シルバーウィークのふたり
シルバーウィークのふたり ―――見守る大型連休、秋の日々―――
いいよ。ただし、玲も俺の言うこと聞いてくれるならね?
「どっかつれてって!」
どこかで聞き覚えのあるフレーズ・・・すでに聞き飽きたフレーズとともに、俺のシルバーウィークが幕を開けた。
「どっかってどこ?」
ちなみに今日は、9月18日(金)
「楽しいところ」
「楽しいところってどこ?」
俺が返せば、玲は少し眉をしかめて考える。ちなみに今、バイトからの帰り道。電車を降りて、家まで歩いている途中。
「ディズニーランド」
「混んでるからやだ」
「じゃあ・・・どこか遊園地」
「混んでるからやだ」
俺が言えば、玲はぷくんと頬を膨らませて俺を見上げる。俺はいつも通り指で頬をつついてやる。
「じゃあ、どこならつれてってくれるの?」
「俺の部屋」
「え?」
「俺の部屋に連れてってあげる」
あと5分で家に着く。けど、今日じゃないよ。俺が狼男になったら玲も困るだろ?俺も割と困るから。
「宗ちゃんのお部屋?」
「うん。楽しいところに連れてってほしいんだろ?」
玲は不思議そうに首を傾げている。
「そうだけど・・・宗ちゃんのお部屋で楽しいことって?」
玲と俺はよくお互いの家を行き来しているけど、たいていは同じ部屋の中でふたり別々のことをしている。玲の家のリビングなら玲はお菓子作りをして俺は映画を観る。俺の部屋なら玲は本を読んで俺は腹筋する、とか。
「なに?玲は俺といて楽しくないの?」
「そ、そんなことないよ!宗ちゃんといるの、楽しいよ!」
俺の不機嫌さを察知した玲は慌てて首をぶんぶん振る。
「じゃあいいね。この連休は俺の部屋で決定」
「わぁ、やっぱり混んでるね」
9月20日(日)箱根湯本駅 午前11時32分
「来なくても予想できるだろ」
「じゃあ、いこっか」
玲は俺のセリフを見事に無視してチケット売り場に並んだ。
「玲、大丈夫?」
「うん・・・」
ついた先は仙石原案内所。玲がどうしてもラリック美術館で“サラ・ベルナール”のユリの冠が見たいと駄々をこねたため、神崎・三井両家の人身御供として差し出された俺は玲に付き合ってバスに揺られること40分。だが、途中事故渋滞に遭ったりしている間に、玲はバス酔いしてしまった。
「レストランで少し休もうか」
美術館併設のレストランでお茶をしながら玲の様子を見る。
「宗ちゃん」
「ん?」
「もう大丈夫だから、いこ」
具合が悪くなるのも割と早いけど、戻るのも早い玲。俺と玲は幼稚園以来のラリック美術館へと足を踏み入れた。
館内で玲は一切喋らない。美術館や博物館が好きな玲のおかげで、俺はほとんど必ず同行するが(俺が後輩との先約で同行を断った時に小橋に白羽の矢が当たってしまったことがあり、俺は柄にもなく大層焦った)、館内ではいつものおしゃべりな玲はいない。じっと真剣にガラスケースに見入っている。俺は玲を見失わないように玲の後ろを少し離れて玲のペースに合わせてゆっくりと歩いている。
玲はただ、静かに芸術の溢れた空間に溶け込んでいく。こんな時、俺は美術品や展示物を眺めているよりも、玲を眺めている時間のほうが長い。たとえ入館料金がどれほど高かろうと、俺にとっては玲をゆっくり眺めている方が有意義なのだ。
「・・・・・・」
美術館を出てからも、玲はたっぷり5分はしゃべらない。俺は玲のペースに合わせて歩き、玲が話すのを待つ。
「ねえ、宗ちゃん」
「ん?」
およそ1時間ぶりに聞く玲の声。
「ちょっとお土産屋さんに寄っていい?」
入り口傍のレストランの向かいのミュージアムショップ。
「もちろん」
この先は玲はきゃいきゃいとはしゃぎながらお土産を見て回り、でも大体あまり買いたいものが見つからなくて(あって食べ物くらいだから)、美術館の何が素敵だったとか、これがすごかったとか話しながら帰路につく。
「・・・・・・」
玲が珍しく何かに見入っている。隣に立って屈めば、それはサーカスのピエロのようなカラフルな二つの香水瓶。金ベースに赤と白。金ベースに孔雀色と白。
「どっちがいいの?」
「え?」
「これ、見てたんじゃないの?」
「あ、うん、どっちも可愛いね」
玲はそう言いつつも、次の棚に移動していった。
帰りの湯本行のバスは、大層混んでいた。途中で席をお年寄りに譲って俺たちは立っていたが、乗車率は200%といったところで、途中のバス停からの乗車客を運転手さんが断るほどだった。
「玲・・・」
途中でさらに混み始め、俺は目の前に立っていた玲の腰に腕を回して自分の身体に抱き寄せた。
「え?」
「混んできたから、詰めないと。それに、掴まるところ、ないだろ?」
我ながら、なんてもっともらしい言い訳なんだろう。でも、玲は大概抜けているから、俺のこんな行動と言葉だって疑いもしない。
「宗ちゃんは・・・」
玲は見上げて、俺がちゃんと掴まっているのを確認した。日常的には無駄と思えなくもない俺の背の高さはこんな時に役立っている。
「ほら、他のお客さんに迷惑になるから、こうしてな」
俺は玲をくるんと振り向かせて、自分の胸に抱き付かせてみた。
「うん・・・」
玲は素直に抱き付いた。
玲、本当に俺のことは意識してないんだね?つまり俺は男として全くどうも、何とも思われてないんだね?
そんな虚しいことを俺が再確認したところで、バスは再び発車した。
「それにしてもすごい混みようだったね」
結局、大平台駅の先から道が渋滞しているらしいアナウンスを受けて、俺たちは降りて、強羅鉄道へと乗り換えた。こっちもまあまあ混んではいるけど、バスほどではないし、渋滞もない。なにより、電車のほうが格段に玲の乗り物酔いのリスクが低い。
「途中で降りてよかったね」
「そうだな」
“そうだな”なんて表面上の俺は答えているけど、全然そんなこと思ってない。だって、あのままの体勢で渋滞とか、本音を言えば大歓迎。玲が俺に抱き付いてることに心臓が持たない気もしたけど、俺の精神力を考えればそれくらいのことには耐えられるだろう。
「宗ちゃん?」
「ん?」
「なに考えてたの?」
「へっ?」
なにって、玲のこと考えてたよ。しかも、かなりよこしまな感じに。
「なんだかぼーっとしてるみたいだったから。疲れちゃった?」
「いや、そんなことないよ」
大平台から箱根湯本まではスイッチバックを経て2駅。
「ねえ、宗ちゃん。帰りにくずきり食べたい」
玲は車内のポスターを指さす。箱根湯本駅近くの甘味屋さんの広告らしい。そう言えば、出かける前は“箱根スイーツコレクション”とかなんとかはしゃいでたのに、バス酔いで具合が悪くなってしまい、それどころではなかった。玲にしては珍しく、ランチも軽めで、デザートなし。おやつもなしで夕方を迎えている。
「いいよ」
「わぁい」
喜んでいる玲はとても可愛い。この笑顔が俺のおかげだったらいいんだけど、あいにく俺はくずきりに負けている。
「まずはおひとつ」
いつもは玲だけデザートで俺はコーヒーとかお茶だけなんだけど、くずきりはとても美味しそうですっきりしていそうだったから、珍しく俺も頼んだ。
「ほら、玲」
先に運ばれてきた分を玲の前に置いてもらう。玲は俺の分が運ばれてくるまで待つつもりで箸に手を伸ばそうとしないのを見て、店員さんが一言付け加えてくれた。
「おひとつおひとつ手作りで作り立てが美味しいので」
玲はちょっと首を傾げた。
「玲、先に食べ始めな」
「うん」
ほどなく俺の分も運ばれてきたので、俺も食べ始めた。朱塗りのお椀に半透明の平たいくずきりと氷、それに青梅の甘露煮と南天の枝が添えられている。
「美味しい!今まで食べたくずきりの中で1番美味しいよ」
「そうだね。かなり美味しい」
だが、半分ほど食べたところで玲の箸が止まった。
「美味しいけど、ひとつだけ残念・・・」
俺は玲の言いたいことがなんとなくわかった。
「この枝が可哀想・・・」
玲の器には椿の葉が添えられていた。確かに、この1杯のために一枝が使われているとしたら、植物には気の毒だし、とても贅沢だ。
「玲、じゃあ、この贅沢をめいっぱい楽しもう。そしたらきっと椿も南天も少しは報われるから」
俺が言えば、玲はこくりとうなずいて、再びくずきりを食べ始めた。
「うん!本当に美味しかった!」
帰りの電車の中でも玲はまだくずきりを絶賛中だ。
「よかったね」
「うん!」
駅から家まで20分。そろそろくずきりの話はいいよね。玲と帰る駅から家までの20分はいつだって俺にとって1番特別な時間。
「宗ちゃん」
「ん?」
「今日もどうもありがとう」
「どういたしまして」
この20分間だけは、俺は玲を独占できるから。
「じゃあ、明日はどこ行く?」
「明日は、俺の部屋。衣替えするから手伝って」
「私の衣替えは?」
「じゃあ、俺のは午前中、玲のを午後やろうか」
「うん!」
明日は今日よりもずっと玲を独占できるかもしれない。
ごめんね、玲。俺の思考回路はいつだって玲を独り占めするためによこしまに働いている。




