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第1話



 高速道路でバイクにまたがり、四輪車の脇をすり抜けながら、アクセルをふかす。

 そんな時、自分も鳥のように自由に飛べるような予感が湧き起こる。

 地面を蹴って、翼をはばたき、空気の抵抗につかまって、ふわりと浮く。後はヒューと風を切って好きな方向に飛んでゆくんだ。家々の屋根が道路で仕切られたカラフルな田畑のように小さくなり、大きなビルの窓に太陽が反射して、こちらをまぶしそうにみつめている。車より速いスピードで走っている電車もゆっくりと這っているようだ。

 鳥になりたいって気持ちは誰でも少しはあるんじゃないかな。

 どうして、そういうことに憧れるんだろう。

 自由?うん、それは自由だな。しかし、俺は自由になったら何をしたいのか?

 そう問いかけると、答えはまだ空の彼方だ。



 1第一木曜日


 その晩、準一は大学時代からの親友小林伸吾を誘って飲んだ。

 居酒屋から始まって、焼き鳥や、おでん屋と渡り歩き、準一のアパートに辿り着いた時は真夜中をまわっていた。「俺、自分とこに帰るよ。」と言い出した伸吾を、サラリーマンになっても大学時代と同じノリで「いいじゃん、泊まってけよ、それとも帰らないと心配するような女がいるのかよ?」と迫る。

 準一が冷蔵庫から缶ビールと枝豆を取り出してくると、伸吾はチェストタンスの上にある、かなり時代めいたラジオを触っていた。

「なんだ、これ、古臭いなあ。」

「おう、すごいだろ、ラジオじゃなくて、ラヂオだぜ。」

「何?」

「ラジオは普通シに点々だろ、でもこいつは裏面の表示見たらチに点々で、しかもオヂラって読み方も逆なんだ。」

「へえー。」

 たぶん昭和初期ぐらいのものだろう。一見して目立つのは前面上部に半円がみっつ並んでいて、真ん中の半円が左右より高くなっている。サザエさんの頭をイメージしてもらうと似ている。ラヂオの幅は三十センチほどだから、今の技術からしたら無用にでかいラヂオだ。

「これで玉音放送とか聞いたんじゃないかな。」

「ギョクオンて?」

「ほら、太平洋戦争で天皇が国民に敗戦を知らせた放送だよ。」

「あ、あれね。どこから拾ってきたの?」

「駅の北にディスカウントの店、あんだろ。」

「あ、質屋みたいな、それでいてちょっとした新製品のディスカウントも並んでる店。」

 伸吾はそう言いながら、直径4センチほどのダイヤルをいじっていた。

 もっともダイヤルといっても、長い年月で目盛りが消えたのか、はたまた始めから目盛りをつける技術がなかったのか、何も目印がなかった。もうひとつつまみがあるがそれは明らかに空回りしているようだった。

「その店で液晶テレビのラックが目についたんで、入ったら、偶然隅っこに、そのラヂオがあってさ、古い映画の小道具みたいで面白いなあと思って買ってしまったんだ。」

「でも、ミスマッチだよ、色も、形も、大きさも完全に周囲から浮いてしまってる感じだよ。」

「いいんだよ、ミスマッチでも。なにしろこのラヂオ、すごいんだぜ。」

 準一は、子供が友達に秘密を自慢そうに打ち明けてやる時の気分を思い出していた。

「それな、ちゃんと放送が聴けるんだ。」

「へえー、こんなに古いのに?」

「ああ、ちょっと待ってろ。」

 準一は茶色いコードから伸びた丸いプラグをコンセントに差し込んだ。

 すると、サザエさんの頭部分のスリットの布張りからガガーガーと雑音が流れた。

 準一がダイヤルを微調整すると、音質はこもっているが、聞き覚えのあるクラシックの曲が流れた。

「へえー。」

「どうよ?感動した?」

「うん、でも考えてみれば、電波の原理は昔から変わりないんだから、聞こえても当然なんだろうけど……。」

「けど、感動的だろ?」

「うん。」

「じゃあ、感動のしるしに。」

 準一は伸吾と缶ビールで乾杯した。

「このラジオは、別な局は入らないの?」

「うん、ちょっとまわしてみなよ。」

 伸吾はのっぺらぼうのダイヤルを少しずつまわしてみたが、時々ピーとかガーとか雑音がするだけで、まともに聞き取ることはできない。あきらめて元に戻して、クラシックの曲に合わせた。

「どう、最近、バイクで遠出してる?」

 伸吾は壁に貼ってあった、準一が撮影した釧路湿原の写真を眺めて聞いた。

「いいや、近場ばかりだな。遠出する暇がないよ。」

「ふふ、社会人してるね。」

 ラヂオの曲が切り替わり、時代遅れの仰々しいテーマ音楽が流れた。

「すげえ曲だな、国営放送以外ではありえない。」

「まったく。」

 そこでアナウンサーが大上段に構えてタイトルを宣言した。

『わが人生』

 準一と伸吾は顔を見合わせて噴き出した。

「わがジンセイだって。」

「よくも恥ずかしげもなく、そんなタイトルつけるねえ。」

 準一たちにさんざんにけなされているとも知らず、アナウンサーは型通りの挨拶をよこす。


『今晩は。毎月、聞いてる方が驚くような方をお招きして、その方が送ってこられた興味深い人生について述べていただく、わが人生のお時間です。

 今回は太平洋戦争中、艦上爆撃機に操縦士として乗り込んでおられた鈴木久仁彦さんのお話を四週連続でうかがいます。

 鈴木さん、どうぞ、よろしくお願いいたします。』

 アナウンサーが振ると、ややしわがれた老人の声が答えた。

『はい、よろしくお願いします。』

 声の印象から白髪の薄くなった老人がお辞儀するシーンが思い浮かんだ。

『早速ですが、鈴木久仁彦さんがお生まれになられたのは何年ですか?』

『はい、自分は大正八年に、広島の阿渡町という、当時はまだ阿渡村と言ってましたが、そこで農家の次男として生まれました。』

『子供の頃はどんなお子さんでしたか?』

『自分は成績が良いわけでもなく、また悪くもない、元気だけが取り柄のありふれた子供でした。』

『その頃はどんな遊びをされてましたか?』

『やはり、日清、日露と戦争に勝ってしまった後ですから、男の子は兵隊ごっこが一番の遊びでして、広島は呉、江田島に海軍がありましたから、海軍ごっこをしてもよさそうなものですが、しかし、どういうわけか、ガキ大将ってやつは陸軍大将になりたがるものでして、当然のように、陸軍ごっこをしたわけです。』

『兵隊ごっこというのは階級なんかもつけるわけですよね。』

『ええ、それが肝心なところです。自分は伍長とか少尉とか、働きに応じてガキ大将に階級を上げられたり、下げられたりするわけです。』

『働きといいますと?』

『いや、たいしたことじゃありませんよ。畑から西瓜や梨をかっぱらってくるとか、駄菓子屋の婆さんをおびき出すとか、気に入らないやつを落とし穴でひとあわ吹かすとか。』

『ははは、昔の子供は結構、わんぱくだったんですよね。』

『はあ、そうですよ。昔は遊び道具なんてあまりありませんでしたが、その代わり今の子供らより遊んでたような気がして、今の子供らは可哀相です。』

『その後、学校はどうされました?』

『昭和十一年、田舎から広島市に出て、広島高校、今で言う大学の文科に進みました。』

『次第に雲行きのおかしくなりだした頃ですね。』

『ええ、しかし、アメリカとの戦争が始まるまでは、のんびりと言いますか、冷静に成行きを見守っていたように思います。』

『では学校生活は普通で?』

『はあ、普通です。今と比べたら男女共学ではないですから、むさくるしい学生時代だったかもしれません。』

『それでも、華やかな青春の思い出はおありでしょう?』

『いやあ。』

『恋の思い出もお話しいただく約束ですが。』

『はあ、全部、話すつもりがどうも恥ずかしくていけません。

 当時、私は広島市内の民家に下宿していまして、同級生に水谷章という親友がおりまして、彼も広島の別な民家に下宿していたのです。その下宿先のお嬢さんというのが、私の恋の相手でした。』

『ほお、親友の下宿先のお嬢さんですか。』

『名前は芙美子と言いまして、女学校に通っており、歳は私たちよりひとつ下でしたが、これがなかなかの別嬪でして。

 最初、下宿を訪ねた時は、そんな美人がいるとは聞いてませんでしたから、水谷相手に大声で教授の陰口を叩いておったのです。』

『はい。』

『そこへ突然、お邪魔しますと涼やかな声がかかりまして、別嬪さんが笑みを浮かべながらお茶を持って入ってきたので、まあ、驚きました。

 肌は博多人形のように白く、鼻は高くないが整って、唇も釣り合って小さく紅が似合うのが、浅葱色の裾をさばいて、藤色の地に菫模様、帯は若草色、胸元に袱紗の萌黄色を覗かせ、いや、あたかも畳に突然、一輪の紫陽花が咲いたようでした。』

 伸吾は眠そうにもたれながら、それでも目は閉じずにラヂオに向いていた。準一も缶ビールを持ったまま老人の過ぎ去りし恋の話の行方に耳を傾けていた。

『自分は決まりが悪いやら、お嬢さんの顔を盗み見てぼーっとするやら。

 そのあげく、うっかりお茶をこぼして、はい、お嬢さんは咄嗟に懐の袱紗を取り出して、拭いてくれました。

 水谷はようやく、お嬢さんが近くの女学校に通っているそうだと紹介してくれ、お嬢さんはひとしきり私に水谷と同じ教室なのか、出身はどちらか、などと問いかけて、それではごゆっくりと下がったのでした。

 それから水谷と他愛もない話をしましたが、胸の中ではなにやらときめくような心地でして。』

『ははあ、一目惚れですね。』

『その通りです。

 それからというもの、朝、起きては思い出し、昼下がりに面影が不意と浮かび、飯を食べては溜め息を吐き、夜も思い出しては眠りにつけず、みっともなくて傍から見られるもんじゃなかったと思います。

 なんとか心を通じたいものだと考え、これは二人きりになったら気持ちを打ち明けようと考えもしました。当然のように自分はお嬢さんに逢いたさで、しょっちゅう水谷の下宿に遊びにゆくようになりました。』

『打ち明けるチャンスはありましたか?』

『ええ、そうするうち、水谷が不在の時がありまして、彼の部屋に通された私は、今日こそ想いを打ち明けようと決心して、お茶はまだかと待ちました。

 その間の緊張といったら、まるで胸の内に心臓が三十ぐらいあって一斉に脈打つために、息ができないような感じでした。

 そして、いざお嬢さんがお茶を持って入ってくると、頭の中ではこれを口に出すのだと決めてる言葉が、少しも喉まで降りて来てくれないのです。ただ学校がどうの、天気がああだ、こんな映画を観たとか、せっかく二人きりなのに、三人の時とまるで進歩のない話しかできません。情けない話です。』

『いえいえ、恋というのはそういうものでしょう。それでどうなりました?』

『そんなこんなで半年も過ぎたでしょうか。

 水谷はすこぶる気のいいやつで、誰かが授業を欠席すると頼まれる前からノートを貸したり、金の工面に困ってるやつがいればみんなに少しずつ出してやろうと持ちかけ助けてやったり、かと思うと女学生を口説いて振られたなどと臆面もなく公表したり、言いにくいですが猥談も得意でした。

 しかし、ことお嬢さんのこととなると、私がさりげなく聞いてもあまり話したがらないのでした。

 私より接する機会の多い水谷に対する私の嫉妬からくる印象かもしれませんが、嫉妬には妄想の部分と、極めて鋭い直感の部分があるのです。その直感の部分で、私は水谷もお嬢さんに惚れているのだと信じました。』

『なるほど。』

『それで、水谷の不在をこそこそ待つのではなく、思い切って水谷に自分の気持ちも打ち明けて正々堂々としようと考えたのです。それは水谷がほんとにいい親友だからでもあります。』

『はい。』

『そこで水谷に(自分は最近、夏目漱石の「こころ」を思い浮かべるのだ)と言いました。あれは下宿の娘に学生二人が恋をして悲しい結末が訪れるという話ですから、水谷もすぐに私の言いたいことを悟ってくれました。

(うむ、実は俺もそれを考えていたのだ。あれはよくない話だ。)

(俺もあんなのはお断りだ。水谷のようにいいやつを裏切るなどはまっぴらだ)

(じゃあ、二人、同時に芙美子さんの気持ちを確かめてみよう)

(それは名案だ。)

(それで振られた方は潔くあきらめ、なおかつ男同士の友情は絶対変えずに保とうじゃないか)

(うん。そうしよう。それこそ友情というものだ。)

 こうして私は水谷としっかりと握手したのでした。』

『それでお嬢さんに聞いたんですね?』

『はい、ある日、少し離れた神社にお嬢さんを散歩に連れ出しました。

 行きの道は水谷が付き添い、帰りの道は自分が付き添い、それぞれに気持ちを告白しました。』

『はあ、珍しい告白の仕方ですね。それでお嬢さんの返事はどうなりました。』

『肝心の返事は、お二人ともそういう対象と思ってなかったので、時間をかけて考えさせてほしいとのことでした。

 それはもっともな答えだと思いました。ただ、お嬢さんに打ち明けたことで、自分と水谷は気持ちがすっきりして、互いに以前より深い友情を感じました。

 そしてお嬢さんも前よりうちとけて、三人寄ると賑やかに楽しい時をすごせました。自分らの三角関係に対立はなく、鼎立して安定して平和だったのです。』

『なるほど。時間の方がきてしまいましたので、今週のわが人生はここまでとさせていただきます。鈴木さん、お話、どうもありがとうございました。』

『お粗末さまでした。』


 わが人生が終わると、ラヂオはまたクラシックの曲を流し始め、準一は電源を切った。

「古い話だな。」

「ああ。古い話だ。」

 伸吾の返事を聞きながら、準一は伸吾と奈緒美をめぐって今の鈴木老人の話のように三角関係になっているかもしれないと考えた。

 大学時代、準一と伸吾はゼミで知り合った奈緒美と絵美と四人で付き合い始めたのだ。そのうち、準一は奈緒美と、伸吾は絵美とペアで付き合うようになって、ふた組ともうまくいきそうな感じがした。しかし、絵美は三年の終わりに突然、退学して田舎に帰ってしまって伸吾との関係は消滅した。

 しかし、準一は、元々、伸吾が奈緒美を好きだったのではないかと感じていた。そのため、絵美は伸吾の心をはかりかねて、田舎に引きこもってしまったのではないかという想像も成り立つ。

「じゃあ、俺、帰るよ。」

 伸吾はそう言うと、ビールの空き缶をキッチンに置いて、帰り支度を始めた。

「悪かったな、引き止めて。」

「いや、また呼んでくれよ。」

 準一は伸吾を送り出すと、鈴木老人の話を思い返した。

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