第十話 ずるして翼竜討伐
紅蓮の炎が視界を埋め尽くす。
アトラが咄嗟に張った防壁は上手く炎を分散させて散らしているが、魔力を練る時間が短かったこともあり、炎の勢いに軋みをあげていた。
『結界』の魔法のお陰で直接火に炙られるという事は無いが、アトラの魔法では直接の火は防げても上昇する外気までは防げない。
じりじりと肌を焦がすように温度を上げる空気に内心焦りながらも、アトラは呼気を整えて叫んだ。
「こんっ……のおっ!」
地面を思い切り足で踏み鳴らすと同時に、無詠唱魔法によって大地が隆起する。
地属性中級魔法『隆起する大地』。
真下から打ち上げるような岩の一撃を顎に喰らい、ワイバーンのブレスは漸く止まった。
とは言え流石は亜竜か。ダメージがあるようには見えず、ただ口を閉じさせられただけのようだ。
それでも警戒はしているようで唸りながら二人を見据えるワイバーンに、アトラは小さく舌打ちをした。
「逃げてくれないか……空が飛べる以上逃げるのは難しいな。やるぞ、ミリル!」
「わ、わかりました!」
いきなりの状況に若干戸惑いながらもミリルもアトラに従い、槍を構える。
アトラは先代の記憶の中からワイバーンの情報を探し出す。
ワイバーンは正確には竜ではなく、それに最も近い魔物の一つだと言われているものだ。
二本の足と尻尾で器用にバランスをとりながら地を駆け、蝙蝠のような翼を広げて空すら飛び回る。
風の属性魔法を使い、吐き出す炎は鉄をたやすく溶かす。その癖その表皮は刃を弾くほどに強靭で、魔法に対しての耐性も高いというふざけたスペックだ。
今アトラたちの前にいる個体は体長が六メートルほどと通常より少し小柄な体躯をしているが、それでも十二分に脅威だ。暴力的な質量はそれだけで武器になる。
振るわれる翼や尾の一撃だけでも、下手すれば命を落としかねない。
「大地の槍!」
「氷の槍!」
牽制で魔法を放ちながら、二人は弾かれたように別方向に走り出す。
アトラは大地を、ミリルは池の水面を凍らせて蹴ることで水上を走る。
放たれた氷と岩の槍はワイバーンの体に突き刺さる一瞬前に何かに防がれたように勢いを殺し、表皮にぶつかって砕けた。
どうやら体の表面に魔法に対する防御膜のようなものを形成しているらしい。
やはり生半可な魔法は通りそうにない。
「グルァァッ!」
ワイバーンは大地を蹴り、真っ直ぐにアトラに向かうと、体を反転させてその尾を振り回す。
巨体故に一歩の距離も長く、その尾の長さも相まって間合いが測りづらく、アトラは安全圏を見切るのに失敗した。
(予想よりも動きが疾いし、射程も長いっ)
咄嗟の判断でアトラは後ろに飛ぶと同時に、三枚の障壁を張る。内一枚を自分との距離を固定して張った。二枚の障壁が尾の速度を僅かに鈍らせ、固定していた三枚目に当たる。
最後の障壁が砕かれるまでの僅かな時間の間に、アトラの体は見えない何かに押し出されるように後ろにずれた。
障壁と自分の位置関係を固定することで攻撃を受けた際に相手との距離を離す技術だ。
魔法戦に特化していた先代が近接戦を避けるために編み出した技の一つ。
大きく後ろに吹き飛ばされながら体勢を整え、木々にぶつからない様に軌道をずらして着地する。
「あっぶな。覚えといてよかった、っとぉ!」
追撃の突進を慌ててその場を飛び退いて避け、視界を遮るように水弾を飛ばして牽制して一定の距離を保つ。
アトラは視線を走らせてミリルを探すと、大声で叫んだ。
「ミリルっ、一瞬で良い! 動きを止められるか?」
ワイバーンを挟撃しようと位置取りを調整していたミリルは、アトラのその言葉に大きく頷いて再び泉に向かって走り出した。
「任せてください兄様!」
どうやって、とは聞かない。ミリルがやれるというなら、それを信じてアトラは自らの役割を果たす。
義妹の力強い返答に口元に獰猛な笑みを浮かべ、アトラは二本の小剣を引き抜くとワイバーンに向かって突っ込んでいった。
離れればブレスや尾の一撃が飛んでくる。近づけばそれらを封じる事はできるが、逆にその質量による暴虐に晒されることになる。
だがミリルの準備の時間を稼ぎつつ誘導するにはこれが最善手だ。
アトラはそう判断してワイバーンの領域に足を踏み入れる。
振り下ろされる翼爪やアトラよりも太い足に寄る蹴り上げや踏み付けを避け、あるいはいなす。時折放たれる風の刃は、避けられないものだけ同じく風の刃でもって相殺した。
まともに受ける事はできない。骨だけで済めば良いが、動きが止まれば追撃で終わる。
体ごとずらして打点を避けつつ、かわしきれない攻撃は手に持つ小剣や篭手を使って軌道をずらし、その威力に乗るようにして衝撃を逃がす。
それでも弾き飛ばされる地面の破片や、逃がしきれない衝撃が少しずつアトラの体を打つ。
少しずつ溜まっていくダメージを無視して、アトラは逆に一歩を踏み込んで振り下ろしの翼の一撃を反らした。
無謀とも思える踏み込みによって生じた一瞬の隙にワイバーンの体を駆け上がり、その首筋に小剣を叩きつける。
キン、という音を立てて小剣が折れた。
(魔法も斬撃も半端なものは通さないとか反則だろ!)
次第に余裕のなくなってきたアトラは毒づく。
じりじりと押されつつ後退を続ける。残った小剣も篭手も随分と痛んでおり、下手な使い方をすれば今すぐにでも壊れそうだ。
次の一手のために魔法はあまり使えない。かといっていつまでも捌ける様な優しい攻撃ではない。
どうするべきか、と悩んでいたアトラは、不意に首筋を撫でる冷気を感じて薄い笑みを浮かべた。
「……反撃だ」
小さく呟くと同時に振り下ろされた翼を大きく後ろに飛び退いてかわす。
ワイバーンが吼えて鼻先をうろつくアトラを食い殺そうと顎を開くが、一瞬早く後ろに下がって食いつきの範囲から抜ける。
挑発するようにアトラはその鼻先を蹴り、更に付かず離れずワイバーンから逃げ続けた。
「グルァァァァ!」
腹立たしげに吼え声を上げながら、ワイバーンはアトラを執拗に追いかける。
自分より遥かに小さい存在が仕留められないことに苛立つ亜竜は、目の前にいるアトラだけを食い殺そうと集中していてその先の存在に気づいていない。
『氷雪の神。その優しき腕にてその者を長き眠りにつかせる安寧の檻を創りたまえ。それは慈悲、それは慈愛、それは戒め。全てをその氷の下に等しき眠りを』
朗々と澄んだ声色が聞こえ、アトラはワイバーンに背を向けると全力で駆け出した。
ぐんぐんと距離が離れ、漸くワイバーンがその存在に気づいた時、その人物は自らを見下ろすほどの高さまで飛び上がっており、そしてワイバーン自身は池の中央へと足を踏み入れていた。
飛び上がっていたのは金の髪の少女だ。大きく体を捻り、槍を構えている。
ミリルは全ての魔力を槍に籠め、自らを見上げる亜竜の足元めがけて魔槍を投げる。
「氷の棺!」
最後の魔法名の詠唱と共に籠められた魔法が開放される。
槍が突き刺さると同時に、池の氷は全て凍りつき、周囲の温度が急激に下がったことにより結露するどころか空気中の水分が凍ってダイヤモンドダストがきらきらと宙を舞う。
這い上がるように氷は亜竜の体を蝕むと、その体の半ばまで氷の檻に閉じ込めた。
体が凍り付く痛みにワイバーンが吼える前に、ぎゃりぎゃりと氷を削る音がワイバーンのすぐ傍から聞こえた。
アトラは氷の上を滑りながら刀の柄に手をかけた。
「はあああああぁぁぁぁぁっ!」
裂帛の気合と共に踏み出した足が氷を踏み砕き、鞘から刃が抜き放たれる。
最低限の身体強化のみでワイバーンの攻撃を凌いでいたのはこの一撃の為。
尋常ではない魔力が籠められた刀身が青白い軌跡で弧を描きながらワイバーンの首筋に吸い込まれた。
「ギャオオオオオォォッ!」
今度こそワイバーンの悲鳴が上がった。
アトラの一閃は首の半ばまで食い込み、その首の骨に当たって止まっている。
ワイバーンが暴れることで血が降り注ぐ中、アトラは体勢を崩すことなく更に魔力を刀に流し込んだ。
アトラがメインウェポンとして選んだ刀には、強度上昇ともう一つ切断力強化しか刻まれていない。
逆を言えばその二つがあれば良かった。アトラが刀に求めたのは、他の武器では出せない全てを切り裂くような鋭さだ。
その二つの術式に全力で魔力を籠める。
耐え切れず刃から悲鳴にも似た響きが漏れ出した。
「まだまだぁっ!」
食い込んだ刀の柄に左手も沿え、アトラは突き刺さった刃を引き落とすように振りぬいた。
ビキッという響きと共に刀の刃が根元から折れる。代わりに刃は僅かに首筋の残り四分の一程度を残してワイバーンの首を頚骨ごと断ち切っていた。
ぶらん、と力なく頭部が垂れ下がり、噴出した血が溢れ落ちる。
返り血をしとどに浴びながら、アトラは数歩下がり、その場で仰向けに倒れた。
「に、兄様っ」
慌ててミリルが駆け寄るが、その足元もおぼつかない。
先ほどの魔法にその魔力の殆どを注ぎ込んだらしい。ふらふらと歩み寄り、アトラの傍らで足を滑らせて転ぶように座り込む。
「大丈夫ですか? 兄様」
「……だ、大丈夫」
息も絶え絶えと言った感じで呟くアトラに、ミリルは安堵の息を吐き出した。
服や防具はあちこちぼろぼろになっているが、大きな怪我は見当たらない。多少蓄積したダメージはあるかも知れないが、どうやらミリルと同じく、無理な魔力の使い方をして疲れているのが主な原因のようだ。
その証拠にゆっくりと体を起こしたアトラはミリルに安心させるように笑いかけると、立ち上がる。
「とりあえず血の臭いをこれ以上広げないためにも回収しておこうか」
そう言って身体強化によって酷使して振るえる右手を伸ばし、ワイバーンの死体を空間収納に仕舞う。
突き刺さっていたワイバーンの体がなくなったことで、折れた刃が音を立てて落ちた。その際の衝撃でばらばらと細かな破片になった刀身を見てアトラは大きなため息をついた。
「こりゃもう使えないか。全力で魔力籠められるだけのものが欲しいなぁ」
「……兄様の魔力に耐えられるものなんてあるんですか?」
「そりゃあるよ。とは言ってもどれも希少なものばかりだから……まぁ暫くはメタルワームの金属で作った刀で繋ぐしかないね。予備も数本作っておいた方が良いかもしれない」
幾ら他の剣よりも薄い刀とは言え、強度上昇の掛かった刃を一撃で圧し折るなんて事は普通ないのだが、実際に使ってみて一振りで折ったアトラはそんなことを呟いていた。
折れて刀身のなくなった柄の部分も片付け、体を解しながらアトラは周囲を見回す。
亜竜のブレスが通った後は酷いものだ。目算で二十メートル近く木々が燃え尽きて尚、ぱちぱちと火種が広がりつつある。他にも周辺で暴れまわった所為で折れた木々の数も相当あり、周囲の風通しが非常に良くなってしまっていた。
それらを確認した後、ミリルを下がらせると炎の魔法を放ってワイバーンの血を焼き払いながら泉の氷を溶かした。
元通りの流れを取り戻した水を利用して、ワイバーンのブレスによって未だに燻っていた森を火事にならないように鎮火する。
「あの、兄様……魔力切れになっていたのではないのですか?」
先ほどまでだるそうに倒れていたアトラが平然と魔法を連発しているのを見て、ミリルが控え気味にそう聞くと、不思議そうにアトラは首を傾げた後思い至った用で一つ頷いた。
「ん? あぁ、さっきのは一気に魔力を全身に流したことの反作用だよ。魔力切れとは別だから安心して」
「そ、そうなんですか?」
「そうそう。確かに大分魔力消費しちゃったけど、これくらいならまだ大丈夫。ただこのままだと酷い筋肉痛になって明日動けなくなりそうだから、後で治療しないと」
しかしワイバーンの攻撃はやばかったなぁ、などと笑いながら話すアトラを見て、ミリルは深く考えることを止めて『流石はアトラ兄様』と笑みを浮かべた。
アトラの理不尽な性能に対して、引くどころか賞賛と好意を浮かべる辺り、ミリルの常識外れ具合も大分進行しているようだった。
初めて魔法の詠唱らしい詠唱が出てきました。考えるのは楽しいですが、終わってみて落ち着いてからちょっと、こう、なりますよね?
ちなみに設定では、無詠唱よりも詠唱した方が威力が高くなるというのはあります
より強いイメージとそれに伴う魔力を籠められるから、という理由付け
手だけで振り回すだけのジャブより、打ち込む場所や力の乗せ方を考えて引き絞った状態から撃つストレートの方が威力が高いのが道理って物です
作中ワイバーン設定あれこれ
大体の性能は作中で紹介しましたが、体長は平均して5~8mが普通です
尾に毒針があるタイプにしようか迷いましたが、それはまた別種にすることにしました
この世界で竜種と亜竜種の区別は、鱗があるかどうかで判断します
ワイバーンもあるにはありますが、皮膚扱いなので亜竜となります
一定以上の大きさの鱗を持ち、鱗とその下の皮膚とで別個に捉えられるものが竜種となっております
ここまで読んでいただきましてありがとうございます
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次の更新は未定です。またある程度書けたら更新します
2014/9/3
この話は特に変更しておりません




