16 祭り
祭りの準備は着々と進んでいた。その間シノンはというと、特に何もしていなかった。オンモクル樹は確かに硬いが、年輪に合わせて刃物を入れていけば剥ぐことは出来るので、材料さえ集めてしまえば後は国の技師たちにお任せなのだ。
まぁ、木材やら重いものを運べと毎年言われているが、言われるまで何もしないのも毎年のことなので、シノンは家のソファーでのんびりと横になってくつろいでいるのだった。
そして、力作業以外は特に何もしないまま祭り前日の夜。
「そうだ、二人とも祭りには行くんだよね」
この国ではイベント事など中々無いので、毎年の祭りは国民なら誰でも楽しみにしている。参加率はほぼ全員と言っても良いだろう。ソファーで横になったまま話しかけるシノンの言い方も、ほぼ確信めいているのだった。
「もちろんその予定ですよ」
「私も。……なに、アンタは参加しないの?」
いつも家でゴロゴロぐだぐだしている彼の姿を見てそう思ったのだろう。その反応は当然とも思えるが、シノンは不適に笑って首を左右に振った。
「何を言うかと思えば。年に一度の祭りだよっ、参加しないわけないじゃないかっ」
「シノン様は毎年楽しみにしていますからね」
彼にしては珍しく感情を昂らせて力説したのである。ミゥは暮らし始めたばかりで知らないが、モニカは既に何年も一緒に暮らしていて、去年のお祭りも一緒に楽しんでいたのだ。
しかし、それを知ったところでミゥが興味を湧かせるはずもなく、非常に冷めた目でシノンを見ている。突然何を力説しているのか、とでも言いたげだ。
「だからこそ、二人には今日使う分のお小遣いを上げよう」
にっこりと笑い、懐から少しばかりのお金を取り出した。額としては一日の食事分ぐらいだろう。
ミゥはお小遣いを上げる行為というよりも、楽しそうに笑うシノンを見て表情を顰めた。
「……なによ突然? 気持ち悪いんだけど」
「こういう雰囲気が良いんじゃないか。はいモニカにもね」
「ありがとうございます」
ミゥとは対照的にモニカは笑顔でお金を受け取る。彼女も最初の頃は遠慮して断っていたが、どうやらこれはシノンがやりたい事らしいので、今ではありがたく受け取ることにしているのだ。
子供が親や親戚から貰った多くはないお小遣いで、何を買おうか悩みながら祭りを楽しむ。そんな光景も祭りの一環だと考えているのだろう。
「あんまり使う店はないかもだけど」
「まぁ、くれるって言うんなら貰うけど……ありがと」
気恥ずかしさから視線は逸らしているが、それでもお礼はちゃんと言って受け取った。素直に礼を言える辺り、きちんとした教育がされているのだろう。もしかしたらあの母親の反面教師なのかもしれないが。
しかし、モニカの言葉で表情を一変させる。
「シノン様、よろしければ今年はミゥと三人で行きませんか?」
「ええぇぇっ、またぁ~~」
「う~ん、それは嬉しいけど、ミゥが楽しめないんじゃ――」
「ほら、コイツもこう言ってくれてるんだし、私とお姉ちゃんで祭りを楽しもうよ」
この間モニカと街に出かけた時もシノンが一緒だったのだ。今回はそれを止めさせようと、ミゥは甘えるようにモニカの腕に抱きつく。
その様子は子供が親に甘えているようで微笑ましさを感じ、シノンもモニカも優しく微笑む。
「まぁ、俺も祭り当日に櫓を組み上げなきゃならないし」
「分かりました。でしたらシノン様の仕事が終わるまでは、ミゥと二人で回らせてもらいますね」
先ほどと同じく抗議の声を上げるミゥだったが、譲歩してもらったからなのかお小遣いを貰ったからなのか、不服そうではあるがそこまで大きな声ではなかった。こうして祭りは三人で回る事に決まったのである。
そして祭り当日。祭りは夕方から始まるが、シノンは火入れの儀式に出なければならないので昼間から街へと来ていた。街には広場で燃やしている櫓から、火を貰い受けて灯すための松明が玄関先に置かれてある。
いつもより活気が良く浮かれた雰囲気の街を、挨拶されながら歩くシノンは広場へとやって来る。
「おぅ、お疲れさん」
「今年はモニカちゃんと一緒じゃないんだな」
「ミゥちゃんに取られたんだろ」
広場の隅では屋台の準備が進み、顔なじみと言葉を掛け合いながら広場の中央に着く。
そこにはシノンの集めた木材などで作られた櫓が、立派に組み上げられていた。高さは五メートルはあり、オンモクルの樹液が塗られた場所は金色に輝いている。神々しくも自然の力強さと温かみのある櫓だ。
「おぉー、今年も見事だなー」
毎年変わらぬ出来の良さに、シノンは腕組みをしながら見上げて一人頷く。
この櫓は一日中燃やし続ける燃料としての役割だけでなく、中に生米やキノコ、木の実に魚などを納めて灰にする為の物でもある。なので櫓には中に納める部屋が一番高いところにあり、そこへと向かう梯子やしっかりとした足場なども作られていた。
その足場で何やらゴソゴソと作業中だった男が、シノンの声を聞いて上から顔を覗かせる。
「ようやっとのお出ましかい」
日に焼けた肌にねじり鉢巻をした、顔や身体の角張ったガタイの良い中年の男。この国唯一の大工の棟梁で、この櫓作りを主導した人物である。
「親方~、もう作業は全部終わってるんじゃないの~」
「何言ってやがる、お前さんの仕事はまだ残ってるぜ」
親方が指差す地面には太い円柱の柱が数十本ほど転がっていて、これを櫓の周りを囲うように立てる必要があるのだ。
シノンが来るまでこの作業が残っていたのは、単に力作業だからというよりも、魔物から街を護るためのものという儀式的な意味合いがあり、毎年序列が一本一本立てていくのである。
ちなみに祭り当日に行うのは、場所を取って作業や移動の邪魔になるからだった。
「道具一式はそこにあるからな」
シノンは慣れた手つきでスコップを持ち、印の書かれた地面を掘っていく。櫓は大きく燃え上がるので、火が飛び移らないようにそこそこ距離は離れていて、観客もこれ以上中に入らないようとに知らせる位置だ。
穴の深さは一メートルほど。そこに皮の剥かれた真っ白な木を一本づつ丁寧に立てると、スユの蔓や藁などで編み込んだ縄で柱同士を繋げていく。
「あー疲れたー」
最後に縄から飾りを吊るして、今日のシノンの作業は終わりである。とはいえ、このまま街に繰り出せるのではなく、祭りが始まりを告げる儀式に、何もしないが参加しなければならないのだ。
そして、日が暮れる頃に火入れの儀式が始まる。司祭が何やら手に持って櫓の前で祈りを捧げ、貢物を少しずつ集めておいた棚に御酒を振り掛ける。
これらは儀式としてきっちりとした手順で進められているが、厳かというより祭り特有の明るく軽い雰囲気である。
「では、今年も国の安全と自然の実り、そして国民の健康を願いまして火を灯させて頂きます」
最後に三つほどの松明に火打石で火を点け、三方から櫓に火を放つ。すると直ぐに火は櫓に燃え移り赤々とした炎を見せるが、樹液を塗った所は燃えにくいので、直ぐに櫓全体が燃えるわけではなかった。
「おー燃えろ燃えろ」
「天まで届け~」
そして、これが祭り開始の合図でもある。燃え始めることで見守っていた人々も、屋台の商品を口に含みながら拍手喝采。ただ、屋台は既に開いているので、周囲は十分盛り上がっていたようだ。
これでシノンの仕事も終わり、後は祭りを見て回って家へと帰るだけである。
「お疲れ様でした」
「様子見に来てやったわよ」
どこか近くで見ていたのだろう、儀式が終わってそれほど時間を置かずにモニカとミゥが迎えにやって来た。
二人とも服装は普段と変わりないが、手には蜂蜜に漬けた数種類のカットフルーツ、ミゥの手首には貝殻などで作られたアクセサリー。普段見たことがないので、どこかの出店で買ったのだろう。
「おぅ二人とも、楽しんでる?」
「はい」
「まだ楽しむってほど回ってないけど」
笑顔で手に持っている食べ物を軽く持ち上げるモニカとは対照的に、ミゥは不服そうにフルーツの一つを頬張ってモニカのを腕を引っ張る。
「お姉ちゃん、良い景品取られちゃう前に輪投げ行こうよ」
「ん~、俺としてはその前に腹減ったから、串焼き食べたいんだけど」
祭りの大事な作業ということもあり、オヤツを食べることなく今まで働いていたシノン。特にこの広場にはいろいろな食べ物の店が出ていて、準備作業をしている段階で良い匂いがしていたのだ。
意見は分かれてしまったが、シノンからお小遣いを貰って買い物をしてしまった以上、ミゥも不満を示すのは表情だけだった。三人は広場の店を軽く見て回り、最初から決めていた屋台に立ち寄る。
「おいっ、両手に花じゃねーか」
「ふふっ、羨ましいだろ」
そこではシノンの友人であるハンスが汗を流しながら肉を焼いていた。店でも火を使っているが、この広場ではもっと大きなものが燃えているのだ。ずっとこの場に居るのなら暑さはかなり堪えるだろうが、そんなことは微塵も感じさせずにシノンを出迎えている。
「それより串三本な」
「あいよ、今年もお疲れさん」
「それはお前も一緒だろ。それに俺の場合はもう解散だし」
「はははっ、ウチは売り上げに直結してるからな」
雑談を交わしながら既に焼かれてある串肉を袋に詰めていく。この間、モニカたちはシノンの友人だから気を使ったのか、少し離れたところで残りの果物を談笑しながら食べている。
「んじゃ、今度打ち上げでもしようぜ」
「おー、ならコルフォトの家なんかどうだ? この間持て成したからって理由でさ」
「城かー、それ城だよなー」
軽く冗談を言い合いながら商品を受け取って代金を払う。結局はシノンの家か他の面子の家でということになり、今は特に細かく決めることなく分かれるのだった。
シノンは二人の元に移動すると串肉を手渡す。一本の串に肉が三つほど刺さっていて、手元近くには肉汁が垂れないようにか、手を覆えるほどの大きさの葉っぱが一枚刺さっていた。
「ほい、二人の分……あっ、はちみつ漬けだからさっきのと同じになるかな」
「別に良いわよ。こっちのは隠し味程度だろうし、お肉とフルーツとじゃもともとの味も違うから」
濃いめのタレがかかったお肉は柔らかくジューシーで、表情硬く串を受け取ったミゥも思わず頬を緩める。そして上機嫌でモニカの腕を引っ張った。
「それじゃあ今度こそ輪投げに行こうっ」
その様子は普段以上に幼く、年相応に見えるのだった。
輪投げや射的など遊ぶための屋台は子供がよく利用するからだろう、暑い広場から出た大通り沿いにまとめて開かれている。とは言ってもお店は輪投げや射的、型抜きの三つしかない。
だからなのか一店舗ごとにかなり場所を取っている。輪投げや射的は受付の左右、道なりに距離や道具の違いで二つの難易度が用意されていた。
「おぉシノンさん。火入れは終わったみたいだね、お疲れさん」
「ありがと、後はゆっくり祭りを楽しむよ」
中年の店主はカラカラと笑う。この店は彼以外にも手伝いの人が五人ほどいて、客に説明したり輪っかや景品などを手渡していた。若い子が多いのは小遣い稼ぎなのだろう。
そして、祭りが始まる前から楽しみにしていたミゥが、シノンを押しのけて前に出る。
「はいおじさん、一回分ね」
「おっ、難しい方かい」
お金を払って三つの赤い輪っかを受け取ると、右側の投擲場へと案内される。そちらは難しい大人向けで、景品までの距離が五メートルほどと長めだ。これが打ち落とすだけの射的ならまだしも、輪っかを上から入れなければならない分、難しいだろう。
ミゥは右手に持った輪っかを前後に揺らしながら狙いを定める。こちらは景品が大きい分輪っかも大きく、より難易度を上げていた。
「えいっ」
そして力強く投げられた輪っかは、台の中央奥に置かれた大きなイヌのぬいぐるみに向かって飛んでいく。……が、黒い鼻に当たって景品を倒しただけだった。これが射的ならまだしも、輪投げでは手に入れることは出来ない。
「むー」
不満気に目を細めてより狙いをつけるミゥだが、二投目、三投目も外してしまい、これで一回目は何も得られない結果となってしまった。そこで彼女は後ろで見ていたシノンに話しかける。
「ちょっとアンタもやってみなさいよ」
手本を見せてとも、景品を取ってとも言わないところが彼女らしい。ただ、珍しくミゥに頼られたと感じたシノンは、二つ返事でお金を払い、緑色の輪っかを三つ手に入れて戻ってくる。
「よーし見てろ」
そして勢いよく一投目を放った。……が、景品を乗せている台を軽く越えていってしまう。二投目は景品に当てて台から落としただけ、三投目は再びオーバーというミゥよりも散々な結果だった。
ミゥも呆れたような冷めた目で見た後、頭を掻くシノンに話しかけることなく視線をモニカへと移す。
「ねぇ、お姉ちゃんもやろう」
「そうね、それじゃあ一回だけ」
そう言ってふわりと投げられたモニカの黄色い輪っかは、肥料と書かれた袋に引っかかりはしたものの勢いで落ちてしまう。だが、二投目で修正して見事肥料を、三投目も木彫りの大皿を手に入れてみせた。
「おめでとさん。ほら景品だ」
「さっすがお姉ちゃん」
「おぉー、凄いなぁ」
「偶々ですよ」
景品を二つも手に入れたモニカは謙遜しながら大皿を受け取る。もう一つの肥料は両手で抱えるほど大きいので、シノンが持つことになったのだ。
そして、ミゥはモニカからアドバイスを聞いて、見事三回目の挑戦でぬいぐるみを手に入れることが出来たのである。
「当てて落とすだけなら出来るんだけどなぁ」
「なら、射的で勝負でもしてみる?」
五回投げてみても何ら手に入れられなかったシノンを見かねたのか、止めを刺そうというのか、ミゥから勝負を挑んで次は射的屋へ。
そして、こちらでは自ら言った通り、パチンコと投擲のどちらでも面目を保つことが出来たシノン。ただ、さすがに暴れすぎたのか、「序列がお祭りで景品を貰うのも」ということで辞退する羽目になったのだった。
◇
翌々日――
意地が悪そうに笑うシノンをテーブルで挟んでミゥが叫ぶ。
「ちょとっ、止めなさいよねっ」
「いやいや、これは大事なことだし」
シノンの右手にはドロリとした粘着性のある黒い物質がべっとりと付いていた。それをミゥに向けていることから彼女に塗りつけようとしているのだろう。
しかしこれは単なる嫌がらせではなく、祭りで燃やした時の灰を混ぜたもので、子供に塗ることによって健康で大きく成長して欲しいという儀式でもあるのだ。だからこそモニカも笑ってみているだけで止めようとはしていない。
「変態、変態っ」
そう叫ぶミゥの顔はもちろん、嫌がって動き回ったからなのか服にまで真っ黒に。当然、この日は汚れても良い服をモニカが用意していたので問題ないのだが、ミゥがやり返した為にシノンの顔や服も真っ黒になってしまったのだった。
そして、モニカが軽く量頬に塗ってこの家での儀式は終わる。ただ、午後からは実家に帰ってそこでも祝われ、その道中でも気は抜けない。そんな祭り後の毎年お馴染みの光景が繰り広げられるのだった。