥさん、モニカさんにお茶は温めでって伝えて来てくれます?」
「何で私がっ」
当然文句を言うミゥだったが、この場に居たくないと考えを改め、木製の頑丈な机を強く叩いて台所へと向かうのだった。そして彼女が抜けたことで、ピリピリとした空気からいつもの緩く怠い空気へと変わる。
「それで?」
わざわざ追い払ったのは、彼女に聞かせたくない話があるからだろうと考えたシノンだったが、コルフォトの浮かべる表情はそこまで深刻そうではない。それよりもミゥが抜けたことで、より脱力して机に身体を投げ出している。
「んー、そんな深い話じゃないんですけど、あの子の実力なら序列認定してもいいレベルだったらしいんですよね」
ウチは人材すかすかですから、と自虐を入れつつも、序列に認められるというのは人という種族の壁を越えた証でもある。あの年齢でありながら、その域にまで達していることにシノンは素直に感心する。
「ほぉー、そりゃ凄い。ダメだったってのは精神的なものとか?」
「いやいや、単に年齢的にどうかなーって奴ですよ。ほら、序列って他国の人間と戦うこともあるじゃないですか」
コルフォトは選定に加わってないので想像でしかないが、ミゥはまだ十代前半。国としては少女が人間相手に戦うことよりも、経験の差で出し抜かれて負けてしまうことの方が心配なのだろう。
もぞもぞと身体を起こしたコルフォトは清々しい笑顔をシノンに向ける。
「それにほら、彼女シノンさんのこと嫌ってるみたいだから、一緒に生活させることで反面教師にして真面目に育ってくれれば、国として万々歳ってところじゃないんですか?」
「おいおい……ま、不真面目なのは否定できないけどさ」
「そう不貞腐れないで下さいよー、僕はそんけーしてますってー」
「お前にされてもなー」
国からの依頼があった以上、これはもう決定事項なのだ。序列のシノンも候補生になる事を許諾したミゥも、文句は言えても拒否は出来ない。
その後、戻ってきたミゥが文句を言い続けていたが、モニカを守るというコルフォトの口車に乗せられ一緒に住むことが決定したのだった。こうしてシノン、モニカの新たな同居人が増えたのである。