21 毎年恒例の風景
シノンたちが森で集めたキノコや果物などは全て城に預けておいた。今頃、兵士も総出で天日干しや燻製などの保存食作りに取り掛かっていることだろう。
あの時ゼーセパから聞いた森中の不穏な空気。一応シノンも国には報告しているが、あれから時に連絡などはなく、シノンも嫌な予感や胸のざわつきなど無く日々を過ごしていた。
今日は普段掃除しないような家具を退かして掃除したり、納屋などから道具を引っ張り出して使わないものは捨てる、モニカ主動の大掃除日である。
年が明けるまではまだ日にちはあるが、ここの冬は冷えるので水仕事を考えて少し早めに掃除を行うのだ。
「お姉ちゃん。窓拭き終わったよー」
「ありがとうミゥ。それじゃあ次は――」
女性陣の荷物整理は直ぐに終わり、掃除へと取り掛かっていた。
多少の解れや穴あき程度なら補修などしてまた使用するため、服などでも捨てるものは余りないのだ。むしろいろいろと拾ってくるシノンの方が荷物は多かった。
「あーと、この枝は……」
シノンは一人部屋に篭って、納屋から出した道具の選別をしていた。
今彼が持っているのは人の丈ほどの真っ直ぐな木の枝。これは特別なものではなく、木剣を作りやすいと思ったために拾っておいたのだ。そんなのがいくつもある。
「だいぶ古くなったのは薪にでもしようかね」
正面に置いた枝の山を左右に分けていき、薪行きだと判断したのは全体の半分にも及ぶ。それらは纏めて薪置き場へ、残りはもう一度納屋行きである。
後は刃こぼれした斧や壊れた防具などほぼ実戦では使えないもの、これらは城で引き取ってもらう。中々いい素材を使っているので、『あの序列が使用した』という変なプレミア価格で他国の貴族に売っているらしい。
それを思い出したシノンはしばらく壊れた防具を見ていたかと思うと、もう自分では使わない物を念入りに掃除するのだった。主に汗の臭いなどが染み付いていないかなどを気にしながら。
自室の掃除や整理を一通り終わらせたシノンは、モニカたちを手伝うべくダイニングへと向かう。途中の窓は綺麗に掃除されていて、ガラスが本当に無いかのように透き通り、外の景色がくっきりと見える。
「普段気にしてないけど、やっぱ汚れてるもんなんだなぁ」
自身の心も透き通ったような、そんな晴れ晴れとした気持ちで気分良く廊下を歩いていく。
「シノン様、道具の整理は終わったんですか?」
「うん、それでこっちは何か手伝うことあるかな~って思って」
「そんなの、いっぱいあるわよ」
彼女たちは今、キッチン回りの掃除に取り掛かっていた。棚の中身を全て出して奥まで拭き、客人用ではなくここ一年使っていない食器を仕分け。シノンはミゥに指示された通り、箱に入れられた食器を物置へと持っていった。
水回りは思いのほか力作業が必要とされ、シノンにとっては格好の活躍の場、のはずである。しかし、実際はちょいちょいと果物に手を伸ばし、力水と称して御酒を飲むものだから、遂にモニカから「あちらの掃除をお願いします」と追い出されてしまったのだった。
「ふきふき、汚れを掃除しましょー」
今は棚から出されてテーブルに数多く並べられたグラスを、椅子に腰掛けたまま磨いている。テーブルの上には他にも客人が来ない限り使われない銀の食器一式なども置かれてあった。
それら一つ一つに息を吐きかけたりしながら磨き上げ、全て終わった頃には棚の掃除も終わり、全て元あった場所へと戻す。
しかし、まだまだ掃除は終わらない。次は室内用の柔らかい箒で埃を集めていく……そんな作業中のことである。丁度、ダイニングを掃除中にドアが勝手に開かれ、コルフォトが姿を現したのだ。
「シノンさん、良い物が獲れたからご馳走してくれるって……あーっと、忙しそうなので今日は帰りますねー」
シノンが珍しく掃除をしている様子と時期的なものから、事情を素早く察したコルフォトは身体を反転させる。
だが、後ろ手に扉を閉めるよりも早く、シノンの持っていた箒の柄が挟み込まれ、それ以上ドアを閉めることが出来ない。焦る彼の背後から妙に優しげな声で話し掛けられた。
「まあまあ、そう急いで帰らなくてもいいだろ」
「何なんですか、もぉ」
コルフォトは既に諦めているかのように抵抗することなく、室内へと引きずり込まれるのだった。
そして手渡された箒を持って床を掃いていく。毎年手伝わされているからなのか要領は良く、彼に気付いたモニカが止めようとするのを、諦めたように笑って止めて掃除を続けるのだった。まぁ、その後でご馳走してくれるというのは本当なので、このように毎年付き合っているのだが。
それから床拭き水回りの掃除を終えて時刻は既に夕刻。これからは食材の調達も難しくなるので節制が必要となり、余り長く持ちそうにないものを使った、おそらく今年最後の豪勢な食事が並んでいる。
まぁ、食卓が寂しくなったら、シノンが森を駆け回って適当に狩ってくることもあるので、悲観するほどのことではない。
「一仕事終わったあとの食事は最高だなー」
「そうだろう、そうだろう。俺はそいつを教えたくてだな――」
「それならアンタももっと働きなさい」
上手い返しに思わずシノンだけでなくコルフォトも拍手を送る。
そんな二人に冷めた視線をミゥが返しつつ食事は再開されるのだが、ふと何かを思い出したのかコルフォトが再び手を止めた。
「……あっと、そうだ忘れてた」
「ん、どうした?」
「いえ、ほら森の様子が気になるってカシレイが言ってたらしいじゃないですか」
背筋を正しながらも眉間に皺を寄せて軽く俯くコルフォトに、シノンも真面目で本気な話かと箸を置く。もちろん主人と客人が食事を止めたのでモニカと、話が気になったミゥの二人も手を止めた。
「それで城でも色々調べてみたらしいんですけど、ちょっと気になることがあってですね」
「なんだ? 凄い伝説級の化け物でもいたか?」
「いえ……ただ豊作ってことはそれを食べていた動物が少ないからで、ならその動物を食べるはずだった魔物たちも、って感じで連鎖していくんだそうです」
シリアスになりかけている空気を和ますように茶化すシノンだったが、コルフォトがそれに乗ることはない。そして、そこまで聞けばシノンも大体の予想はついた。ため息を零しながら額に手を当て、力なく首を左右に振る。
「はぁ、嫌な予感しかしないぞ」
「報告書の最後には『森が豊かだとバヌドゥが襲って来る』って格言っぽく書いてありました」
「バヌドゥ?」
聞き覚えの無い名前にシノンがモニカとミゥを見つめるが、二人ともシノンと同じく小首を傾げている。ミゥはともかくモニカも知らないとなると、人との接触する機会が少なく、文献などでも余り残っていない魔物なのだろう。
コルフォトは持ってきていた荷物の中から、報告書と古めかしい本を取り出す。そして、シノンがパラパラと報告書を見ている最中に本を捲り、栞を挟んであったページを開いてシノンの方へと向けた。
「巨大な怪鳥だそうです。普段は丸まる太った魔物とかを食べていて、どうしても腹が減ると小柄な生き物でも襲って空腹を満たすって書いてあるんですよね」
受け取った本の左ページにはバヌドゥと思われる鳥の絵が描かれていた。
本の全てが黒一色で書かれていて色は分からないが、大きさを比較するために描かれている人間より頭一つ大きい程度で、ドラゴンと比べてそれほど巨大ではなさそうだ。そして絵には湾曲した鋭い爪、翼の先にも刃物のようなものが並んでいる。
そして、右のページには古文なのか下手なのか滲んだのか、ごにゃごにゃした文字で何やら書かれていた。当然、それを解読するよりも早いと、本をコルフォトに返しながら率直に尋ねるのだった。
「強さはどんなもんなんだ? お前がここまで資料を持ってくるってことは、やばいんじゃないのか?」
確かに普段のコルフォトなら資料の持参どころか細かな説明すらしないかもしれない。ただ、先ほどシノンが言った『伝説級の化け物』という言葉は既に否定している。つまりそれ程脅威ではないと考えられるのだが、コルフォトは悩ましそうに額に手を当てた。
「群れなんですよね、そいつら」
「あー、そいつは困ったな」
その一言でシノンだけでなく、話を聞いていたモニカたちも最悪の情景が見えた。
確かにシノンは強い。この国で最も強いと言っても過言ではなく、敵は無いかもしれない。
しかしそれは彼が好き勝手に戦う場合の話。これが防衛戦や護衛ともなれば、彼本人が負けないにしても街に魔物の侵入を許し、最悪死人が出てしまう可能性すらあるのだ。
空からの襲撃に対して何も出来ず街が崩れ落ちる、そんな最悪の情景がモニカたちの脳裏を過ぎったのである。
「そいつらってどれくらい強いの?」
「さぁ? この本の頃だと被害はかなり出たようですが、序列という言葉も書いてないですし、かなり昔のことですね」
序列が勝った、負けた、居なかった。そのようなことすら書かれておらず、バヌドゥが蹂躙して帰っていったという記載があるだけだ。特に強さに関して分かるものではない。
「ただ、剣や矢は弾き返されたそうです。……まぁ、これは森の魔物相手でもそうなる可能性がありますし、シノンさんだったら問題ないかもですが」
「全部が俺に集中してくれればいいんだけど」
コルフォトは腕組みをしながら眉を顰める。
「……最悪、サリアザさんにも防衛を頼むかもしれませんね」
「あー、それは何とか阻止したいな」
目の見えない先代序列一位。未だにこの国でシノンの次に強く、国や国民を愛している彼女なら喜んで手を貸してくれるだろう。ただ年齢もあって引退した以上、もう平穏で無理をさせずに過ごして欲しいというのは国民共通の願いでもあった。
「もしもの時は私達も街に居た方がいいかな」
「そうね……そうした方がシノン様は戦いやすいのでしょうか?」
「まぁ、一箇所に纏まってくれた方が助かる。そっちも万が一の時は国民を城に避難させるんだろ?」
当然、そういった緊急時の対処法はある。城の地下にある隠し通路はこの家だけでなく、港や森にも繋がっているので、大人数でも逃がすことはできるのだ。コルフォトはコクリと頷く。
バヌドゥが来ないことが一番ではあるが、それ以外の魔物に襲われる可能性もあるので、こういった確認作業は何度か行っていた方がいいだろう。とは言え、きっちりと考えるのは城にいる人達なので、四人は食事を再開しながら主にモニカとミゥの避難ルートなどを確認していくのだった。