マイクロフト・ハリスンとひらめきの神
第四章、御前会議直前、広場で二人を待つ恋愛小説家たちの会話。
女神の恩寵深き泉の前の広場で、群集が今や遅しと待っている。
ここトリストテニヤの領主、芸術の庇護者たるライエルバッハの当代、我らが創造の女神、サリーナ様と、その守護者にして伴侶、騎士の誉れ高きハルシュタットの末裔、エディアルド様を。
「ん。いや、まだ伴侶じゃなかったんだっけ。えーと、えーと、婚約者、でも、まだない……?」
私は拳を顎に当てて真剣に考え込んだ。
「どうしたんだい、マイク」
隣に立つロランが、肘で私の腕を突付いてきた。
「あのさ、サリーナ様とエドって、婚約してないんだっけ?」
「してないらしいねえ。こーんな目を吊り上げたエドに、このあいだ、怒られてしまったよ」
ロランが両の目尻を指で押し上げ、変な顔でおどけて言った。
「じゃあ、二人をなんて言い表せばいいんだろう」
「彼が言うには当主とバトラーだそうだけど」
「ああ、うん、でもそれは、彼らに相応しくない。本質を表していない」
私は手を振って、エドがいつも言う実務的な名称を払い捨てた。
「あれほどの絆を表すのに、それだけなんて、運命への冒涜だよ。これを表せないのは、芸術の聖地に居を構える小説家の名折れでもある。ああ、どう言い表せば……」
「うん、それはまた後で悩もうか。ほら、二人が来たよ。そっち持って。花を散らさないようにして」
ロランに急かされ、シェンナの花を取り付けた棒をしっかり握った。
人垣の向こうに目をこらし、首を伸ばして、建物の角から現れた彼らの姿を見る。
その瞬間、私は頭の天辺から背筋に向かって、びりびりと何かがはしるのを感じた。
「おお、あれこそは、フェルミナと銀月の騎士! 運命の恋人にして魂の永遠の伴侶よ!」
「ああ、はいはい。まだだよ、向こうから順番だからね。……さあ、今だ! 揚げて!」
白い花の天蓋が道に沿って順番にできていく。その下をゆっくりと横切って行く彼らは……、彼らは……、ええと?
「ねえ、ロラン、さっき、私はなんて言ったかな」
「え? さっきって、いつ?」
「ほら、二人を目にした時だよ。私は、何か言ったはずだ」
「ああ、なんか叫んでたねえ。ううん、ごめんよ。よく聞いてなかった」
「そんな! これはと思うようなすごいことを言ったはずなのに!」
「そうだった? いつもどおりの大袈裟な何かだった気はするけど。……まあ、まあ、忘れたフレーズなんて、本当はたいしたことないのさ。もっとすごいものをひねり出せと、小説の神がおっしゃってるんだよ」
「ひらめきの神は裸で前髪しかなく、その逃げ足は密やかで速いとも言うよ。ああ、私はまた、神の前髪をつかみ損ねてしまった……!!」
私はがっくりとうなだれた。
ひらめきの神を見たその瞬間に前髪をつかまなければ、振り返って追っても、どこもつかむところがないから、逃げられてしまうのだという。
きっと、ひらめきの神は、悪戯っ子の姿をしているに違いないと、いつも私は思う。
きまぐれに天啓を与えてぬか喜びさせては、人のマヌケ面を笑って、あっという間に駆け去っていく。
子供の頃、のろまでぼんやりな私を突き飛ばして笑っていた、従兄弟とそっくりな姿をしているに違いない。
……でも、そんな彼も、私が空想の話をした時は、目を輝かせて聞いていた。
「いつか、あなたが足を止めて聞きたくなるようなフレーズを、必ずものにしてみせますからね!!!」
そして、あの強面なウィルが、また長大な感想を書き送ってくれるような小説を書くんだ。
「あー。誰に言っているのかな? 見えない人への言葉は、心の中にしまっておこうか、マイク」
ロランが何か言っていたが、私は気分が盛り上がって、今書いている小説のイメージが見え始め、それどころではなくなった。
「すまない、ロラン、私はもう帰るよ。ひらめきの神が走ってきてるんだ」
今度こそ捕まえなければ!
私は人々をかき分け、自分の部屋のデスクの上にあるペンをとるべく、家路を急いだ。