第二十八話 ずるして悩み事
竜の眠る湖。その畔にある町では夜間でも警備が行なわれている。
しかしその警備は思っていたよりも杜撰だった。伝説と謳われる地を守るという名目ではあるが、歴史的、文化的価値はあるかも知れないが、金銭的な意味で湖の周囲は驚くほど何もない。
それに加えて一周二十キロ近い距離があるため、歩哨をするのも大変である。それにその日はどういうわけか湖の周辺に濃い霧が出ていた。
故にその人影に気がつく者はいなかった。
町から数キロほど離れた地点で人影は闇に紛れ、湖面を駆けていく。まっすぐに伸びた氷の橋は、やがて溶けて誰にも見つかることはなかった。
「正直道を作ってくれたのは助かったけど、本当についてくる気か?」
「はい。当然じゃないですか」
湖の中央で、のんきにも人影……アトラとミリルはそんなやりとりを交わした。
足元はミリルの作り出した氷の足場があるため水に沈むことはないが、浮いている状態なのでバランスを取るのが難しいのにも関わらず余裕なものだ。
ついてくる気まんまんのミリルに対し、苦笑いを浮かべつつアトラは頷いた。周囲を闇と霧が覆ってくれているお陰で二人のことに気がつく者は誰もいないが、だからと言ってあまりここでのんびりしているわけにもいかない。
「……わかった。それじゃ行くぞ」
最終確認を終えて、アトラがミリルの手を取る。
詠唱を開始して唱える魔法は『竜巻』。本来は上へと巻き上がる風の渦を制御し、自らを包み込むようにして水中へと推し進めていく。
湖の中央にぽっかりと穴が空いて数瞬後、二人の姿は湖面の下に消えた。
いくら透明度の高い湖と言えど、夜になれば水中は真っ暗だ。やがて自分の姿さえ見えなくなるほどに暗くなると、ミリルは隣にいるアトラの腕にしがみつく。
この時、アトラとしても今回はミリルを連れてきてよかったと思った。何も見えない水底というのは、予想していたよりも精神的にくるものがあったのだ。
そんな状況だからこそ傍に誰かがいてくれるというのは心強い。
確かにそこにいるという感触にお互いを支えあい、空気の渦は湖底へと辿り付いた。
そこでようやく光を放つ魔法を使う。
ほんの十数秒程度の時間とはいえ、精神的負荷はあったようで二人揃って安堵の息を吐く。
先代の遺産が荒らされるのも湖を荒らしたと糾弾されるのもごめんだったため、ここまで遠目から発見しやすい光源は廃したのだが、もう少し色々と考えてから潜ればよかったと軽く後悔しつつ周囲を見渡した。
湖底は水草や苔に覆われており、逃げ送れて風の渦に囚われたのか数匹の魚がぴちぴちと跳ねている。
恐らく千年の間に誰かしらが養殖でもしようとした名残なのだろう。人工的に生まれた湖でも、長い月日の中でしっかりと生態系は作られていたようだ。
食べられる魚であったためにミリルにしっかりとしめられて保管されるのを横目に、アトラは問題となっていた場所に目を向けた。
そこには湖底だというのに、石を積み上げた灯篭のようなものが設置されており、丁度中央に手が入る位の穴が空いていた。
明らかに手の加わっているこれが先代の残した何かなのだろう。
導かれるようにアトラは手を伸ばす。
穴の中に手を入れた瞬間、欠落していた情報が脳裏に浮かび上がった。
「これはまた……なんていうか、何で今まで気づかなかったかなぁ」
得られた情報に、アトラは苦笑する。もしかしたら記憶を得ても、一部ロックが掛かって思考が制限されているんじゃ無いかとすら思えてくる。
「今度は一体どんな情報だったんですか?」
「いや、まぁ、なんていうか……空の飛び方だった」
得られたのは先代が編み出した空を移動する方法。この世界ではあり得なかったその魔法を先代は生み出し使っていたのだ。
今までそのことに気づかないどころか発想すら無かったのは、空を飛ぶなんて無理だと心のどこかで思っていたからかもしれない。
魔法の可能性の広さは先代の記憶を見て知っていた筈なのに、その一つ一つが高みにありすぎてそれが全てだと思いこんでいたようだ。
この分だと、もう一度魔法に対しての向きあい方を改めないといけないと考えつつ、得られた情報を何度も繰り返し思い返して理解を深めていく。
飛び方は一つではなく、複数用意されていた。どれも魔法の使い方が普通とは異なっており、その発想力にはアトラも舌を巻かざるを得ない。
この記憶を譲り受けている以上、この柔軟な発想は見習わないといけないだろう。
「こうして見ると、本当に先代は凄い人だったんだなぁ」
「それを引き継ぐ兄様も、十分に凄い人だと思いますけど」
「いや……俺に比べたら、そうだな。化け物だな、先代は」
ミリルの言葉に対して、アトラは苦笑を返すほかなかった。
今あるアトラの持つ知識や技術は、ほぼ全て先代のものであり、自分自身のものと言えるのは剣の腕前位のものでしかない。それだって、先代の記憶に世話になっているのだ。
「……高すぎる目標だけど、目指さないわけにはいかないよな」
例え並ぶことはできなくても、せめてその背を見ることができる位までは。
一人、そんなことを呟き、アトラはミリルを連れて浮上を開始する。
その日の夜、アトラは自分に何ができるのかを延々と考えていた。
一週間後、アトラ達は首都に程近い街までやってきていた。
首都近郊ということもあって人通りの多い賑やかな街だ。立ち並ぶ家々も屋根がオレンジや赤茶色に塗られており、暖かい印象を受ける。
そんな街並みを宿屋の二階の一室から一瞥した後、アトラは細く息を吐き出して目を瞑った。
新しい魔法の知識を得た次の日から、アトラは静かに記憶の海に潜ることが多くなった。
剣術や体術が現状持ちえる知識ではこれ以上の発展が望めず、これからは地道に研究や研鑽を積んでいかなくてはならなかったからというのもある。
だが一番の理由は、先日得られた新しい魔法の記憶だ。それを得たことで、アトラは自らの欠点を自覚した。
(今まで気がつかなかったけど、俺には新しい何かを創りだす力っていうのが欠如してるんだな)
漠然と過去のことを思い返す。
便利な魔法を幾つも使用することはできる。しかしそれは先代の記憶にその魔法があるから。
剣の型を覚え、体捌きを身につけた。だがそれも先代の記憶の中にそうしたものがあったから。
全てが既にある知識の中にあるもので、新しい何かがアトラには無い。
それは発想力の貧困さだ。記憶を継承したが故の弊害だろう。困ったことがあっても、それに対応するための答えが用意されていたのだ。
だから困難を打破するために判断を下すことはあっても、解決策自体を考えることがアトラには無かった。
無論、先代の知識さえあれば、大抵のことは乗り越えられるだろう。最悪は武力行使に打って出ることもできる。
だがそれでは何の解決にもならない。
持っている知識ではどうにもなりません。だから力に物を言わせて突破します、では後々困ることになる。それにもしも今の自分より強いものが相手だったら、どうしようもなくなってしまう。
自分に何ができるのか。どういう発想をすれば新しい何かを創れるのか。それを知るために記憶を掘り起こす。
「……はぁ」
重々しいため息をついてアトラは空を眺めた。
まるで今の気分を表すようにどんよりと曇った空は、今にも泣きだしそうだ。
雨の中長距離移動するのは億劫だし、体力も消費する。恐らくあの雨雲が通り過ぎるまではこの街に足止めを食うことになるだろう。
それが今はなんとなくありがたかった。
窓の向こうから視線を戻し、再度、まるで眠りにつくかのように瞳を閉じて、アトラはゆっくりと記憶の海に沈んでいった。
そんなアトラを心配そうに見つめてミリルは眉根を寄せる。
アトラの異変には、当然の如く気がついていた。
付き合いの短いジルベルト相手には上手く誤魔化しているようだが、こうして二人きりになると途端に沈みこむのだから、気がつかないはずは無かった。
「……私じゃ力になれないことなのかな」
小さく呟く。
ミリルには他人の記憶が自分の中にあるという感覚はわからない。けれど千年前の英雄と呼ばれる人物から、記憶と遺志を託されることの重さは想像ができる。
アトラはあくまでできる範囲で、と言っていたが、そのできる範囲でだって辛いものだと思える。
何しろ常に比べる対象は託した本人である英雄であり、英雄本人は軽く口にしていたらしいが求められたのは国にすら影響を与えるような常識の改変だ。
自分には絶対に背負えないことだろうな、とミリルは思った。
背負うのは今だけでなく未来も含まれるのだ。失敗をすれば、多くの人から責められるだろうし、謗られるだろう。
世界が敵になる。それはとても怖いことだ。
「……兄様」
小さく呼びかけても、深く沈みこんだアトラは目を閉じたまま動かない。
ミリルは一人分の距離を開けて、アトラの隣に座り込むと膝を抱えた。
あの時、自分に対してアトラがそうしてくれたように、力になれなくても、僅かでも支えられたならと願って。
やがてぽつりと窓に水滴が当たる。
降り始めた雨は次第に勢いを増し、ものの数分で本降りとなり窓を叩き始めた。
急に降り始めた雨に、窓の外から騒がしい声が聞こえてくる。耳を澄ますと、階下からは雨宿りのために軒先にやってきたであろう人たちの声が聞こえてくる。
「触るんじゃねぇ! きたねぇガキがっ!」
そんな声の中で、一際大きな声が響いた。
安定して文字が書けない今日この頃。小説以外にも色々やりたいことがあって、時間が足りない……。
待っていてくださった奇特な方々には感謝を。
これからも少しずつでも進めて行こうと思います
ここまで読んでくださりありがとうございます
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