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緋色の風  作者: 旅わんこ
12/13

補足 ~当時のアメリカと日本の年表~

1620、信仰の自由を求め、イギリスからピルグリム・ファーザーズが渡米。船という孤立空間は病気との闘いの場でもあった。コロンブスがもたらした天然痘と共に、彼らが持ち込んだ病気が多くの先住民を脅かした。同様に、アメリカ先住病原体も移民たちを苦しめたであろうが、それはこの作品においてTS病と設定している。


1837、ジュード・ヒコック誕生。(モデルとなったジェームズ・バトラー・ヒコック同様)


1848、カリフォルニア州でゴールドラッシュ発生。日本からも採掘者が出る。が、採掘者よりも、金脈付近で商売をしていた人のほうが成功したと言われている。ジーンズの祖、リーバイスも、そのうちのひとつの企業。金脈の地主ジョン・サッターが、金塊の一部の譲渡と、土地を荒らされた賠償を、採掘者に要求。


1854、フランスのブルサールが、電話機の倫理的提案を発表している。


1856、ジョニー・デツェンバー誕生。(モデルとなったマーサ・ジェーン・カナリー同様)


1860、ドイツのフィリップ・ライス、イタリアのアントニオ・メウッチが、電話機の原型的なものを製作している。


1865、その頃、西部開拓時代が幕を開ける。


1868、日本では年号が明治と改められ、明治時代が始まる。ジョニーが初来日したのは「小さい頃」なので、当時は幕末であったと推測される。


1871、ジョニー、陸軍にて軍曹昇格、ならびに戦技教官補佐コーチに就任。レオンなど部下の格闘技教授およびサバイバル訓練などを任される。


1872、ジョニー、軍縮。ジェーンと名を変え賞金稼ぎに転職。ビリーと結婚。式は挙げず。ビリー、銃撃戦にて死亡。


1873、ジェーン、日本に渡る。その時点で、ジュード二代目を出産。


1876、ビリーのモデルとなったJ・B・ヒコック死亡。死因は、ポーカーをしていた際の背後からの射殺。死に際に彼が持っていた手札は、『死者の手札』という不吉なものとなった。


1876、日本では廃刀令が布かれる。日本に渡ったばかりのジェーンは、その時点で法律違反扱いではない。


1877、かの発明王たるトーマス・アルバ・エジソンが、炭素式マイクロフォンを完成。ジェーンたちが劇中で使っていた通信機は、エジソン製ではないことが分かる。


1890、この頃、フロンティア消滅に伴い西部開拓時代が終わりを告げる。


1903、ジェーンのモデルとなったマーサ死亡。子どもがいる。ジェーンのように日本に渡らず、アメリカにて、ヒコックの隣に墓を立てられる。死因は肺炎。

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