エピソード8 帰らない日々、還らない人
レッドヴィル州陸軍、敷地内墓地。
そこには新たなる墓が設けられていた。
掘り返された地面には、棺がゆっくりと埋められてゆく。ガラスの向こうに見えるのは、たくさんの花に囲まれた、穏やかに眠るビリーの顔。
事務的に葬儀の指揮を執る大佐と、黙って立ち尽くす軍人たち。だが、ジェーンは背中を丸め、焦点の遭わない目で、うつろな顔をしていた。
「……最後の別れを」
「………… ………… ……はい」
地面の上から、地中の埋められたビリーの顔を見る。
すると、ジェーンの表情に感情が戻ってきた。
目にいっぱいの涙を浮かべると、周囲に盛られた土に腕と頭をうずめ、大声で泣き叫んだ。何度も、何度も、愛する人の名を呼びながら。
棺の中に伏せたまま起き上がらないジェーンを残し、
軍人たちは、ビリーの死を悼んだ。
陸軍庁舎、食堂。
泥を落としたジェーンの前には、久しぶりに見るカレーがあった。
栄養は満点、味は微妙。そんなカレーに、ジェーンは懐かしさを覚えることもなかった。
最初は熱々の湯気を立ちのぼらせていたが、いつの間にかすっかり冷め、カレーの表面には薄い膜ができていた。
そんなジェーンの前に、長テーブルを挟むようにして、ひとりの軍人が座った。
「お久しぶりです、軍曹。……いえ、少尉」
「……え?」
ジェーンの前に座ったのは、髪を短く刈り込んだ、爽やかな表情の青年。明らかにジェーンよりも年上なのに、彼女に恭しくお辞儀をする。
「ああ、レオン。今じゃきみが軍曹だっけ?」
「はい。ええと、その、ジェーン…… 少尉に、鍛えられたおかげです」
レオンは、まだ、かつての上官であったジョニーを、今の姿であるジェーンと呼ぶのに、抵抗があるようだ。
「それは、よかったね……」
久しぶりに会った者同士。
だが、ジェーンに喜ぶ余裕はなかった。
「カレー、食わないんですか?」
「うん、食欲ない」
「……あなたのそんな顔、初めて見ました」
「そうだったかな……」
それ以上の会話は、続かなかった。
ジェーンのかつての部下、レオンは、熱々のカレーを口にし、はふはふ、と湯気を口から噴き出している。元気という言葉をそのまま人の形にしたような青年だった。
会話のない食事。一方は食事に目もくれず呆然とし、一方はハイテンションであっという間にカレーを半分食い尽くす。そしてそのうち、レオンは食事のペースを落とし、口の中にカレーを溜め込んで、ふぅ、とため息をつく。
「ダメだ、この人」
レオンはカレーを飲み込むと、ジェーンに言った。
「どうしたんですか。以前のあなたなら、仲間の死をも乗り越えて、次の作戦のために最善をつくしていたじゃないですか。あの時は、ボクらの同士が何十、何百と戦争の中で死んだ。家族のようなものでした。でも、ボクらに泣いてる暇なんてなかった。泣いたら、戦死したみんなに申し訳が立たなかった!」
「…………」
「あなたはもう、本当に軍人としての誇りを失ってしまったんですか? 僕の尊敬するジョニー・デツェンバーは、死んでしまったんですか?」
「…………」
「いい加減に顔を上げろ、このアマが!」
初めて聞く、元部下からの乱暴な言葉。
それも、酷いののしり方だ。
「え……?」
「こんなところで腐ってるような人が、ボクの尊敬する人と同じなわけがない。ボクを鍛えてくれた人と、同一人物のはずがない! あんた何なんだよ! そんなところで女々しく泣いている暇があったら、かつてのようにがむしゃらに体を動かして、乗り越えてみろよ! あんたは本当に、心まで普通の女になっちまったのかよ!」
「レオン……」
「……もういい!」
レオンは、残り半分のカレーをすべて食い尽くすと、おかわりしてまた戻ってきた。
「軍そ…… 少尉。あなたは1度の食事にカレー2杯は食ってましたよね。味付けはあなたの好みじゃなかったみたいですけど、ボクは好きですよ。この辛さがたまらないんですよ、体の中で燃えているみたいな感覚が、心を燃やして、体のエネルギーになっていって。あなたもこのカレー食って、15歳って若さで、去年、今のボクと同じ軍曹になれたんじゃないですか」
「そう言えば、そうだったなぁ……」
ジェーンは、かつて自分が食べていた、懐かしいカレーに、焦点を合わす。
「カレーはね、僕の母さんの得意料理だったんだ。母さんの料理は、カレーだけじゃなくて、何だっておいしかった。残念だよ、ここのシェフ、母さんの料理を再現しきれてないんだもん。まぁ、悪くはなかったけど……」
ジェーンは少しだけ、感情を取り戻した。唇にそっと微笑を浮かべる程度だった。
その様子に、レオンも少し、安心する。
「そうだったんですか、お母様の…… ボクも、お母様手作りのカレー、また食べたくなりました。1度しか、食べたことがなかったので」
「無理だよ。もう、ビリーと同じところにいるもん。そのうち、僕も行くと思っていた」
ジェーンはようやっと、カレーにスプーンをつけた。
「僕が死ぬときは、男として、軍人として、戦場で死ぬと思っていた。あるいはサバイバル訓練のとき、下手して毒キノコを調理してぽんぺ起こして死ぬとかさ。僕、どうやって死ぬんだろ。このまま年老いて、おばあちゃんになって、縁側で日向ぼっこしながら、大往生するとか。そしたらさ、父さんも母さんもビリーも若いのに、僕だけしわしわ、よぼよぼだよ。話にならない」
「体は持っていけません。会うのは、魂だけです」
「会うのは、魂だけ……」
「本当にヒコックのこと、好きなんですね、少尉」
「うん。大切な家族だよ」
ジェーンのカレーを食べるペースが、少しずつ上がる。
すっかり冷えて固まってしまったカレーとご飯粒だが、ジェーンは食べた。
できたてカレーよりもとても熱い涙を、ボロボロとこぼしながら。
ジェーンとレオン、そろってカレーを食べつくした。
ご馳走様、とカウンターにトレーごと戻すと、ジェーンは食堂を出ようとする。
「少尉、これからどちらへ?」
「大佐ンとこ。ちょっとお願いがあるんだ。……今の僕に決着をつけて、ちゃんと明日を迎えるために。家族の死をきちんと乗り越え、僕が僕のまま、死ねるように」
「死ぬことだけが少尉の未来ではありません。先に死んだ人の分も精一杯生き、遠い未来に胸を張って家族に『会いに逝ける』ことこそ、あなたの存在意義です」
「ありがと、レオン。きみのおかげだ」
ガラスの扉を開き、ジェーンは食堂を出た。
事務室。
「大佐、失礼します」
山のように積まれた書類に向かっている大佐が、ジェーンの言葉に反応した。
「やぁ、ジョニー。いや失礼、ジェーン。何かね?」
「折り入ってお願いがあります。僕に、軍人として、いや、軍の協力者として、ウッド・ジェームズの逮捕の命令をください。それと、44口径の銃弾を、6発1セットにして5セットほどください」
「……復讐か?」
「僕個人として、ウッドに復讐したい気持ちももちろんあります。でも、それ以上に、ビリーの敵討ちと、それからレッドヴィル州のこれからの穏やかな未来のために。レッドヴィルの町には、ビリーの想い出が残っています。お友達もいますし、そのお友達が経営する酒場はとても素敵です。その酒場も、ウッドに乗っ取られようとしていました。僕は、あの素敵なレッドヴィルの町が、酒場が、あんな冷酷非常なヤツに踏みにじられるのが嫌なんです」
「そうか。……うん、よく言った。それでこそ、アレクサンドル中将(戦死して昇格した)と、最強の剣士レイニーの娘だ。きみなら、鍛えた力を、きみの正義のために使ってくれると信じている」
すると大佐は、メモのような小さな紙片にすらすらとペンで何かを書いた。そしてその上に、ポケットにしまっていたはんこを取り出すと、朱をつけ、ぽんと押した。
「これを格納庫の番をしているエリオットに渡せ。あとは、わしがすべての責任を持とう」
「ありがとうございます、大佐。……ではジェーン・ヒコック、レオンと共に作戦を開始します」
自身の復讐、
亡き夫の敵討ちを兼ね、
親しんだ町の平和を守るため、ジェーンよ銃を取れ。