花粉症のふたり
花粉症のふたり―――見守る、くしゃみの行方⁉―――
「へっふんっ!」
昨日から始まった3月。そして、昨日から始まった花粉症・・・玲の。
「なに?『へっふんっ』って」
「へっふん!」
俺の質問にさえ、くしゃみで答える失礼さ。
「だぁー・・・鼻水ぅー」
「汚いし、ぶっさいくなくしゃみ」
もうそろそろバイトへ行かないといけないのに、玲はコートも着ないでくしゃみばかりしている。昨日開けたばかりだという保湿抜群の贅沢なティッシュボックスの中身は、そろそろ底をつきそうだ。
「宗ちゃんはっ・・・へっふんっ!・・・花・・・花っ粉!」
「なに言いたいのかよくわかんないけど、さっさと支度してよ。俺、早めに出たい人なんだけど」
そんなこと、言わなくてもわかってると思うけど。
「いま・・・ぐずっ・・・コート・・・へっふんっ!」
「・・・・・・」
玲は極度の花粉症。といっても、ここ数年はこんなにひどく出たことがなかったから、そんなことはすっかりと忘れていたけれど。今年はかなりひどいらしい。ちなみに俺は、まったく花粉症がない人。
「お疲れさ―――」
「へっくしょんっ!」
バイト先に着くなり、挨拶しかけた俺を遮って帰ってきたのは、藤堂さんの思いっきりのくしゃみ。
「藤堂さ・・・へっふんっ!」
「あ、玲ちゃ・・・へっくしょんっ!」
「・・・・・・」
休憩室内では、くしゃみで会話をすることが流行り始めたらしい。
「ちょっと藤堂!フロントで絶対しないで!」
「はー、はっくしょんっ!」
返事を遮り出るくしゃみに、最初からご機嫌斜め気味だった里佳さんの機嫌はより一層悪くなったようだ。
「昨日からこれで、全然だめなの」
休憩室のゴミ箱には、すでにティッシュボックスの空き箱が捨ててあった・・・ちょっと待って、あれ、資源ごみなんだけど。
「玲もラウンジで絶対くしゃみしないで」
「へっふん・・・」
くしゃみで落ち込んだふりしてもダメ。っていうか、衛生的にダメ。
「三井くんは花粉ないのね」
「全然ないですね。里佳さんも余裕そうですね」
「上京してからちょっとはあるけど、藤堂ほど豪快なくしゃみは出ないわね。目はかゆいけど」
くしゃみ連発で向かい合わせのソファーに座り、真ん中に挟まれたテーブルのボックスから交互にティッシュをひきだして鼻をかみ続ける玲と藤堂さんを見ながらため息を吐いていると、またくしゃみ。
「はっふんっ!・・・田部井、藤堂、早く来い」
「・・・・・・」
超一流のホテルマンとしての自覚はどこに・・・?
まるでくしゃみがなかったかのようにきりっとした顔で主任がふたりを呼んだが、俺と里佳さんは、くしゃみの衝撃で無反応になってしまった。
「・・・主任も花粉症なんですね」
「そうだ。でも、大丈夫だ」
そんな、きりっとした顔で鼻かみながら言われても・・・。
「ばっぐしゅっ!」
そんな中、またくしゃみ。
「あ、洲鎌さん」
「お疲れさん・・・あーだり」
ウェディング部門のトップに君臨しているギリシャ彫刻のようにきれいな洲鎌さんは、今となっては見る影もない。鼻のかみすぎで真っ赤だし、普段はコンタクトなのにメガネをかけて、その目だって涙でぐしゃぐしゃ。おでこには冷えピタ。極めつけは、どこの酒やけ野郎だっていうほどに枯れた声。まるで、猛獣だ。どんなにハンサムでも、いつもハンサムでいられるわけではないと、俺たちは瞬時に悟った。
「洲鎌くん、風邪?」
「いえ、花粉で微熱です」
プランノートをばらまきそうになりながらロッカールームへ消えた洲鎌さんの後姿をみんな無言で見送った。
「と、取り敢えず、仕事しよう」
「はい」
俺と里佳さんだけがすっきりしているまま、ホテルのチェックインは始まった。
「はい、アイスティーとアイスコーヒー、モンブランのひとつですね」
玲がいいながら、お客さんの前から逃げるように戻ってきて、俺に注文メモを投げるように渡して、奥に引っ込んで鼻をかむ。鼻をかむ音が聞こえていないことだけが唯一の救いだ。
「ちょっと、玲」
「ん、なに?」
「レモンと砂糖とミルクのこと訊き忘れた?」
いつもはストレートとブラックでも書いてあるトッピングメモがない。
「だって、鼻水垂れそうだったから・・・」
「・・・はぁ・・・」
俺は仕方なく、シュガーポットとミルクポット、それに小皿に輪切りのレモンを添えて客席へ運んだ。
「お待たせいたしました」
お客さんは海外の方で、にっこり微笑んでくれたけど、玲の接客が不十分なことには変わりない。
「玲、今日は交代。裏やって」
「え、でも・・・」
基本的に、人付き合いが苦手な俺は当然接客だってあまりしたくない。玲のおかげで仕方なくここでバイトしているだけなのだ。だから、普段は玲が注文を取って、俺がそれをセットする。でも、今日の玲じゃ、お客様に失礼すぎて任せられない。
りんりーん♪
玲が渋っている間に客席のベルが鳴らされて、俺は玲より先に注文を取りに行く。
「はい、かしこまりました」
注文を取って、ニッコリ笑顔。別に、やりたくないだけで、できないわけじゃない。
「玲、カフェオレ・・・やっぱり、タルトお願い」
玲はコーヒーが飲めないから、そんな玲にカフェオレなんか頼んだら、それはほとんどコーヒー牛乳になってしまう。
そんなこんなで、何とかクローズタイムがくる。
「はぁ・・・顔が引きつってる」
ロッカーで着替えながら、ふと見た鏡の中の俺は、普段使わない顔の筋肉を酷使したおかげで、心なしかひきつっているように見えた。
「へっふん!」
「はっくしょん!」
休憩室からは玲と藤堂さんのくしゃみが交互に聞こえる。
「玲、帰るよ」
「はぁい」
玲はマスクをして、今日はマスカラもなしで花粉対策もばっちり。
「目がかゆくなっちゃった・・・」
帰りの電車でもずっと目をかいている。
「玲、やめときな。かけばかくほどかゆくなるよ」
「うん・・・」
「洲鎌さんみたいにメガネにすれば?」
「目悪くないのに?」
「花粉用のが売ってるじゃん」
終始ぐずぐずな玲とふたりで、いつもの山道をたどる。
「宗ちゃん・・・」
「ん?」
「花粉なくして・・・」
「できればそうしてあげたいけど、無理だね」
「冷たい・・・」
「温めてあげるよ」
玲が俺に言った『冷たい』は俺の返事のことだろうけど、俺は山道で立ち止まって玲をぎゅっと抱きしめてみた。
「はふっ?」
驚いた玲が挙げた意味不明の声が可愛くて笑いそうになった途端。
「へっふん!」
ムードも何も台無しだ・・・最初から、ないかもしれないけど。
「ちょっと、コートに鼻水飛ばさないでよ」
「宗ちゃんが・・・へっふん!・・・こんなことするから、宗ちゃんの、へっふん!・・・コートの花粉が・・・へっふん!・・・とんだんじゃっふん!」
もう、くしゃみ連発で会話もままならない玲に、笑うしかない。
「ごめんごめん、さっさと帰ろう」
玲の頼みでも難しいこともあるんだね・・・結婚したら、高性能の空気清浄機買ってあげるから、もうちょっと待っててね。




