14 飲み会
いつもと代わり映えしない午前中。それはバルコニーでレオと並んで横になっているコルフォトが遊びに来ていても同じことだった。
二つ並べられたチェアで横になっている二人の間の小さな丸テーブルには、井戸から汲んだばかりの冷たい水の注がれたグラスが置かれてある。それを手に取って一口飲んだコルフォトがポツリと呟いた。
「今日はお酒じゃない何て珍しいですね」
「こんな朝っぱらから飲むわけないじゃないか」
「アハハ、面白い冗談ですね」
若干棒読みなシノンにコルフォトは笑って応える。
「いや、今日は午後から友達と集まって飲み会をするからさ」
「へぇー、いいですね」
横になりながら酒を飲むのはシノンの楽しみであり、モニカから止められない限りは手元に置いてあることが多いので、今回も彼女に止められたのだろうと思っていたが、どうやら楽しみは後で取っておくことにしたようだ。
余り酒は強い方ではないが、飲み会やら祭りの空気が好きなコルフォトは羨ましそうである。そんな彼の様子を見たシノンは何やら考え込み、彼に誘いを掛けるのだった。
「お前も来るか?」
「えっ、いいんですか?」
驚いて寝そべっていたチェアから上半身を起こす。それというのも友人の飲み会にいきなり、しかも立場のある人間が行くことに若干の遠慮があったのだ。
しかし、シノンは特に気にした素振りも見せていない。
「問題ないと思うよ。まぁ、貴賓扱いはされないだろうけど」
「ここでもモニカさん以外にそんな扱いされてませんよ。これでも僕、この国の王子なんですけどねぇ」
「アハハ、面白い冗談だ」
棒読みな乾いた声で笑い合う二人。ただ、その時間はそれほど長くなく、コルフォトはありがたくシノンの申し出を受けることにした。
「それじゃあ僕も手土産持っていきますね。城から適当にパクってきますんで」
「ありがたいねぇ。……あぁそうだ、一旦家に集合ってことでいいか? お前どこに行くか知らないだろ」
場所を知らないというのは当然だが、それなら先に教えておけばいい。というよりも城からなら、わざわざシノンの家に向かうよりも街で落ち合った方が効率はいいのだ。
コルフォトは何か理由があるのかと尋ねてみた。
「いやー、飲み会を始めるのは午後からってことだけど、きちんと時間とか決めてなくてさ。いつ行くかは俺の気分次第なのよ」
いつもの如く気の抜けた返答ではあるが、普段のシノンからしてそんなもの。コルフォトは納得して頷くと、一度城に帰って昼食を食べてから、手土産を用意して再びシノンの家を訪れて街へと向かうのだった。
この間、子供たちが森へと抜け出した時は山を飛び越えていったが、緊急事態でもない限りそんなことはしない。まだ日は出ているが森に灯りなどあるはずもなく、一応二人の手には火の点いていない松明を持って歩いていた。
「……なんでシノンさんが僕を飲み会に誘ったか分かりましたよ」
「いやー、本当に助かったわー」
少しばかり疲れた声色のコルフォトの背中には、大きなリュックが背負われていた。中には以前、シノンが肉屋の店長と約束したドラゴンの肉が入っている。つまりコルフォトは荷物持ちとして誘われ、わざわざ家に来させたのもこれが理由だった。
ずれたリュックを背負い直しながら、コルフォトは呆れたようにため息をこぼす。
「これくらい、シノンさんなら軽く持てるでしょうに」
「……お前がそれを軽く持てるとして、丁度いい奴に持たせそうだと思ったらどうする?」
「そりゃあ楽したいですから、持たせようとしますよ」
何当たり前なことを、とでも言いたげに憮然と言い返す。彼らにとって出来るか出来ないかではなく、今、楽できるという気持ちと気分の問題なのだ。
コルフォトの背負うリュックには取引の肉以外にも、宴会用の酒や野菜なども入っていて、大人三人分くらいの重量だろう。
普段の印象や少年といった年齢からは思えないほど、コルフォトは身体がブレることなく歩いていた。こんな周囲に魔物が出る環境である以上、王族は一応なりとも戦えるように鍛えられているのだ。
「疲れたら交代ですからね。じゃないと、お土産シノンさんにはあげませんよー」
「大丈夫、いけるいけるって」
ただ、持てるのと疲れるのとでは別問題。二人はそんな押し問答を繰り返しながら、山を下りていったのである。
◇
二人が街に着いた頃、日はすっかり傾いていた。かがり火がたかれ始め、結局使われることのなかった松明を握り締めて街中を進むシノンの背中には大きなリュック。
彼らが目指す場所はこの間約束した肉屋。店舗と住宅が同じで、二人は家の玄関に回りこむと、そこにある小さな井戸で汚れを落としてから庭へと回り込む。
「邪魔するよ」
「こんにちはー」
すでに庭では十数人の男たちが酒を飲み交わしていた。ワイワイ賑やかで陽気でいながら、どこか抜けた雰囲気なのは、親しい連中の集まりだからなのだろう。
そんな中でシノンたちの声に応え、二人を出迎えるように片手を上げる人物。この家の主でもあり、肉屋の店主でもあるハンス。
「おぉうシノンとコルフォト王子じゃないっすか」
ハンスは予定になかったコルフォトの参加にも、嫌な顔をせずに受け入れる。ただ、王子に対して気安いのは、酒が入っているからではないだろう。
庭にはいくつかテーブルを出して料理や酒を並べ、特に決まった席もなく自由に座っている。二人は空いている席へと移動すると、リュックを下ろしたシノンが、中から布に包まれた肉の塊をいくつか取り出した。
「ほら、約束してたドラゴンの肉だ。今日食っても店で売れる量だぞ」
「僕からのお土産は塩です。肉の味付けに使っても良し、このまま舐めるも良しですよ」
そしてコルフォトは小瓶に入った塩。量は今回の宴で使い切ってしまうぐらいと少なく、これは城でも滅多に使われない高級品だからである。他にもまだあるとはいえ、本当に断り無くパクって来たのだ。
二つの高級な差し入れを手に入れたハンスは、両手に持ってこれ見よがしに掲げて見せる。
「お前らァ、たった今上等な肉が届いたっ。これから焼いていくぜっ」
若干わざとらしい言葉と共に、集まった連中もノリ良く歓声を上げた。拍手喝采、賛辞感謝の言葉雨霰で、シノンとコルフォトも両手を上げて気分よく歓声に応えている。
その時、辺りを見回していたシノンは、この場に居るはずの人物を思い出した。
「そう言えば、今日奥さんはどうしたんだ?」
「あぁ、実家に戻ってるよ。この面子だと騒がしいし、いろいろ大変だろうからな」
妻の苦労を考えてというのもあるだろうが、男連中だけで好き勝手やりたいという気持ちもあったのだとシノンは察する。それ程に気楽で気の抜けた笑顔だったのだ。
土産を渡した二人が席に戻ると、酒瓶を持った男達が集まりグラスに酒を注いでいく。その間、ハンスが熱せられた鉄板に油を引いて、ブロックから厚めに切り分けた肉を焼いていけば、ジュッとした音と香ばしい匂いが広がり男達はそこに群がる。手には皿、もう待ちきれないのだろう。
「ドラゴンの肉って高いんだよなぁ。美味いし滋養にもいいらしいけど」
「年に何度かのご褒美がただで食べられるとか、今日参加して良かったわ」
ハンスは鉄板に載せたまま肉をナイフで小さく切り、それを順番待ちしている男達の皿へと移す。慣れた手つきなのはさすが肉屋といったところか。
そして男連中は一口食べて、だらしなく頬を緩めた。
「うぇへへ、うめー」
「キモイぞ」
ドラゴンの肉は部位によって歯応えが違い、今食べている柔らかい肉と一体化するように頬がとろけてしまっている。ただ、男のしかも大人がやったところで、可愛らしさや共感など持てるはずもない。
「うめぇ、かーちゃんにも食べさせてやりてぇなぁ」
「おっ、ご機嫌伺いか?」
「ち、違ぇよ。んなことよりだ、シノンもいい年なんだからそろそろ結婚しちまえよなぁ」
からかってみたが、どうやら藪蛇だったようだ。シノンは嫌な流れになりそうなのを感じ取り、グラスを傾けて顰めた表情を隠す。
「うちの奥さんに誰かいないか聞いといてやろうか?」
「好みを教えてくれれば国外からでも募ることは出来ますよー」
「……何か沼に引きずり込もうとしているような気配がしてるけど、新しい同居人も増えたばっかだし、今は全然考えてないよ」
話しを聞きつけた他の面子も酒を片手に集まってワイワイと騒ぎ始める。既婚者ばかりではないが、話題の中心はやはりシノンだった。だが、本人は苦笑いを浮かべながらつまみに手を伸ばす。
「そんなことより、そろそろお祭りじゃなかったか」
「あ~、そういやそんな時期だな」
露骨な話題逸らしだが、話には乗ってくれるらしい。
今度行われる祭りは、子供の成長や穀物、野菜など豊穣を願ったもの。町の中央の広場で木々や乾燥させた野菜や果物などを組み、一昼夜燃やし続けた後で出来た灰を子供たちや畑に降りかけるというものだ。
「あぁ、そうでしたねー。シノンさんにはそろそろ依頼すると思いますので、その時はお願いします」
ポンと一つ手を鳴らしたコルフォトはシノンに軽く頭を下げる。祭りで必要な材料を調達するには森に出る必要もあるので、毎年序列に依頼を出しているのだ。
シノンは気負った様子も無く「おぅ」とだけ言葉を返し、ハンスと他数名に視線を送った。
「お前らは今年何かやるのか?」
「んー、俺は肉の串焼きぐらいかねぇ」
「今年は組み立ての手伝いに借り出されるから無理っぽいな」
数は少ないが食べ物や輪投げなどの出店がある。ここに集まっている面子はまだ若いので、祭りなどではいろいろと駆り出されているのだ。
そして、話は出店の手伝いや仕入れのことなど、真面目に仕事のことなどに移っていく。しかし、その流れを止めるように、ハンスは呆れたように軽く笑いながら注目を集めるように手を叩いた。
「おいおい、ここは俺ん家だぞ、仕事を持ち込まないでくれよ。そんな話をするくらいなら、もっとパーッと騒ごうぜ」
家主の一言で「それもそうだ」と真面目な仕事の空気は無くなり、酒を片手に焼かれた肉を頬張り宴は続く。仕事の愚痴などは零れてしまうかもしれないが、それも宴の席ならではということである。