エピソード1 ギルドにて
「ジョニー。きみはクビだ」
やや長めの金髪と同色の瞳を持つ、軍人の少年、ジョニー・デツェンバーは、陸軍の大佐によって事務室に呼び出され、彼にそう告げられた。
「………… ………… ……はい? ええと、首にあざでもできてます?」
「そうではない。きみはもう、この軍に必要ないと言っているんだ」
「おっしゃる意味がよく分かりません。確かに僕はまだ16歳と若いですけど、射撃も戦闘技術も、ほかの先輩に遅れをとらないくらいがんばっていますよ。それどころか、戦技教官からはコーチを言いつけられることだってありますし、そんな、いきなり必要ナイナイだとか言われましても、納得できナイナイですってば!」
「だったら納得させてやろう。服を脱げ」
途端、ジョニーは黙った。
と言うより、凍りついた。
当たり前だ、いきなりそんなことを言われては。
「どうした? 男同士なら別に構わんだろう」
「……いえ。まさか大差に、『そっちの趣味』があるとは思いま」
「ちがう! わしには妻がいる! いたってノーマルだ!」
ゲイではないようである。
でなければ、ジョニーの鍛えられた肉体美を写した写真を、美少年に飢えた女たちに売るという…… ワケでもなさそうだ、カメラがない。
「知っての通り、わが軍には、女性の軍属を許可できない。男性に対して女性の軍人志願数は少なく、いたとしても軍内で不純異性交遊、それも強姦まがいの事件が過去何度もあってだな」
「で、それと僕がどんな関係があるんですか?」
「ジョニー…… いい加減とぼけるのはやめたまえ。きみが女性であることはもうとっくに分かっているのだよ」
ジョニー・デツェンバー。
砂金のように滑らかな金髪と、同色で深い色合いを持つ金色の瞳が特徴的。肌の色は白く、顔立ちは整っており、小さな少年にそのまま軍服を着せたかのような、あどけない雰囲気を持つ。
ジョニーは自分でもそう言っている通り、銃撃と近接戦闘において、彼に敵う者は軍内でもごく一部のものだけである。その一部の人物が、この大佐と、ジョニーが言う戦技教官のみである。また、彼がこれまで積み重ねた実績は、彼の軍服に飾られたバッジが物語っている。
だが、とうとう彼は、いや彼女かもしれないが、これまで軍の最前線で活躍してきたにもかかわらず、唐突に、退職を言い渡されてしまった。
そしてジョニーは、ばさっ、とカーキ色のジャケットを、次に白いシャツを、大佐が座るデスクの上に放り投げた。
「……これでいいですか?」
みずみずしく透き通るような声で、乱暴に言うジョニー。
そんな彼の上半身には、ふたつの果実を潰すかのように、真っ白なさらしが巻かれていた。
顔を赤くする大佐。ぷいとそっぽ向くと、自らをにらみつけるジョニーにひと言、言った。
「女性にとって胸は大事なチャームポイントだ、大事にしなさい。軍はどうしても辞めてもらうが、軍復帰以外のことであればいつでも私を頼ってくれて構わない」
「……長い間、お世話になりました」
ジョニーは、先代大佐として軍を引っ張ってきたアレクサンドル・デツェンバーと、ドイツからやってきた放浪の女性剣客レイニー・デツェンバーの間に生まれた男の子だった。
そう、確かに男。これまで何度も、仲間の軍人と風呂に入ったりし、幼い頃は同年代の子とおしっこの飛ばしっこまでしたこともある。だが、アメリカに古くからある奇病、『ウィルス性・性別反転症=(通称)TS病』にかかり、その病名どおり性別が反転してしまった患者なのだ。
ジョニーは父が引っ張ってきた軍に自ら志願し、父の名に甘えることもせず、幼い頃から自分の実力だけで這い上がってきた。両親からも厳しい稽古を受け、生まれ持った才能もあり、軍部内中学校に上がる頃には軍内でも敵なしと言われるほどになっていた。
親にも、訓練の厳しさにも、愛情にも、才能にも、すべてにおいて恵まれていたジョニー。だが、1度病気を患っただけで、それまでの過去がすべて否定されてしまったかのように、軍を追放されてしまうのだった。
レッドヴィル州、中央の町レッドヴィル。
赤き砦という意味を持つ、州と同じ名前でその中央に位置するその町は、軍からさほど遠くない場所にあった。
ジョニーはそこに流れ着き、仕事を探した。
「すみませーん、ちょっといいですかぁ?」
スウィングドアを、きぃ、と開いて訪れたところは、ギルドだった。
タバコを吸い、仕事のリストや指名手配書を鋭いまなざしで見つめる男たちがたくさんいる。タバコが苦手なジョニーは、うっとむせ返ってしまう。
「なんだね? よく見れば女の子じゃないか。迷子かい?」
クマのような体格のギルドの主が、そう聞く。
「違います。僕は仕事を探しに来ました。どんなことでもします、とりあえず仕事をください」
「おいおい、簡単に仕事をくれなんて言うもんじゃねぇよ」
「大丈夫、問題ナイナイです! 僕、こう見えても軍で鍛えてもらいましたから。体力はちょっと落ちましたけど、組み手と銃撃なら、とりあえず自信はあります」
その自信たっぷりのジョニーの発言に、眼光の鋭い男たち、大勢のバウンティーハンター(賞金稼ぎのこと。通称ハンター)が一気に彼女へと視線を移す。
「だったら……」
主人は、とある一角に目を移す。
「そこにいる、黒いベストに赤く大きなスカーフの男と、勝負してみな。勝てたら仕事を紹介してやるよ、何ならリストを全部持っていってもいい」
だが、そう言った途端に、店の中にいるハンターたちは大笑いした。
当たり前だ、その理由を知れば。
「おいおい、マスター。それはいくらなんでも無謀だぜ?」
「そうっすよ。ギャグにしちゃ笑えねぇ!」
「こんなちっちゃい子が、手練者のハンターに勝てると?」
もう、充分ジョニーは理解した。
――店の人、僕に仕事を紹介してくれる気、これっぽっちもないや。
この店の騒ぎに、赤いスカーフの背の高い男が、それまで顔をうずめていた新聞紙から顔を上げた。
「へぇ? ずいぶんかわいらしい挑戦者じゃないか」
新聞紙の向こうから現れたのは、少し年齢を重ねた男だった。若いというわけでもなければ、老けているというわけでもない。「お兄さん」と「おじさん」、その中間くらいの年齢の男だった。
そして、スカーフの男は、ジョニーに言う。
「どうだい、仕事のためにどんなことでもするなら、俺と勝負するってのも、やるんだろ?」
「……はい、よろしくお願いします」
ジョニーは、男が座る円形テーブルの向かいに立ち、ペコリとお辞儀をする。
男はそれまで読んでいた新聞をテーブルに置き、葉巻タバコを灰皿に押し付けてもみ消し、立ち上がった。
「勝負のルールだが…… とりあえず武器なしの殴り合いだ。今、俺たちが両足を着けているこのフローリングの床から、足を離して一歩でも動いたら負け。相手にどれだけパンチを与えようと、動かなければいいんだ、動かなければ。な、分かりやすいだろ?」
「とても。」
タバコの煙が満ちるギルド。
向かい合う少女とむさい男。
彼女たちを見守る、マスターやハンターたち。
そして、テーブルを挟んで、静かな時間が、とうとう動き出した。
先に手を出したのは、男だった。
スナップを利かせ、まるで鞭のように、右拳でジョニーの顔面を狙う。
だが、ジョニーはそれを左手でパンと音を立てて払い落とす。
そして、ジョニーの反撃。男も手で防御し、お返しを見舞うようにジョニーにパンチを繰り出す。攻撃を仕掛けては捌かれ、攻撃されれば捌き、その繰り返しで、拳と手のひらのぶつかり合いの小気味いい音が、延々と鳴り響く。
その様子に、ギルドにいるハンターたちは、言葉を失ってしまう。そのうち誰かが、ポツリと声を漏らしてしまう。
「す、すげぇ…… 何なんだ、あのガキ……?」
「軍で鍛えられてた、って言ったよな? きっと、レベルの高ぇ戦い方を教わったに違いねぇよ」
そして、技の応酬が5秒ちょっと続いた頃だろうか。
男がジョニーの軍服の袖をつかみ、腕をひねるようにして絡め取り、そのままテーブルに叩きつけてしまった。テーブルは傾き、ジョニーの上半身は一気に沈み、一歩動くどころかジョニーはテーブルと共に、フローリングの床に叩きつけられてしまった。
がしゃーん! と、ものすごい物音が響く店内。
まだ熱い灰と吸殻をかぶるジョニー。
がたん、ごろごろ、と転がり落ちる灰皿。
勝負は、誰の目から見ても明らか。
ジョニーの、負けである。
誰もが黙りこくる中、ジョニーは、頭をさすりながら立ち上がった。
「いっててて……! ちぇっ。まだ体のバランスが不安定だなぁ」
「悪かった。大丈夫か?」
スカーフの男が、心配してジェーンの顔を覗き込む。だがジェーンは、へらへらした笑顔を男に向け、答えた。
「ええ、何とか。それにしても残念でした、組み手で教官と大佐以外に負けたのは久しぶりです」
そんなジョニーの言葉に、男は「いや……」と首を振って答えた。
「俺の負けだよ。技をかけるために、左足を少し引いちまった。これが本気の組み手だったら話は別だが、ルールはルールだ、足を先に動かした俺が負けってことでいいぜ?」
「え……?」
「お前、強いな。俺に本気の一撃を出させるたぁ、さすがだぜ!」
頭をさすり、灰と吸殻を叩き落としながら、ジョニーは立ち上がる。
そして、お兄さんとおじさんの間くらいの年頃の、スカーフの男は、ジョニーに握手を求めた。
「俺の名前は、ジュード・ヒコック。みんなからは、ワイルド・ビル=ヒコックや、ビリーって呼ばれてる。どう呼んでくれても構わないけど、お前の名前は?」
「あ、ええと、僕は…… 僕は、元軍人の今は無職で、ええと……」
ジョニー、と名乗ろうとした。
だが、それは男の名前。もうその名前は似合わない。
ジョニーはその名前を名乗るのをやめ、
「僕は……」
そして名乗った名前は。
「僕は、ジェーン・デツェンバーです」