エピソード9 夫人の脅威
豪邸、レッドアイ。
奥のオフィスでは、ウッドが部下を集めていた。
「軍に目をつけられた。この町での活動を一時休止する」
そして、机の上に紙束を乱暴にたたきつけるように置く。
「これに目を通しておけ。隣のチャップマン州で、現地のギャングと手を組んで新たなる麻薬流通を始める。そしてうまいこと軌道に乗ったら、向こうを制圧して、ここでの活動も再開する。さあ、お前ら。荷物をまとめて引越しの準備にかかれ。大きな荷物や趣味のものは置いていけ、邪魔になる」
「ボス、奥にいる女たちはどうします?」
「明日にでも人買いのところに売りにいけばいいさ」
「そうですかい。……ところでボス、ウォー○マンやiP○dとかは持って行ってもいいんですかい?」
「小さいものならまぁいいだろうが、どうしてこうも時代違いの物ばかりしょっ引いてくる……?」
「じゃあ、ねんどろ」
「好きにしろ、このオタクが!」
こうして、ギャングのレッドアイ一味の活動は、一度凍結することとなった。
引っ越し準備開始。
部下たちが、ありとあらゆる小物をボストンバッグなどに詰め込んでゆく。
そんな中、ウッドはハットを深くかぶり、葉巻たばこに火をつけ、横目でちらりと、壁と一体化している壁を見やる。その向こうには、麻薬におぼれ、考えることも感じることも放棄した女性たちがいる。
そんな、やがて人買いに売り飛ばされるであろう彼女たちの過去を振り返り、ウッドは思う。
「……そう、誰も」
深く付いたため息。
煙が、もくもくと吐き出される。
「誰も、『あいつ』の代わりにはならなかった……」
一方、ジェーンは。
レオンと共に彼の部隊を率い、レッドヴィルの町を目指し、荒野を駆けていた。
「軍そ…… あ、いえ少尉、これからどうするおつもりですか? しかも、そんな格好までして?」
レオンはジェーンに訪ねる。
現在のジェーンの姿は、赤く輝く絹の布地にフリルをふんだんにあしらった、華麗なドレスとケープ(マントよりもはるかに短い、肩にかける衣類)に、丸い鍔のハットといった姿。靴も、ハイヒールとまでは行かないが、足先がとがったレディースで、ハット、ドレス、靴のどれも、ピンクと真紅のバラのボタンを飾っている。
「まだ違和感がある? じゃあ僕のことは、そうだね、先輩とでも呼んでくれる? それに、もう退役した身だしさ」
鍔の下からのぞくのは、抑え目に化粧を施し、ピンク色のルージュを引いたジェーンの顔。大して化粧をしていないはずなのに、麗しい美少女に変身してしまっていた。
「分かりました、ええと、先輩」
「頼んだよ、レオン」
ジェーンはまず、あのギルドに訪れていた。
「ほう、あの時の軍人のお嬢さんかい。どうした、今度は踊り子の仕事でも探しているのか?」
「いいえ。今日は聞き込みに来ました。ウッド・ジェームズという男、ご存知ですか?」
「ああ、知っているとも。流通系の商売をしていると聞いたが、それがどうした?」
「彼を探しています。もっと詳しいことを知っていたら教えてください。あるいは、ジェームズのことについて知っている人がいたら、紹介してほしいんですが」
ジェーンと軍は、ウッドに関する情報の収集から開始した。
そしてその日の夕方、散り散りになった人員が集合し、ホテルで会議を開く。
レオンが報告の全てをまとめ、新たな紙に、確認内容を書き記してゆく。
「ウッド・ジェームズ。旧名ウッド・スミス。現在37歳。過去、鉄道専門の強盗犯として、バウンティーハンターのジュード・ヒコックに逮捕されている。服役して今は刑期を終え、オフィスアイテム流通系の企業『レッドアイ』を開いて今に至る。で、その一方でよからぬ噂もあり、女性たちの誘拐、人身売買、麻薬密売、そして殺人まである。だが、いずれも彼がやったという証拠はなく、指名手配には至っていない様子。そして、現在の彼の住まいは、流通企業レッドアイ所在地でもある、レッドヴィル西端のあたり。……ここまでが、今日1日で、ボクたちが集めた、彼の情報だ」
「ほう、この町の西端か」
大柄で筋肉自慢の軍人が、あごひげを撫でながら言う。
「しかしどうする、軍曹さんよ。いきなり俺たちが押し入ったって、何の容疑でウッドを逮捕する? それらの噂に対する証拠はねぇ、手配もできねぇんだろ?」
別の青年軍人も言う。
「表向きは流通企業ですし、ほかのクライアントも出入りするような屋敷です。どうやって麻薬の流通までしているっていう、逮捕令状をつきつけられるだけの理由を……」
そう言う部下たちに、レオンは答えた。
「何も麻薬のことについてだけ考えなくてもいいじゃん。ここに、旦那を目の前で殺されたっていう、れっきとした証人がいるだろ。まずは殺人容疑で逮捕。そこから、ほんの少しのでっち上げで強引な家宅捜索。ウッドの体から麻薬反応が出たと言えば、会社マルマル調べることができる。そこから、麻薬の仕入先と販売先を特定すれば、麻薬の注通を根こそぎ駆ることができる。一石二鳥、いや、鳥何羽でも狩れるはずだ」
ほうほう、と誰もがうなずく。
しかし、でっち上げとはまたすごいことをやりますね、と軍人のひとりがレオンに言う。
「悪の根を絶つためだ。多少のいかさまくらい、神様仏様閻魔様も、許してくれるんじゃねーの?」
そう笑顔で答えるレオンに、ジェーンは少し呆れたような口調で言った。
「あはは。レオンってば、相変わらず信心深いねぇ」
「えぇ~? そうですかね、先輩?」
この日は、ホテルに泊まって一夜を過ごすことにした。
ジェーンも、せっかくの化粧を落とし、ある人から預かった化粧セットをテーブルの上に置いて、この日はゆっくり休むことにした。
さて。
これは先日のこと。
武器を大量にそろえ、完全なる装備をバギーに積み終えたジェーン。
彼女はレオンと共に、少数部隊を結成して、敵陣に乗り込むつもりでいた。
そこに、大佐の奥さんのレオンハート夫人がやってきた。
「ちょっとよろしい?」
その言葉に、装備を確認しているジェーンは、夫人の方に向き直った。
「はい? ……こ、これは、大佐の奥さん! お久しぶりです、元、レッドヴィル陸軍所属、ジョニー・デツェンバー軍曹改め、ジェーン・ヒコック少尉であります!」
姿勢を正し、敬礼をするジェーン。
そんなジェーンに、夫人は彼女の頭のてっぺんから靴の先まで見渡し、言った。
「ええ、旦那から聞いているわ。TS病にかかってしまったんですってね。あらあらあら、それにしても、あれからずいぶん大きくなって、ええと、その、可愛らしく、なっちゃっ、て…… うん、その、とても……」
レオンハート夫人は、かつてのジョニーと今のジェーンを比べて、いろいろと困惑している様子。だが、共にいた大佐が夫人に言う。
「まぁまぁ、本人もいろいろ困っているんだし、そっとしておきたまえ。……ところでジェーン。きみに折り入って、話があるんだが」
「はっ」
ジェーンは直立し、大佐に向き直る。
「今回のジュード・ヒコックの敵討ちを兼ねた任務が完了したら、きみをわが家族に迎え入れようと思うのだが、どうだろう?」
「は、はい……?」
ジェーンはマヌケな声を返した。
そんなジェーンに、大佐は言う。
「ジェーン、きみも知っているだろう。私の息子はふたりとも、きみの父、アレクサンドル中将…… 先の大佐と共に、隣の州との戦争で戦死した。いや、あれは凄まじい戦いだった。生きて帰ってきた者がいただけでも奇跡的な戦いだったね」
「そ、そうでしたね」
「それで、わがレオンハート家には、もう子どもが残されていないんだ。きみさえよかったら、私たちの娘になってほしいのだが?」
「え…… ………… ………… ……僕が?」
大佐は、うむ、とうなずく。
「大佐と、奥さんの?」
夫人も、にこやかな笑顔を返す。
「え、ええと、あの、その……」
「作戦前に混乱させてしまってすまないが、私たちは本気だ。家族を失ったばかりで辛いのは察するが、だからと言ってきみに同情しているわけではない。長年、きみと共に築いてきたその信頼関係を、今度は家族として、またはぐくみたいと思っているのだよ。きみからしてみれば、突然軍を追放されてそんな気持ちではないかもしれないが」
「…………」
ジェーンは押し黙る。
軍追放云々はいいとして、今から命がけの戦いになるかもしれない作戦に臨もうというのに、そういう話はないんじゃないか。ジェーンは、うつむいたまま返す言葉を探せないでいた。
そして、静かに口を開き、ジェーンはポツリと、つぶやいた。
「ご好意は、ありがたいのですが……」
「うん」
「今は、決められません。ビリーの敵討ちも終わっていない。それなのに、別の人の家族になるなんて…… 僕、今はまだ、このままでいたいです」
「そうか。それもいいだろう」
大佐はしっかりと、ジェーンの言葉にうなずいた。
だが、夫人はそう簡単に引き下がるような人ではなかった。
「じゃあ、ジョニーく…… ええと、じゃなくてジェーンちゃん。最後に、あたしからのお願い、聞いてもらえないかな?」
「はい、それならば」
「じゃあ、こっちに来て。あまり時間は取らせないから」
嘘ばっかりだ。
時間は取らせないと言いながら、時計の長針が何度回ったか数えられないくらい、ある部屋に閉じ込められていた。
「じゃあ、次、こっちを着てみて!」
「次、これ!」
「あ、こっちも似合いそうよね?」
「あ~んも~、ジェーンちゃんったら何着ても似合うわ!」
レオンハート夫人がジェーンにしたお願い。
「僕、あとどれだけ着ればいいんですか……?」
「あたしが満足するまで!」
たくさんの衣服やドレスを着てもらうこと。
カラフルだったりシンプルだったり豪華で芸術的だったり幻想的で花びらのようだったりと多種多様なドレスが、クローゼットには山と用意してあった。ほかには、ハンガーラックにはレディースのスーツ、燕尾服、タキシードなど公の場用や潜入任務に使いそうなものが用意してある。
まだ許せる範囲だ。だが、どう考えてもおかしいことが。
――あまりにフィットしすぎてる、この服。
――まるで、僕のためにあつらえられたような服ばかりだ……!
偶然であることを、心の底から祈るジェーンだった。
そして、翌日。
作戦実行当日の朝。
まるで何かに洗脳されたように、ジェーンは自ら、夫人にこう申し出た。
「すみません、昨日のドレスを着て、今日の任務に臨みたいと思います。だから、あれ着させてください」
「あら、大歓迎よ! ついでに、お化粧もしちゃったりしてもいい?」
それを見て、大佐は酷く恐怖したという。
妻に、ジェーンをあれほどまで変えてしまう力があったなんて。
大佐が震えながら見守る中、ジェーンは少し前までのジョニーの姿からは想像もつかないほど、壮絶な美少女に変身していた。
「え、ちょっと待ってください、これが僕ですか……?」
鏡の前に立ち、自分の姿にうっとりするジェーン。
そんなジェーンの両肩に手を置き、夫人は言った。
「あら、自分に惚れちゃった?」
「はい…… こんな姿、ビリーに見せてあげたかったなー……」
その日、大佐は1日中、使い物にならなかった。
そして四六時中つぶやいていた。妻は怖いと。
ホテル。
ジェーンは、自分に割り当てられた部屋で、目を覚ます。
ボケーッとしたその表情は、何かを探し求めるようにうろうろと視線を動かしてばかり。そして、やはりボケーッとした顔で、小さくつぶやく。
「……そっか、ビリーは死んだんだ」
静かな空気が、部屋を包む。
途端、ジェーンの目に涙がたまる。
目の前でビリーが死んで、彼の葬儀が終わって、たくさん流したはずの涙。
だが、ジェーンの涙が枯れることはなかった。
彼への想いが、大きすぎた。
「ビリー、ビリー……」
布団を抱きしめ、胸の奥で爆発しそうな感情を押し殺そうとする。
だが、心は解き放たれることを求める。
「ビリー…… あぅっ、僕、きみのことが…… はうん! 忘れられない…… 僕、苦しいよ、切ないよ。体の芯が、心の奥が、ずっと、ずっと奥が…… んっ!」
爪が布団を引き裂き、熱い吐息が枕にかかり、少女の甘い香りが部屋に満ちる。
「はうぅぅぅぅぅぅ! ビリー、ビリー、僕のところに帰ってきてよ! きみがいなきゃ、僕……っ!」
そんな彼女の声を。
ドア越しに、レオンがうずくまって聞いていた。
「先輩…… もう、ヒコックは帰ってこないのに……」
苦しいのは、ジェーンだけではない。