ハンナのメニュー作り
第六章3、エディアルドがハンナに相談事をした場面から。
エディアルド様がいらっしゃった時に、一番最初にお尋ねしたのは、好き嫌いの有無でした。この城のお食事の用意を預かっている者として、それは何よりも知っておかなければならないことでした。
旦那様ときたらニンジンがお嫌いで、細かく切ってスープに入れても、お皿の端に順番にはじきだして、お食事の後にはまるく並んで残っている始末。結婚当初は旦那様の好き嫌いを治そうと、心を砕いていらっしゃった奥様も、最後には匙を投げ出されたのでした。なにしろ、自分で匙を使うようになったサリーナ様が、同じように真似をして、お皿のまわりに中の具を並べだされたので。そんなことになるくらいなら、はじめからお出ししない方がよいと思ったのです。
エディアルド様は、その質問に、少し黙ってこちらを確かめるように見た後、簡潔に答えてくださいました。
「これといって食べられないものはない」
さすがルドワイヤ辺境伯のご子息と感心いたしました。ハルシュタット家の方々は、頑固で剛直と評判です。それに、国王の騎士団で勇名を馳せたともうかがっておりましたから、そんな方に苦手な食べ物がないというのは、すんなりと信じられたのです。
ところが、それが間違いだったと、しばらくたってから気がついたのでした。
エディアルド様は健啖家でいらっしゃいます。給仕はトラヴィス様がなさいますが、食堂まで運ぶのは私たちの仕事です。わずかな時間ですが、お食事をなさっているところを垣間見ることができます。
エディアルド様は、それは優雅にお食事をされます。何をなさっても上品に見えるのは、お小さいころの躾が、しっかりとされていたからなのでしょう。
がつがつ食べているわけでもないのに、あっという間にお皿の中身がなくなっていくのは、まるで妖精の悪戯のようだと思いました。見えない妖精に、横から食事を攫われているのではないかと本気で心配して、お食事の量は足りていらっしゃいますかと、お聞きしたことがあったくらいです。
エディアルド様は、ほんのりと笑まれて、充分いただいている、と仰いました。とてもおいしい、いつもありがとう、と。
その素直さと、笑顔といったら! 年甲斐もなく胸がきゅんといたしました。
こう申してはなんですが、エディアルド様は、女にとって、可愛らしいお人でいらっしゃいます。普段は近寄りがたく孤高な雰囲気をまとっていらっしゃるのに、その素顔は真っ直ぐで飾らないお人柄。その落差に、見せてくださるありのままのお姿に、女は母性本能を刺激されるのです。
それはさておき、お誕生日やお祝い、落ち込んでいらっしゃる時のお食事は、その方の好物をお出しいたします。エディアルド様は、お嫌いな物を仰いませんでしたが、お好きなものも仰られなかったので、私はエディアルド様が食されるところを、よくよく注視するようになりました。
そして、見つけてしまったのです。目にも留まらぬ速さですみやかに平らげていくエディアルド様が、一口食べて手を止め、無表情にサラダを眺めていらっしゃるのを。
サラダには、たくさんの種類の野菜を使っておりましたから、それから私は、日々、どの野菜がエディアルド様の手を止めさせたのか調べるのに、知恵と工夫を重ねたのです。
そうしてついに判明した野菜は、セロリでした。まさかと思ったのです。スープや炒め物に使った時は、普通に食べていらっしゃいましたから。けれど、どうも、生のままが苦手でいらっしゃるようなのです。
でも、エディアルド様は残したりなさいません。クレマンが聞き出したところによると、どうやら騎士というものは、いざまさかの時は泥水すら啜って生き残らなければならないそうで、そのために、どんなものであっても食べられる物は飲み下して腹に納めるという教育を受けるのだそうです。
つまり、エディアルド様には、食べ物の好き嫌いをしてもいいという考えそのものが、なかったようなのです。
その不憫さに、つい涙してしまいました。しかも、騎士団のご飯は食事というより餌だったそうです。あの我慢強いエディアルド様が餌と言うのですから、どれほど酷かったかがうかがえます。
旦那様やサリーナ様はもちろん、エディアルド様も満足なさるお食事をご用意する。私はそれまで以上に、使命感に燃えるようになったのです。
エディアルド様が、女心をちっともわかっていない相談事にいらっしゃった時、実は、次にサリーナ様を泣かせたら、しばらく毎日セロリのサラダをお出ししますよと、言ってしまいたい誘惑に駆られました。
私の意見を聞いてしっかり請合ってはくださいましたが、そのお顔が、まるっきり不得要領でいらっしゃたのです。理解していないのは、丸分かりでございました。だから、せめて失言されないようにと、しっかり脅しておこうと思ったのです。
けれど、やめました。深く反省なさっているのも、見受けられましたので。同じ失敗はなさらないでしょう。……たぶん。朴念仁の王様のような方ですけれど。
まったく、女性からちょっとキスされたぐらいで、なんであんなに言いにくそうにしていらっしゃるのやら。あれほど長く二人っきりで部屋に籠もっていらしたくせに、間違いのまの字もなかったことといい、どれだけ紳士なのでしょう。
……まあ、そこが可愛らしいところでもあるのですけど。
私は少し考え、いくつかの食材を取り替えるべく、もう一度食料庫に行くことにしました。
今日、ついつい苛めすぎてしまったお詫びを込めて、エディアルド様のお好きなメニューに変更しましょう。サリーナ様にも、毎日、そう指示されていることですしね。
ああ、それとも精のつくものにいたしましょうか。いつまでも紳士的でいられないように。そうだわ。それが一番、サリーナ様の意向に添うはず。
ああ、腕が鳴ること。
私は俄然楽しくなってきて、初恋の甘酸っぱさを歌った歌を口ずさみながら、食材の吟味に戻りました。