13 彼女の日常
アクト家のメイド、モニカ・ベルースの朝は早い。
日が昇るよりも早く自然と目を覚まし、顔を洗ってからメイド服に着替える。この服に袖を通すことで、自然と背筋が伸びるような気がしていた。
部屋を出たモニカは、まず朝食の支度を始める。井戸で水を汲んで野菜を洗い、魚を焼きながら付け合わせの玉子焼きを作っていく。そして、パンを温めなおしている頃にミゥが二階から降りてきた。
「お姉ちゃん、おはよう」
「おはようミゥ。今日は遅かったのね」
欠伸を噛み潰すミゥは普段なら起きて手伝うこともある時間帯だ。別に決まりごととしてあるわけではないが、少しばかり気になったのである。
「うん、昨日の疲れが残ってるみたい」
「怪我とかはしてない?」
昨日はミゥがシノンに模擬戦を挑み、ほとんど何も出来ない状態で終わっていた。シノンが嫌がっても、体力を使い切るまで何度も戦ったのだから疲れていても当然だろう。
そして、怪我に関しても昨日調べてみて問題なくても、日が経って悪化してしまう場合があるのだ。モニカが心配するのも分からなくはない。
ただ、そんな心配はミゥが笑って吹き飛ばす。
「そこまで柔じゃないから大丈夫だよ。それじゃあ並べるの手伝うね」
「うん、お願い」
ミゥは顔を洗ってから食器を並べ、その場を彼女に任せたモニカは台所を離れてシノンの部屋へと向かう。そこは城へと続く隠し通路の真上、家の入り口から一番奥にあった。
木の扉を叩くがまだ返事はない。これはいつもの事なので、もう一度ノックをしてから部屋の中へと入る。
「おはようございます、朝ですよ」
声を掛けられたシノンは意識を覚ましたのか、モゾモゾと動いて目を閉じたまま顔だけをモニカへと向ける。
「ん~、昨日疲れたからもうちょっと寝かせて」
「ミゥはもう起きていますよ」
シノンとしても、自分に立ち向かってきた少女を引き合いに出されると何も言えなくなってしまう。そもそも彼は「昨日疲れたなー」と思っているだけで、疲れ自体は全く残っていないのだ。
だからこそモニカも取り合うことなくカーテンを開ければ、彼の目を覚ますように目映い光が部屋に差し込む。
その光で部屋全体が照らされ、モニカは部屋の一箇所に視線を止めた。
「あ、武具の手入れをなさっていたんですね」
部屋の片隅に置かれてあるテーブルの上には、手入れの道具やナイフ、周辺にも剣に防具などが置かれてあったのだ。モニカはそこに近付くと、出しっぱなしになっている手入れ道具を袋へと戻す。
そうこうしている間に、欠伸をかみ殺しながらシノンが起き上がった。
「うんまあ、軽くだけどね」
「終わったものは、倉庫に片付けておきましょうか?」
「いや、最終確認とかもまだだから、後ででいいよ」
とりあえず木剣を作った時の削りカスだけ掃除して、二人は部屋を出るのだった。
三人で朝食を取り終えて食器を洗ったモニカは、両手に籠を持って井戸へと向かう。これから洗濯の時間なのである。
モニカは井戸から汲んだ水を木製のタライに移し、石鹸を使ってしつこい汚れは突起のある木の板に擦りつけ、それ以外は手で揉むようにして丁寧に洗っていく。シノンからは「あまり汚れなかった服まで洗わなくても」と言われたが、さすがに主人にそんな服を着させるわけにはいかないとの考えだ。
「よしっと」
全て洗い終えたモニカは籠を持って、日当たりの良い庭先へと向かう。そこには二つほど物干し竿が並んであり、籠から一つ一つ洗濯物を出しては皺を伸ばしながら干していく。その最中、モニカは背後から声を掛けられた。
「ねぇ、お姉ちゃん。前使った木槍が見当たらないんだけど知らない?」
ミゥが尋ねているのはシノンとの模擬戦で使った棒ではなく、きちんと槍頭の形まである練習用のもののことだ。
「それならシノン様の部屋じゃないかしら。ご自分の物と合わせて手入れをなさってたみたいだから」
「えぇー、私の武器を勝手に触って欲しくないんだけどなぁ」
「もぉ、またそんなこと言って……」
普段通りシノンを邪険に扱う発言。モニカは少しばかり困ったようにミゥを見つめる。
ただ、今回は彼女にもそれなりの言い分があった。
「違うって、今度のはちゃんと意味があるから。ほら武器って使い勝手があるでしょ、だから勝手に触って欲しくないの」
その言葉にモニカは「なるほど」と納得して頷く。一応シノンにも考えがあるのかもしれないが、一言断ってからの方が良かったのかもしれない。
言い分が通ってホッと胸をなでおろしたミゥは礼を告げて家の中へと戻っていった。
シノンとミゥは前から計画していた通り、畑を拡張するために午後からは外に出ていた。その間、モニカは軽く家中の掃除である。
今日はハタキで高いところの埃を落として部屋を掃く。拭き掃除や家の周囲まで考えれば、どこかしら埃や汚れは溜まっていて、毎日やっても終わることはないのだ。
ただ、この家ではシノンの方針で下履きと上履きを分けているので、土汚れなどは少なく床掃除は簡単だった。後は倉庫の片付けなど他にもすることはあるのだが……。
「……よしっ」
何をしようか考えていたモニカが移動した先は彼女の自室。そこでメイド服を脱いで着古した長袖と生地が厚めの長ズボンを穿く。これからシノンたちの手伝いをすることに決めたのだ。
畑は家からそれほど離れておらず、シノンが住んでからはこの辺りに魔物が出たということもない。モニカは一応警戒してはいたが、特に何かと出会うことなく畑にたどり着いた。
「あっ、お姉ちゃん」
「本当だ、手伝いに来てくれたの?」
「はい、今日は特にすることがなかったので」
モニカが来た時の二人は、新しく畑にする場所の日当たりをよくするために切り倒した木を、家で薪として持ち帰るために短く切り分けているところだった。
「何かお手伝いすることはありますか?」
「そうだね、いろいろあるけど……予定地を耕す前に石とか退かしといてくれる?」
そう言われたモニカは辺りを軽く見渡す。既にある畑をどちらにどれだけ広げようとしているのか、切り倒された木々から場所と広さを把握するためだ。そして、シノンからは石を取り除くよう言われたが、一緒に雑草も抜いていく。
残りの二人はその間ミゥが倒れた木を押さえ、幹の太さ以上に長いノコギリでシノンが切っていく。
「そう言えば、お姉ちゃんが畑に来るのって始めて見た」
「前は時々来てたのよ。それでもあまり居られなかったけどね」
「いつも家のこと任せてるからなぁ」
のんびりと話しをしながら雑草と石を分けて一箇所に集め、ある程度溜まったら少し離れた場所へと持っていく。雑談しながらなので単純作業でも特に苦にせずこなしていった。
「……あれ?」
ただ、少し大きめな石を取ろうとした時のことである。地面に埋もれているそれは、軽く力を込めても微動だにしなかった。なので両手でしっかりと掴むと、引き倒すように力を込める。
だが、石が動いたのか土が圧縮されたのかは分からないが、柔らかい土との間に小さな隙間が出来た程度。思った以上に大きな石だったようだ。
「俺がやろうか」
「待って、私が先にやるっ」
そんなモニカの様子を見かねて近寄ろうとするシノンよりも早く、倒木から離れてミゥが石の前に座る。
今見えている大きさは握りこぶし程度でしかないが、モニカの様子からするにもっと深くまで埋まっていそうだ。ミゥは手でその辺りを軽く掘ってみるが、石は徐々に大きく広がっていくだけだった。
「お、思ってたより大きいかも」
気合を入れるように一度立ち上がると、中腰で岩の先端を掴んで思いっきり引っこ抜こうと力を込める。
「ぐぐぐうぅぅ~~~」
「無理はしないでね」
「頑張れー」
だが、どんなに力を込めても岩が持ち上がる気配すらない。そして、シノンの気が抜けるような応援を受けて、ミゥは力を込めるのを止めて岩に覆い被さり、やる気もなくなってしまったのだろう。その場から離れてミゥの隣に移動する。
「私の邪魔したぐらいなんだから、もちろん動かせるわよね」
「邪魔したつもりはないんだけどなー。まぁ、ちょっとは頑張ってみるけど」
最後にシノンの番。ミゥと同じく岩を持って力を入れてみれば、地面が揺れ始めて微かに岩が持ち上がり始める……が、突然そこで手を離してしまった。
「何、無理そうなの?」
その行動に挑発的というよりも、このままやれそうだと思っていたミゥは不可思議そうにシノンを見つめた。ただ、モニカには止めた理由が分かったらしく、埋もれている石のさらに下へと眼差しを向ける。
「ちょっと大きいですね。退かすよりも埋めてしまった方がいいかもしれません」
「そうだね。上のほうだけ壊して土被せとこう」
岩が思っていたよりも大きく、このまま退かすと隣の畑にまで被害が出そうなのだ。
シノンは岩を砕くために右腕を振り上げようとするが、ふと隣にある畑にチラリと視線を送った。そこにはまだ収穫されていない野菜が。このまま強く地面に衝撃を与えては、何かしら問題が起こるかもと考えたのだ。
暫く悩むシノンだったが、何かいい手を思いついたのか再び岩に両手を当てる。
「ん~、よっと」
そして、軽く集中すると指を岩に突き立て、抱きしめるよう腕を閉じて岩を割り取った。両手いっぱいの岩を持って少し離れたところまで歩き、ズドンと重量感のある音を響かせて地面に下ろす。
「ねぇモニカ、野菜の成長に邪魔にならないのってどれくらい?」
「そうですね……育てるものにもよるんですが、縦長に成長するものですとあと一、二回は砕いておいた方がいいですね」
アドバイス通りシノンはもう二回ほど岩を砕いて捨てると、三人で別の場所から土を持ってきて出来た穴を埋めた。予定外の出来事もあったが、これで今日の畑作業は終わりである。
三人は帰る支度をしながら、早く準備の終わったシノンが隣の既に野菜の育っている畑の様子を見る。
「先生ぇ、野菜の収穫はまだですかー?」
「そうですねぇ、あと四、五日といったところでしょうか」
そんな話をしながら三人は家へと帰っていく。
ただ、モニカの一日はこれで終わらず、帰ってからも夕飯の支度と眠る前に日記を書いて就寝するのだ。シノンよりも働いているだろうが、彼女は充実した日々を楽しく過ごしているのだった。