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スケートリンクのふたり 後篇

   スケートリンクのふたり   ―――見守る氷上 後篇―――


「宗ちゃん、早く!」

 玲が俺をせかしてようやくついた赤レンガ倉庫。夕暮れも迫っているのに、スケートリンクは混んでいて、俺は仕方なく玲と一緒に列に並んだ。

「スケート靴込みで二人分お願いします」

 俺は窓口で¥2000を払った。玲はいつも財布を出すのが遅い。というか、ほとんど何をするのも俺より遅い。

「宗ちゃん、お金・・・」

「あとでいいよ。とりあえず靴履こ」

 スケートなんて小学校5年生のスケート教室以来だ。滑れるのか?

「宗ちゃん、できた!」

 スケート靴に履き替えた玲の靴紐をもう一度きつく結びなおしてふたりで込み合うリンクにあがる。手すりにつかまってリンクに立った。さほどの不安定さはない。うん、いけるかも・・・なんて考えていたとき、後ろからぎゅっと抱き付かれた。

「っ!」

 驚いて振り返ると目をつぶった玲が俺の腰にしっかりと抱き付いていた。

「玲、抱き付いてたら滑れないよ」

 玲の思いがけない行動に、自分の心臓が飛び出しそうな勢いで鳴るのを止めようと胸に手を当てたけど、意味ないらしい。

「無理・・・怖いっ!転ぶっ!」

 自分で来たいって言った癖に。

「わかったから、腕離して」

 俺は腰に回された腕をゆっくりと外して玲の左手を自分の右手でしっかりと握った。玲と手を繋いだのはたぶん、小学校低学年以来。腰に抱き付かれているよりはましだけど、心臓がいつもよりうるさいことには変わりない。

「・・・絶対離さないでね?」

「わかったよ」

 玲、今の言葉、一生忘れないで。

「足をハの字に運んで。ゆっくりよりも少しスピード出したほうがバランス保てて転ばないかもしれない」

 当りが闇に包まれて、イルミネーションが煌めきだした頃、スケートリンクの人もまばらになり、俺たちは徐々にスピードに慣れてきた。

「宗ちゃん、ひとりで1周してきていいよ」

「え?」

「だって、私が一緒にいたら、ゆっくりしか滑れないでしょ?」

 まあ、確かにそう。

「じゃあ、1周だけしてくる。すぐに戻るから、玲はここにいてね」

 そう言って入り口付近の手すりに玲をつかまらせ、玲の手を自ら離してしまった。


「きゃぁっ!」

「!」

 入り口から一番離れたところでかすかに聞こえた悲鳴は間違いなく玲のもので、俺はそれまで以上のスピードで玲の元へと戻った。

「玲!」

 さっきと同じところにしゃがみ込んで足をおさえている玲と、傍に立って玲を見下ろしている男。

「玲、どうしたの?」

 痛みのあまりか、玲は唇をかみしめたまま一言もしゃべらない。

「あの、なにが?」

「ちょっとぶつかっただけです。たいしたことありませんよ」

 玲は我慢強いほうだ。その玲がこんな状態なのに、たいしたことないだと?

「ちょっと?」

 俺は立ち上がって相手の胸ぐらをつかんだ。俺の顔立ちはどっちかっていうと、多分、迫力が足りない感じだろうけど、背は高い。だから、立ち上がればある程度の威圧感は出るはず。

「・・・大体、こんなとこに突っ立ってんのが悪いんだろ・・・」

「謝れよ!」

 声を荒げかけた俺のジーパンの裾を玲が無言で引っ張った。

「宗ちゃん、私がぼんやりしてたからいけないの・・・だから、そんなに怒らないで」

「玲・・・」


 俺は玲を連れてリンクを後にした。救護室のベンチに座らせて慎重にスケート靴を脱がせた。見たところ捻挫だろう。ただ、玲がタイツを履いているから怪我の具合がよく見えない。

「玲、タイツ、脱げる?」

「えっ?」

 玲が絶句する。それはそうだろう。今日の玲はミニスカート。俺だって、こんなところで脱がせたくない。でも、怪我の具合は確かめたい。

「大丈夫!歩ける!」

「うん、無理だと思う」

 無理して立ち上がった玲をもう一度座らせる。腫れてきた足首に湿布の1枚も張らなければ。

「玲、許してね」

 俺は着ていたジャケットを玲の腰に巻き付けた。

「やっぱり、タイツ脱いで。湿布してテーピングで固めるから」

 救護室で湿布とテーピングを借りる。

「あ、やりましょうか?」

「大丈夫です。俺、慣れてるんで」

 係りの男の人が声をかけてくれたけど、玲の足なんかほかの男に触らせられるわけない。

「宗ちゃん・・・」

「すぐに終わるよ」

 手早く済ませて、玲は元通りタイツを履く。

「立てる?」

「うん」

 不安そうに俺の手につかまって立ち上がる。

「歩ける?」

「うん」

 ゆっくりと歩きだす。


「宗ちゃん、歩けるよ」

 タクシーと電車を乗り継いでついた自宅の最寄り駅。金曜の夜だけあってタクシー待ちは長蛇の列。最終バスは20分前に行ってしまったらしい。

「無理に歩くと悪化するよ。ほら」

 俺は玲の目の前にしゃがむ。

「えっ?」

「おんぶしてあげるから」

「い、いいよ!歩けるもん!」

 玲が片足でぴょんぴょんと跳ねる。

「家に着く前1時間以上かかりそう」

「・・・・・・」

 俺が冷たく言うと、玲は諦めて俺に背負われることになった。

「ごめんね、重くて」

 耳元で玲の声がするのはなんだか新鮮だ。

「ほんとだよ。明日からはもっと真剣にダイエットしてよ」

「はい・・・」

 暗い夜道を玲をおぶって帰る日が来るなんて。

「宗ちゃん、ごめんなさい」

「明日からダイエットすればいいよ」

「そうじゃなくて・・・」

「ん?」

「・・・無理言って一緒に行ってもらったのに、こんなことになっちゃって・・・」

 玲が泣きそうな声で言う。負ぶってるから顔は見えないけど、きっと泣きそうな顔してる。

「いや、俺こそごめん」

「え?」

「俺が玲の手を放したりしたから・・・離さないって言ったのに」

 本当に、後悔している。

「でも、すぐに助けにきてくれたでしょ?」

「そりゃあね」

「ありがと」

「どういたしまして」

 ぽつりぽつりと話しつつ、気づけば家まであと少し・・・背中に感じるほっこりとした温かさを離したくなくて、俺はわざと歩調を緩めた。



 玲、この先いつだって、こんなふうに俺を頼って。俺はもうその手を、離したりはしないから。





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