エピソード2 初仕事
ジョニー、改めジェーンは、約束どおり仕事をもらうことができた。
だが、彼女が紹介されたのは、極悪人の指名手配書ではなく、それこそどこにでもいる少女にも、できそうな仕事だった。
「……居酒屋での、アルバイト、ですか?」
そういぶかしがるジェーンに、ギルドのマスターは答えた。
「そうだが? それも立派な仕事のうちだ、文句は言うな」
「うっ……! 確かにそうですが、僕は元軍人です、戦うこと以外、知らナイナイです。せめてC~Bランクの指名手配くらいもらえませんか?」
「どんな仕事でもやると言ったのはそっちだぜ? え、無職のお嬢さんよ」
「……ッ! ええ、分かりました、分かりました! やればいいんでしょ、やれば!」
……おふぁっきん。
店を出る際、そう小さくつぶやくジェーンだった。
ジェーンは早速、その居酒屋に向かった。
レッドヴィルの町、その大通りに面する、昼間から賑わっている店がそうである。
店の名前を、『ワイルドターキー』。木造2階建てで、店内は広い。2階には部屋のようなものはなく、L字型のデッキが張り出しているだけ。1階とデッキ席には円形テーブルがいくつかあり、その円形テーブルに椅子が3つで1セットとなっているようだ。また、ここでたまにライブをやるのか、ピアノが1台置かれたステージがあった。
スウィングドアを開き、ジェーンは店内に入る。やはりそこも、タバコの煙のにおいがきつく、ジェーンは顔をしかめてしまう。
――これだから嫌なんだよ。
タバコの煙は、まぁ砂避けのマフラーなどで顔を被ったりすれば問題ないだろう。
だが、それ以上にジェーンが嫌悪する理由がある。
この店の制服である。
――これを着て仕事をするとか、マジ勘弁……!
ワイルドな酒場には、ギルド同様、目つきがぎらぎらした男や、女を求めている男が、わんさか訪れている。中には恋人同士などで訪れている女性もいるが、女性だけで訪れる人はほとんどいない。……いや、見つけた。だが女性の護衛つきだ。相当なお嬢様に違いないだろう。
すると、軍服姿のジェーンに声をかけてくる男性がいた。黒い立派なスーツに身を包んでいる辺り、この店の偉いクラスの人物だろう。
「いらっしゃいませ、お嬢さん。……ええと、ひとりでいらっしゃったのですか?」
「あ、あははは、場違いでしょうかね……? ええと、僕は食事に来たんじゃなくて」
ギルドから預かった仕事リスト、それを取り出した。
「ギルドさんに紹介していただきました、ジェーン・デツェンバーというものです」
ワイルドターキー、事務所。
そこに、ジェーンと支配人、キールは、椅子に腰掛けていた。
テーブルの上には、履歴書。幼い頃から軍にいたジェーンにとって、職歴の欄は簡潔で、しかし資格の欄はびっしり埋まっている。
「ほう、きみは本名をジョニーというのか」
「はい。なんかわけの分からない病気のせいでこうなりましたけど……」
「そうか。でも、きみの年頃でよかったと私は思うよ。20代後半を過ぎてこの病気にかかると、男か女か判らない体になって、結婚も夫婦生活にも障害が出ると言われている。それよりは、完全に女性になって今後子どもも残せる方がいいと思うね」
「でも、12歳を過ぎてこの病気にかかると、アイデンティティにも問題がでるとか。現に、僕はこの体がまだ受け入れられないですよ」
「まぁ、どちらも人それぞれだろうからね。……さて、仕事についてだけど、ジョニー、もといジェーンくん」
キールは履歴書を机に置き、事務所の片隅を見やる。事務所は更衣室も兼ねており、カーテンで簡単な仕切りを作ることができる。そしてカーテンレールには、ハンガーが引っかかっている。
「あの制服を着て仕事をしてもらうのだが…… 元・男の子のきみには抵抗があるんじゃないかな? それに、この店には酔っ払いやセクハラオヤジも訪れるし、結構きついと思うんだ、生まれながらの女の子にしてもね」
「……いえ、何とかがんばります。度が過ぎるようでしたら軽くひねってもいいですよね?」
「ま、まぁ、お得意さんだけはよしてくれよ? そういうセクハラや酔っ払いのうまいあしらい方は、先輩たちに聞くといい」
こうして、ジョニーは無事(?)に、職を見つけることができた。
ワイルドターキーで働く女性の服装は、コバルトブルーのスカートに純白のシャツ、黒いフリルつきエプロン。胸元が大きく開けられており、二の腕から先も身につけていいのは指輪のみ。スカートは足首に届くまで長く、靴は自由。ただし、さすがに泥だらけのミリタリーブーツは受け入れてもらえなかった。仕方なく、店の備品を使うことに。
ジェーンはまず、トレーの運び方だけを教わり、そのトレーを指定されたテーブルまで運ぶように言われた。ジェーンの胸は大きく、店の制服のせいもあって男たちの目を釘付けにしてしまう。
――うわぁ、すっげー恥ずかしい!
――それに視線が…… これだから男は……!
――いや、僕も元は男だけどさ、ここまで下品な目で見てなかったよ!
トレーを運ぶのは、2階のデッキテーブル。ジェーンはスカート靴に引っ掛けないように気をつけながら、階段を上ってゆく。
「スモークチキンとビールをご注文のお客様ですね?」
「おう、こっちだ」
「お待たせいたしました。ほかにご注文はございますか?」
「ふっ、今夜、お前を注文するぜ」
「ありがとうございます。それでは失礼いたします」
教わったとおりに、笑顔を向けて挨拶するジェーン。だが、振り返って客に背を向いた途端、歯をキリッと鳴らす。
――お・こ・と・わ・り・だッ!
その後、ジェーンはてきぱきとトレーを運んでゆく。中にはどさくさに紛れてスカート越しにお尻を触ろうとする男もいたが、うまく交わしてすり抜けてゆき、トレーを置いてカウンターに戻ってゆく。そんな男たちは残念そうだが、訪れる客の中には戦いに秀でた男もいるため、別の意味でジェーンを凝視している。
――ほう? あの女、なかなかいい身のこなしをするではないか。
――よく鍛えられていると見た。名うての賞金稼ぎか、その娘といったところであろう。
――ふっ、強い女は俺様好みだぜ。今夜、デートに誘……
だが、その男の考えは、直後に砕け散る。別の小太りの男が、ジェーンに話しかけてきた。
「やぁ、新米の子? こんやおじさんとどうだい、一杯飲まないか?」
「ごめんなさい、これでも彼氏がいるので。恋の相談ならいつでも受けますよ?」
見事に振られ、小太りの男はうなだれる。この会話を聞いていた男は、小太りの男とは別の意味で落胆し、おつまみと共にビールをあおる。
――それは残念。デートに誘えないのであれば、いつか手合わせしてみたいものだ。
もちろん、ジェーンに恋人がいるなど、真っ赤な嘘。
客からのお誘いを断る口実である。
夜遅く、店じまいの頃。
最後の酔っ払い客を追い払い、ジェーンはやっとひと息ついた。
厨房では白シャツに黒リボンタイの青年が、ひとりで皿を洗っていた。やることをなくしたジェーンは、彼の隣について、青年に言った。
「皿洗いですか? 僕もやります、手伝わせてください」
「いいのか、デツェンバー? じゃあ、こっちのカゴを……」
「あ、待ってください。またお客さん来たみたいですね」
青年がぬれた手で食器を詰めたかごを指差そうとすると、カランコロン、とベルが鳴り、ドアが開く。
ハスキーボイスの女の子が、入り口に向かって叫ぶ。
「ごめんなさい、今日はもう閉店なんです」
だが、客は「いいじゃねぇか」と言って、バンダナの女性がモップをかけている中、ずかずかとカウンターにやってくる。
「この店と同じ名前の酒を、ロックで頼む。わいる○た~き~、おんざろ~っ○♪ なんてな」
「お客様、平成日本のロックンロールをオールドアメリカに持ち込むの止めてください、しかも誰が、そのネタ分かるんですか?」
「お嬢ちゃんなら通じただろう」
「鋼の右腕を持つ錬金術師も驚きですよ。それはそうと、もう閉店なので勘弁してください」
「ちぇ~…… わぁった、わぁったよ、融通が利かねぇお嬢ちゃんだなぁ。あいつと同期の新人か? じゃあビンごとくれ、外で飲む。それと、今日入った新人の子、いるだろ。ジェーン・デツェンバーって子」
「ええ、いますが?」
……チャキッ。
いつの間にか、調子のいい客の背後に、滑らかな金髪をなびかせながら、ジェーンが現れた。あの厨房から一瞬にして客席に現れるとは、恐るべき身のこなしである。
「ほう? 俺の背後を取るとは、さすが元巨人軍」
「軍人です。そういえばジャイアンツって球団、日本にもアメリカにもありましたねぇ」
「で、俺の腰に、黒くて硬くて大きいのが当たっている気がするんだが。その物騒なものを引いてくれないかな?」
「いやらしい言い方をしないでください」
男の腰から、「黒くて硬くて大きいの」が離れてゆく。そして男は、ゆっくりとジェーンの方を向く。ジェーンの右手に握られていたのは、漆黒のリボルバーの拳銃…… ではなく、大口径の拳銃と同じくらいの大きさの注ぎ口を持つ、ビール瓶の先端だった。
「もー、こんな時間に来るなんて迷惑ですよ、ビリー?」
ジェーンがビリーと呼んだ男。
ワイルド・ビル=ジュード・ヒコック、その人だった。
「ジェーン、その人の知り合い?」
ハスキーボイスの女の子に、ジェーンは答えた。
「はい、このお店を紹介してくれたギルドで会った人です」
食器や調理器具などの片付け、掃除や看板の撤去なども済ませ、あとは着替えて帰るばかりとなった。
事務所では、カーテンに仕切られたその向こうで、女の子たちが制服から普段着に着替えているところ。厨房の青年を含む男性従業員、すでに旦那がいる女性従業員は、とっくに着替えを終えて帰ってしまった。ジェーンはもちろん彼女たちと一緒に着替えることはせず、おとなしくカーテンの外で待つことに。
そしてその間、事務所ではジェーンのほかに、キールとビリーが、店の商品でもあるビールとおつまみをついばんでいた。
乾燥豆をつまみながら、キールが言う。
「それにしても、ジョ…… げふん、ジェーンが、ビリーの知り合いだったとは思わなかったよ。どうだい、ビリー。このあと、ジェーンも連れて『裏通り』にでも行かないか?」
「いいなぁ、キール。俺もいつも斬ったはったばかりだから、ちょっと華やかな夜の街に出かけたいもんだ」
そして、当のジェーンは、早く着替えたくてうずうずしている。
だが。
「でさー、その客の目がマジだったもんで、断るに断りきれなくてさ、思わず空のトレーで殴っちゃった♪」
「うちは結構紳士的な人からアプローチ貰たで。あの人やったら、女の子のこと大切にしてくれそうな気ぃするなぁ」
「でさー、あのお嬢様っぽい子いたっしょ。あれ一体誰だったのかな? ……どさくさに紛れて胸揉むの、やめんしゃい」
……終わらない。
……ガールズトークが、終わりそうにない。
いつまでかかって、簡単な構造の制服を脱いでいるのだろう。
仕方がない、とひと言つぶやき、ジェーンは自分が着ていた軍服を持ち、事務所を出ようとした。そんな彼女に、キールは声をかける。
「どうした、その服のまま帰るのか? まぁ、宣伝になるからいいが」
「違いますっ、2階のデッキで着替えてくるんです!」
ところで、
軍服の一箇所に、やけに重そうなものが垂れ下がっているのだが……?
ワイルドターキー、デッキ席。
よく磨かれた天窓から月明かりが差し込み、店内をほのかに照らす。ジェーンはその月明かりに照らされながら、エプロンを、スカートを、そしてシャツを脱いで、テーブルの上に置いてゆく。木綿の手触りのよさそうなショーツに、胸を支える革製ブラジャーという姿になり、ジェーンのかわいらしい体が、いっそう輝く。
「ふぅ…… 窮屈だった。いろんな意味で」
そして、軍服のズボンを穿き、ベルトを締める。ブーツは上まできちんとレースアップし、蝶結びにする。次はシャツだ。
「サイズが合わなくなっちゃったな、この軍服も。今度、大佐にお願いしてひとまわり小さな服、買ってもらお」
……男女兼用の(ユニセックスな)カジュアル服を着るという発想は、彼女にはなかった。
すると。
ジェーンの目の前が、暗くなった。
「えっ……?」
周囲を見渡す。
だが、誰もいない。
幽霊がいる気配もない、物が勝手に動いたとも考えられない。
だが、ジェーンの目の前は、暗い。
月明かりが急に弱まったのか? いや、ほかの天窓からは、さっきと変わらず、月明かりが差し込んでいる……
と、いうことは……?
――まさか、上!?