10 森
シノンはいつも通り家のソファーでのんびりと寛いでいた。モニカは軽めの掃除をしていて、ミゥは自室で読書中。シノンもミゥを見習って本を引っ張り出してはみたが、既に仰向けで眠る彼の胸元に閉じられていた。
しかし、そんなのんびりとした時間は簡単に壊されてしまう。突然、乱暴とも思えるノックが響いたのだ。
普段が普段でも、一応は序列一位のシノン。特に騒いで驚くことなく直ぐに飛び起き、近くにいたモニカも警戒しながら来客に返事をして玄関の扉を開いた。
「シノンさんっ、子供たちが、見当たらないそうですっ」
飛び込んできたのは見覚えはあるが、直接話したことのない二十代前半の青年。膝に両手を当てて、息も絶え絶えである。
そんな青年から詳しく話を聞くべく、モニカは先ず椅子に座るよう勧めて水を差しだす。それを青年が一気に飲み干し、息が僅かにだが整ったのを見計らって本題に入った。
「それで、見当たらないのはどんな子?」
「十代の男の子が、数人、一緒らしいです。行きそうな場所とか街中は、探したんですけど、防壁に紐みたいなのが見つかって、もしかしたらって……」
血気盛んな年頃の少年が数人一緒でとなると、嫌な予感しかしない。わざわざシノンを呼びに来たのもその為だろう。
モニカはシノンの身支度を整える為に部屋を出て行き、シノンは男性からより詳しい情報を聞いていた。その時、騒動を聞きつけてミゥが姿を現す。
「なに、騒々しいわよ」
普段とは違う空気は彼女も感じていたらしく、表情は不満気というよりも警戒から引き締まっている。
「どうやら街の子供が防壁を越えて森に入ったらしい」
「はぁっ? バッカじゃないのっ」
概要を聞いたミゥは直ぐに声を荒げた。
街の外の森がどれほど危険かは子供の頃から散々聞かされているのだ。防壁を越えてまで外に出て行ったと聞けば、声を荒げてしまっても仕方ないだろう。
「俺はこれから森を探してくる」
ミゥの言葉に賛同の意味を込めて一つ頷くと、シノンは椅子から立ち上がった。そしてモニカが持ってきた武具を身にまとっていく。森でも身動きがとりやすいように、革で造られた軽量の防具と長剣、ナイフが一振りずつである。
「私も行くわ」
「えっ、君が? 気持ちはありがたいけど、ここはシノンさんに任せて――」
「これでも序列候補なのよ。試験の時に森に入ったし、今は一人でも人手が要るんじゃないの?」
外に行ったと思われる少年たちより年下なミゥの発言に、余り信頼出来ず男性はシノンをチラ見する。そして、彼から頷きが返ってきたことで改めて驚き息を呑む。候補生がいたこともそうだが、それがかなり幼い少女だからである。
ただ、候補生ともなれば実力は国が保証してくれるだろうし、手伝ってくれるのなら青年としてはありがたいこと。ただ、問題は保護者であるシノンがどう考えるかだった。
「う~ん、そう言われてもな~」
動きがいいことはこの間一緒に行動して知っているが、それでもミゥはまだ幼い少女。親御さんから預かっている彼としては、危険なことをさせたくないというのが本音だろう。
ただ、人手が多い方が助かるのも事実であり、それが序列の候補にまで認められているのならば尚更である。
「シノン様、もし宜しければミゥを連れて行ってあげて下さい」
そう助言したのは幼い頃から一緒に遊んでいて、シノンよりもミゥ一家と親しいはずのモニカである。まだ少し不安そうに眉間に皺を寄せているが、それでも言葉を詰まらせるようなことはない。
「いいの? モニカは反対するかと思ったんだけど……」
「今は緊急事態ですし、この子も危険を承知で言ってると思います」
「もっちろん、お姉ちゃんは安心して待ってて」
姉代わりであるモニカに後押しされたことで喜ぶミゥは自信満々に胸を張るが、モニカが心配していることに変わりはないのだ。
「でも無理はしないでね。人探しなんだから、魔物と出会っても積極的に戦おうとか考えちゃダメよ」
「うん、分かってる。今は無茶をする必要もないしね」
こうしてミゥも同行することが決まり、彼女も急いで準備を整える。彼女の武器はシノンが腰から下げる長刀と同じ位の短めな槍、今のミゥの体格にはこれで合っているのだ。
そして、二人の準備が整ったことで三人は家を飛び出す。
「ちょっと待って」
しかし、そのまま山を駆け下りようとする二人をシノンが呼び止める。そして、急いでいるのに何事かと振り返る二人を小脇に抱えると、一気に山を飛び降りた。空を飛んだのかと思わせるような大跳躍である。
「~~っ~~~~っっっ」
「ぎゃああぁぁぁぁぁ~~~~~~」
突然のことにもミゥは声を抑えていられたが、ただの一般市民である男性が耐えられるはずもなく、絶叫しながら落下途中で気を失ってしまったのだった。
◇◇◇
街に着いたシノンとミゥが先ず行ったのは、居なくなった子供たちの数と名前を確認することである。街の入り口近くには情報収集用の場所が設営されていて、既に国の兵士も動いていた。
「はぁっ、アイツら何やってんのよっ」
リストに書かれた名前を見たミゥが思わず大きな声を上げる。
「友達?」
「違うわよ、単なる知り合いってだけ」
人口が少なく子供も少ないので、少しばかり年が離れていても一緒に遊んだり、彼らが集まれるような催し物も行われている。なのでミゥが知り合い程度とは言っても、名前や顔を知っていて一緒に遊んだ事もある関係だった。
ミゥは表情を抑えようとしているが、微かに眉を顰めて行方不明者の名前が書かれた紙を睨み付けている。
「俺達は街の遠くから近付くようにして探そう」
「分かりました。我々はこちら側から範囲を広げていきます」
シノンとミゥは魔物が多く危険な森側から捜索することになった。
早速、子供達が抜け出したと思われる場所へ向かえば、そこは周囲に木々が茂り見通しの悪いところ。その中の木の枝から壁の向こう側へとロープが投げ込まれていたのである。
「ミゥは上まで届く?」
「誰に言ってると思ってるの」
その返事に一つ頷き返し、シノンは高い防壁の上まで飛び上がる。向こう側まで一気に飛び越えるのではなく、まずは上から周囲を見ようとしたのだ。ミゥもシノンの後を追って防壁の上に飛び乗った。
「ちゃんと下準備してるんだな~」
そう言って足元にある編み込まれ丈夫そうなロープを手に取る。高い防壁を越えて降りることまで考えて用意されたロープは、きちんと下まで届いていてかなりの長さである。滑り落ちないよう結び目などもあり、思いつきの行動ではないことが伺えた。
「なにを感心してるのよ。そんなことよりこれからどうするの?」
「カシレイにも協力を頼んでるらしいから、俺らは彼らの棲み処と反対側を探そう」
「そうね、それで二手に分かれて探す?」
ミゥからの提案を受け一瞬考えたシノンだったが、直ぐに頭を左右に振った。
「……いやそれは止めとこう」
一人では見落す可能性もあると説明するが、やはり内心では心配なのである。二人は防壁の上から飛び降りると、いなくなった子供たちの名前を呼びながら探索を開始する。
街の近くを兵士や住人に任せてシノンとミゥは離れた場所を探しているが、相手は子供や集団で移動したことを考えて、余り範囲を広げすぎるわけにもいかない。子供の基準としてミゥを使えるはずもなく、二人の捜索は手探り状態で始まった。
「おーーい、生きてるかーーーー」
「聞こえてるなら返事しなさいっ」
二人は子供達に呼びかけながら周囲を見回すが、森の中は人間の手がまったく入っておらず非常に見通しが悪い。
「……う~ん、声も聞こえない」
「私達を隠れてやり過ごそうとしてるとか?」
「まぁ、それもあるかもねぇ」
しかも動物や魔物の気配もあるので、人間を探すには相手側の声が一番の頼りとなるのだが、何度呼びかけても返事は返ってこないのだ。それでも二人は見逃しがないよう丁寧に、それでいて迅速に捜索を続けた。
探し始めた場所から徐々に街へと向かっているが、一向に子供達の気配を感じ取ることが出来ない。二人の脳裏に最悪の事態も過ぎり始めた頃、遠く微かでしかないが二人の耳に誰かの悲鳴が届いたのである。
「どっちっ!?」
ミゥが尋ねるよりも早くシノンは走り出していた。悲鳴を上げること自体もそうだが、声色からもかなり切羽詰ったものを感じたからだ。
移動速度が上がればそれだけ障害物との接近速度、ぶつかった時の衝撃も大きくなる。しかし、シノンはなれた動きで木々の隙間を縫うようにして走り、ミゥはそれに付いて行くので精一杯だった。
「ぅゎぁぁぁぁぁ――」
「襲ってる、声っ、聞こえない、けどっ」
息も絶え絶えなミゥの言うとおり、逃げ惑う子供たちの悲鳴は断続的に聞こえてくるが、それ以外の生物の声は聞こえてこなかった。そのことが現場の状況を分かり難くさせ、余計に不安を煽っていく。
それでも確実に距離は縮まっていく……だが、あれだけ響いていた悲鳴は、途中から聞こえなくなっていた。
シノン達が駆けつけるとそこに子供たちの姿はあった。苦しみもがいている様子からまだ生きていることは確認できる。緑色のゲル状の魔物、スライムの体内にではあるが。
「――ッ」
遠めからその状況を確認していたシノンは、ナイフの切っ先をスライムに向けて、走って来た勢いそのままに体内へと突入し子供たちを掴んで脱出。それを何度か繰り返して全員の救出に成功したのである。
幸い捕まっていた時間が短いようで、咳き込んではいるが全員息をしているのを確認できた。
「ごほっごほっ」
「このバカっ、アホっ」
倒れている少年たちに悪態を吐きながら、ミゥが引き摺って戦場から引き離す。
何故ならシノンの突入で四散したはずのスライムが、何事も無かったかのように動きだし、再び一つの巨大な形状へと戻っていたからだ。木が二、三本は丸々入りそうなほどの大きさである。
「スライムはコアを貫かないとダメだし面倒なんだよなー」
その様子を静かに見ていたシノンは、疲れたようにため息を吐き出しながら頭を掻く。そこから戦闘直前の緊張感は伝わってこない。
「ミゥはその子達を街まで送ってくれ」
「……ま、仕方ないわね」
本当はシノンの戦う様子を見たかったのだろう。彼女も残念そうにため息をこぼすと、用意してあった紐で少年らを一まとめに縛り上げると、六人もの少年を担いで街に向かって走り出した。
「まぁ、あの様子なら多分大丈夫でしょ」
少女に担がれる少年たちという光景に笑いを浮かべながら、シノンはスライムを切り裂いたナイフを仕舞う。その瞬間、タイミングを見計らっていたかのように、スライムが身体から触手を伸ばしてシノンに襲い掛かった。
だが、一本、二本と難なくかわすシノンは、一本の木に近付くと両手で抱えて根っこごと一気に引き抜き、迫る触手をなぎ払った。
「いやー、ほんと耐久力は無いんだよね」
枝葉で振り払われビチャビチャの握りこぶし程度の大きさに飛び散った触手だが、それでも欠片は動き本体へと向かって移動を始める。この生命力の高さが厄介な魔物なのだ。
「よしっ、じゃあせーのっ」
ただ、シノンは特に悩むことなく、スライム本体目掛けて木を何度も何度も振り下ろす。最初のナイフによる攻撃などとは比べ物にならないほど、枝葉によって細かく散らばっていくスライムだが、それでもまだ元気に動いている。
しかし、シノンは焦ることなく叩く作業を続け、本体も細かくなって散らばると木を手放して破片の一つ一つを見回す。そして、何かを見つけたのかナイフを抜いて欠片の一つへと近付いていった。
「ここかな? こっち?」
そう言いながら地面を這う欠片を突き刺す。他と比べて特に違いはないように見えるが、シノンが何度か突き刺すとそれだけでなく、飛び散った他の欠片も一緒にドロドロと崩壊していった。
「よし、終わりっと」
分裂して生き抜くことも可能なスライムだが、コアが出来上がる前に本体を倒してしまえば一緒に崩壊するのだ。周囲を見回してスライムを倒したと確信したシノンは、ナイフを仕舞って街へと戻るのだった。
◇
シノンが街に戻ると、子供たちと彼らの両親から感謝の言葉を述べられた。子供たちからは感謝だけでなく謝罪もあり、顔を真っ赤にして涙を浮かべているところを見ると、どうやらかなり叱られたようだ。
そして、子供たちは医師の診察を受けるため病院へと向かい、シノンとミゥは一緒に家へと帰る。
「それで、どうしてこんなこと仕出かしたんだ? 外は危険だって分かってただろうに」
先に子供たちと戻っていたミゥなら、親たちが叱っている時にでも何か聞いているだろうと尋ねてみた。危険な街の外に出るほどの理由があったのか疑問に思ったのだ。
「実際に出たことないから知らなかった、大丈夫だと思ったとか言ってたけど、私が序列の試験で森に出たことを知ってそう思ったのかも」
眉を顰めて表情を硬くしながらミゥは口を開いた。今回の騒動を起こしたのはミゥより年上の十六歳の少年がリーダーで、年下の女の子に負けられないという意地やプライドがあったのかもしれない。
そんな彼らの気持ちも分からないでもないシノンは、隣を歩くミゥを横目に見ながら両手を頭の後ろで組んで、なるべく気楽な口調で声をかける。
「ふ~ん……まぁ、どっちにしろバカな理由だなぁ。ミゥが気にすることはないよ」
「ハァ? 何当たり前のことを。私が気にするわけないでしょ」
呆れたように少し大きな声でバカにされるが、その発言が彼女の本心かどうかシノンには分からない。
ただ強がりだったとしても、それが出来るだけで少しは安心できるというもの。シノンは外方を向いたミゥには見えないところで口元を綻ばせる。
「あ~~、お腹空いた~~。早く帰ってモニカに何か作ってもらおう」
「……ま、序列として働いてたし、今日ぐらいはゆっくりしててもいいんじゃない」
「うぉっ、ミゥがデレたっ」
「デレって何よっ。いっつもアンタは何もしてないんだから、それぐらいはやって当然でしょっ」
からかわれたミゥは手を振り上げ、シノンは叩かれないように逃げ出す。二人は騒々しく追いかけっこをしながら、山道を登ってモニカの待つ我が家へと帰っていくのだった。