25 彼らの日常
モニカが序列試験のためサリアザと共に山を下りて一ヶ月余り。シノンとミゥ二人だけとなった生活は、これといった事件もなく過ぎていった。
「アンタって何だかんだで、そこそこ家事が出来るのよね」
シノンの用意した朝食を食べながらミゥが呟く。
彼の料理や掃除などの腕は、モニカは当然としてミゥにも及ばず上手いとは言えないが、下手でもなければ壊滅的なモノを作ることもなく、彼女の言う通りそこそこ出来るといったところだ。
「まぁ、普通に食べる分にはね。モニカが来るまで自炊してたし」
「ふーん、意外ね。ぐーたらなアンタが」
「基本焼くか炒めるだけで、それも食材を切って混ぜて味付けてって感じだけどね」
朝食は大体パンと目玉焼きとサラダ、夜食はステーキか鍋か焼肉といったところからも、彼のレパートリーの少なさが分かるだろう。
二人はそんなどうでもいい会話をしながら、久し振りに一緒の朝食を取るのだった。
先ほど『これといった事件もなく』と言ったが、実はモニカが山を降りてから程なくして、ミゥは実家に帰っているのだ。
これは彼女の栄養などを考えたシノンからの提案で、当初は自分を追い出し何をするのかと白い目で見ていたミゥも、本当に心配していることや変なことをしそうにないと分かり、それを受け入れたのである。
そして、街で買い物をして週末にだけシノンの様子を見に来て、二、三日ほど泊まってから帰るのだった。
「ねぇ、お姉ちゃんがいつ頃帰ってくるか知ってる?」
「それ先週も聞いたな……まぁ、そろそろなんじゃないの?」
「その答え、先週も聞いた」
普段通り取り止めのない話しをしていて、今日も毎度上がるモニカの話題。
シノンもいつもと変わらない答えなのだが、今日はミゥの様子が違った。隠し切れない笑みが零れ、自慢気な眼差しが雄弁に物語っている。
「ふふん、私は知ってるもんね。……まぁ、街に住んでれば帰ってきた時に直ぐ分かるからなんだけど」
そう言って今度は包み隠さず、したり顔で笑ってみせた。
「それで、いつ頃帰ってくるって?」
「五日か……まぁ一週間は掛からないみたい。よっぽど議論が白熱しなきゃ、合否の結果もそれぐらいで出るらしいし」
その間モニカは実家ではなく、サリアザの家でお世話になっているとのこと。
ミゥは敢えて口にしなかったが、ずっと森の中で生活していたので、それなりに身嗜みを整える時間も必要なのだ。
「だから私も今日から戻ってくることにしたから」
「あらら、二回目の感動見送りシーンを見逃したのか」
「そんなのないわよっ」
照れか怒りか、少しばかり赤らめた頬で語気を荒らげる。
家族との別れが今回で二度目ということもあるが、それ以上に何度も街に下りたり家に戻ったりと、強がりでもなく本当にさばさばとした別れだった。
「だからあんなに買い込んでたのか」
食材やら何やらはシノンも買っているので、週末に買ってくるものはミゥが食べたいものである。その荷物が今日はいつもより多く、シノンは疑問に思っていたのだ。
「そう、それにパーティーを開こうかと思って」
「いいんじゃないか。お疲れ様会」
こうしてモニカの労を労うためのパーティーが開かれることに決まった。
しかし、ずっと煮込み続けるなど大層な料理でない限り、今から作り始めても悪くなってしまう。それに二人がそんな料理を作れるはずもなく、まずは部屋の飾り付けをどうするかから話し合いが始まるのだった。
◇◇◇
試験を終えたモニカはサリアザの家で身嗜みを整えて、合否の結果を待っていた。そして、結果を聞いたのが夜遅くだったこともあり、実家で一日休んでからシノンの家へと戻っていく。
その時通る道のりは、食事の買い出しなどで最低でも一週間に一度は通っていた道である。
それが一ヶ月振りともなれば、季節が移り変わったというほどの長い時間ではないが、感慨深いものが湧き上がってきていた。
「街と違って周りは木ばっかりだけど、やっぱり森とは雰囲気が違うな」
ここらの道のりはシノンも出歩いているので、魔物もほとんど姿を見せず純粋に澄んだ空気を楽しむことが出来る。ほとんどを街かシノンの家で過ごしていたモニカだからこそ、森で長く過ごしてこの場の良さに改めて気付けたのだ。
モニカは朝の住んだ空気を深く吸い込みながら、鳥の囀りや木々のざわめきに耳を澄ませ、自然をゆったりと体感しながら山を登っていく。
そして、懐かしさすら感じる家が見えてくる。
「ふぅ……ただいま戻りました」
今日帰ることは伝えておいたが、時間までは言っていない。もしかしたら畑にいるかもしれないと考えながら、やや緊張した面持ちで扉をノックして中に入った。
「おぉ、お帰りー」
「お帰りなさい」
すると二人揃って出迎えてくれた。特に派手に出迎えるわけではなく、普段通りダイニングで寛いでいたのだ。
シノンはソファーで寝転んだままだったが、ミゥは期待しているようで不安そうな複雑な表情で近付き、言葉を選ぶようにして話しかける。
「お姉ちゃん、試験どうだった?」
シノンも起き上がり身体を向ける。
二人の視線を受けたモニカは一瞬口ごもるが、直ぐに勢い良く頭を下げた。
「申し訳ありません、不合格でした」
応援してもらったにも関わらず、力及ばず不合格。モニカは自身の不甲斐なさが恥ずかしく、微かにではあるが声を震わせていた。
これには自身も経験のあることとは言え、何と声を掛ければいいのか迷ったミゥは、チラリとシノンに視線を送った。年長なのだから何か良い事を言えと。
しかし、シノンは普段通りのだらけた空気感のまま、腕組みをして何度か軽く頷いた。
「まぁねー、残念だけどそうだろうとは思ってた」
「ちょっとアンタね、何言ってんのよっ」
余りの物言いに言葉を荒らげるが、それをモニカが宥める。
「いやだって、ついこの間自分の力を知っただけなんだし、そんな人を合格させるほどサリアザさんって甘くなければ意地悪でもないでしょ」
言われてみれば確かにその通り。
しかし、ということはシノンは落ちると分かっていながら、試験を受けさせたということか。ミゥの鋭い視線の意味を感じ取ったシノンは肩を竦めながら頷く。
「まぁ、受かる可能性が全く無いとも思ってなかったしね。それにこれからの事とか色々相談する相手なら、俺よりあの人の方が適任でしょ」
これもまたその通りなのだから、ミゥは何も言えなくなってしまう。せめてこれ見よがしにため息を吐いてみせることしかできない。
そんな二人のやり取りが懐かしく、モニカは自然と笑みを零しながら荷物を置きに自室へと戻るのだった。
そして昼食。疲れているだろうからとミゥが用意したサンドウィッチを食べながら、モニカは試験のことやその間シノンたちの事を聞いたりしていた。
ただ、シノンとミゥは分かれて生活していたので、特にこれといって変わった出来事も無く、話しをするのはほとんどモニカの役目である。
「森ではサリアザ様と一緒に行動してました」
「へぇ、私の時とは違うんだ」
「森の奥にまで入ったからなんじゃないの」
そんな話しにも一段落がついた頃、徐にシノンが口を開く。
「あっと、そう言えば畑のことでモニカに聞きたいことがあったんだ。もし疲れてるんだったら休んでてもいいけど、午後からちょっと出られる?」
「はい大丈夫です。街で十分休ませてもらいましたから」
こうして二人は午後から畑へと向かうことを決めたのだが、この時シノンとミゥの二人はモニカにばれないよう目配せをするのだった。
畑では野菜の収穫時期や拡張した場所の出来などを相談し、鍬で少し土を弄りつつ午後を過ごす。
今日帰ってきたばかりのモニカの疲労を考慮してか、ずっと作業をするのではなく休みながら話しながらと、ダラダラ時間をかけて作業は行われていた。
「お疲れさん、そろそろ帰ろうっか」
「そうですね。夕食の準備もありますし」
日はまだ暮れていないがシノンは帰り支度を始め、モニカも持ち帰る野菜の収穫を始める。鍬など道具をシノンが持ち、野菜の入れた籠をモニカが背負う。
そして、家に帰って来た彼らがまず向かうのは裏手にある井戸。そこで手や足など身体についた土や泥を洗い落とすのだ。
「あっと、そういや見せたいものがあるんだ、悪いけどちょっと着いて来て」
「分かりました」
野菜は後で軽く土を落として地下の保管室に持っていくため、今は籠ごと勝手口の側に置いておく。そして、そそくさと移動する彼らしくない行動に、ちょっと疑問を覚えながらもモニカは素直に従った。
玄関は先ほど見たときと同じく別に変わったところなどなく、モニカは辺りをキョロキョロと見回す。そんな彼女を意に介することなくシノンは玄関の扉を開いた。
「ほら、あれなんだけど」
そして身体を退かして家の中を指差す。
そんな自然な行動に、モニカは何かと考えることなくヒョイと中を覗き見る……と。
「お姉ちゃん、お帰りなさーーい」
花束を持ったミゥが飛び込んでくる光景が目の前に広がった。
突然の行動に『オレンジ色の明るい花はミゥの笑顔に似合うな』などと、どこか呆けたことを考えながら、モニカは差し出された花束を受け取った。
「今回は残念でしたけど、次頑張って下さいね」
そして最初は気付かなかったが、家の中にはミゥだけでなくコルフォトや腕を釣ったゼーセパ、サリアザにディディーと街に住むモニカの友人たちまでもが集まっていたのだ。
更に家の中を見回せば色紙や花などで飾られ、パーティーを開いてくれたのだと頭が理解する。
「あっ、えっと、そのすみません」
真っ先に出た言葉は謝罪であった。おそらくは序列の合格祝いとして計画していて、それがダメになってしまったと思ったから謝ったのだろう。
ただ、その表情は申し訳ないという気落ちしたものではなく、このサプライズに対して驚き、やや呆気に取られたようなものだった。
「身体能力が高まっても、それを上手く使えないんじゃ仕方ないっスよ。シノンさんだって最初はそうだったらしいっスから」
「そうね。また序列を目指すのなら、シノン君みたいにとことんまで突き抜けちゃうか、戦闘の技術を学んだ方がいいんじゃないかしら」
サリアザからの助言を素直に頷きながら聞いていると、彼女の腕を掴んだミゥが主役の為の席へと案内する。
ダイニングの中央には、この家には無い大きく大人数で座れる縦長なテーブルが鎮座し、多くの料理が並べられていた。
部屋の飾りつけやテーブル椅子などもそうだが、昨日今日思いついたものではないことが分かる。
「これだけの料理……飾りつけもそうですが、朝帰ってきた時には準備を進めていたんですね」
「まあね、みんなの都合もあって午後からって決まってたからさ、モニカにばれないよう意識逸らしたり、道具とかを部屋に押し込んで隠したり、畑に連れて行くまで気が気じゃなかったよ」
「こっちも最後にアンタがミスって、お姉ちゃんを勝手口から上がらせないかヒヤヒヤだったわよ」
普段ならそちらから上がるのだが、そこからだとキッチンで料理を作っているところに出くわしてしまう。そうなってはサプライズどころではないのだ。
もちろん、勝手口が開かないようにしてはいたが、それを使わせなかったことに「我ながら頑張った」とシノンは一人満足そうに頷く。
そんな中、キッチンから大きなお皿を持った、肉屋のハンス夫妻が登場する。
「ほら、肉焼けたぞー」
「肉か……野菜はドコダ」
「後で穫りたてを持ってきてやるから……それじゃあとりあえず飲み物の準備してー」
料理も並び終わり、それぞれの木製のカップにお酒やジュースが注がれる。
そして視線は自然と家主のシノンへ。
「何か一言は?」
「え、ここは俺がごちゃごちゃ言うより、主役のモニカがバーンと乾杯の挨拶まで言うところでしょ」
「ええっ」
ここでも丸投げだが、シノンの言い分も間違いではないので全員がそのままモニカへと視線を向けた。
当然、驚き慌てるモニカだが彼女に助け舟を出す人などおらず、諦めの入った笑顔と共にカップを持って立ち上がる。そしてシンと静まった空気の中、口を開いた。
「えっと、今日はこのような素晴らしいパーティーを開いて下さりありがとうございます。ご存知だとは思いますが、試験の結果は残念ながら不合格となってしまいました。確かに今の私では力不足だったと思います」
そう言っているが、その表情は暗くない。
むしろ前をしっかりと見つめている。
「序列になることを心配してくれる人もいますが、私はこれで諦めるつもりはありません。もっともっと力をつけて次は合格して祝ってもらえるよう、今日は皆さんの言葉や気持ち、美味しそうな料理を糧にして頑張りたいと思います。本日は本当にありがとうございました。えーと……乾杯」
「乾杯っ」
全員でカップを掲げて宴が始まり、それぞれが席を立ち好きな料理を取ったり話したりと思い思いの行動をとる。
シノンもしばらくは肉料理を中心に食べていたが、モニカに話しかける流れが一段落したのを見てそちらに近付いた。
「お疲れー」
「あ、シノン様も今日はありがとうございます」
「どういたしまして。ただ、俺よりミゥが頑張ってたから、そっちも褒めてあげて」
「ちょっと何の話しをしてるの? 変な事じゃないでしょうね」
ジュースを飲みながらミゥも近付いてくる。視線から自分の話しをしているのは分かったが、内容までは聞き取れなかったのだろう。不審な目付きでシノンを見ている。
それに対してシノンはニコヤカに、温かい眼差しで見つめ返す。
「今日のためにミゥが頑張って準備してたなーって話」
「ちょ、ちょっとそういうこと言わないのっ、普通っ」
舞台裏を暴かれた気がしたのか、顔を真っ赤とまでは行かないが頬を赤く染めたミゥはシノンを強い口調で窘める。
この家に帰ってきた直後のやり取りもそうだが、二人の明るくある意味信頼し合っている会話は、家に帰ってきたんだとモニカに強く感じさせた。
そして、自然と表情は和らぎ微笑みを浮かべる。
「ん? 何か面白いことでもあった?」
「コイツの表情が変なんだよね、お姉ちゃん」
モニカは少し考えるように顎に手を当て、先ほどより意味深に笑みを深める。
「んー、二人ともかな」
「ええっ、こんな奴と一緒にしないでっ」
「同類同類」
そんな冗談を言い合いながら料理に舌鼓を打っていると、突然の乱入者が現れた。
それは開けっ放しになっている窓から、文字通り飛び込んできたのである。
「……あれ?」
それはとても目立つオレンジ色の羽に緑の尾羽、黄色い嘴を持つ鳥。大きさは人の頭ほどだろうか、羽を広げればそこそこの大きさだ。
そして部屋の片隅に用意されてある止まり木に見事捕まった。
それが何なのか知っている人はシノンへと視線を送る。
「いやいや、まさかまさか」
だが、それが何であるか受け入れようとせず、シノンは笑いながら料理を食べるために手を進める。
しかし、そんな彼には目もくれず、コルフォトは鳥の首から提げた筒を外して中身を確認すれば、そこには予想通り丸められた紙が。それを慣れた手つきで広げて内容を読んでいく。
「シノンさんどうやら魔物が出たみたいです、緊急っぽいんでこれから討伐よろしくお願いしますねー」
城からの伝令鳥はご褒美として与えられた野菜を、器用に片足で掴んで摘み食いしている。
そして皆の視線が集まるシノンも――
「……いや、俺忙しいし」
目を逸らしながら料理を食べていた。
「大丈夫です、料理は取っておきますから。あっ、僕は力になれないんで、ここで吉報を待ってますねー」
「いやー、お前が来ないと場所とか分からないから同行決定な」
この場にはゼーセパも居るが、彼はこの間の戦いで負傷しているので連れて行くことは出来ない。
やれやれとシノンは立ち上がり、コルフォトから魔物の特徴やらを聞いておく。その間、指示された武器と防具をモニカとミゥが運び装着を手伝う。
そんな四人の流れるような役割分担を、他の面々は関心しながら楽しみながら見ていた。
ついこの間バヌドゥの襲撃で被害を受けたが、余りシノンと関わりのないモニカの友人たちも不安を抱いてはいないようだ。これは彼を信頼しているのもあるだろうが、こんな場所に住んでいるので元から逞しいのかもしれない。
そして準備を終えたシノンはコルフォトを連れて玄関へ。
「んじゃ、ちょっと行って来る」
「僕の分のデザートはちゃんと残しておいて下さいね」
「はい、分かりました。ご武運を」
「そんなことより、ちゃんと倒してきなさいよね」
いつも通りモニカとミゥに見送られるが、今日はそれ以外にも人が多い。シノンは普段よりも多く大きい声援に手を挙げて答えると、魔物の討伐へと向かうのだった。
相も変わらず面倒ごとや楽しいことなど色々あるが、シノンとコルフォトはぐだぐだぐーたらとした生活を続け、そんな彼らをモニカは甲斐甲斐しく世話し、ミゥが二人の尻を叩く。
そんな彼らの日常は、これからも続いていくのだった。
国最強の日常はこれにて終了です。
最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。