紙漉き工房長の選択
第三章。ロッド・ハウラーが本のテーマカラーに、ピンク色を選んだ理由。
紙草を叩きほぐす作業室の入り口をくぐり、中の様子も確認せずに、私は何の気なしにお二人に声をかけた。
「サリーナ様、エディアルド様、お待たせいたしました」
言ってる途中から、後悔した。
お二人はなにやらいい雰囲気で見つめ合っていたのだ。
女たちの視線が突き刺さる。あんたバカじゃないのと、幻聴が聞こえる。男はこれだから、とばかりに肩をすくめる者、これみよがしに溜息をつく者。
私は、今日はこの部屋に近付くまいと、心を決めた。小言は妻からだけで充分だ。
私だって、気まずい思いをしているのだ。心底悪いと思っているのだ。なので、遅いとは思ったが、一応、フォローを入れてみた。
「……あー。その、お邪魔いたしました。えー、……もうしばらくこちらでご覧になりますか?」
「いいえ。新しく漉く紙の相談をしたいの」
サリーナ様は最早領主の顔で、仕事の話を口にした。エディアルド様も同様だった。怜悧な気配をまとい、サリーナ様の守護神のごとく後ろに控えている。
「そうでございますか? かしこまりました。では、こちらへどうぞ」
私は女たちの視線から逃れられるのに安堵して、そそくさとお二人を奥へとご案内したのだった。
エディアルド様は、流れるような動作でサリーナ様の席を引き、座らせると、自らもその横に座った。男性だというのに、溜息が出るような優雅さだ。それでいて、力強い。
本物の騎士を目にすることは、この平和なトリストテニヤでは稀だ。しかも、鎧を脱ぎ、殺気を放っていない、平時の騎士に立ち会うことは、一生のうちであるかないか。
だから、エディアルド様に初めてお会いしたときには、本当に驚いた。騎士とは、これほどに違う生き物なのかと。
傍に立たれただけでわかるのだ。体に秘めた力が、全然違う。彼に本気で殴られたら、私はそれだけで死ぬだろうと、ひしひしと感じられた。
しかも、目の色が違う。恐ろしく透徹していて、まさに生も死も、その手の内に握っているかのようだった。
これが、本物の騎士なのかと、息子のような年代の彼に、私は恐れ入ったのだった。
それまで、騎士物語は夢物語だった。職業柄、いくつもの話を読んできたし、土地柄、たくさんの騎士を称える歌を聴いてきた。ちょっとした寸劇も、飽きるほど見た。
騎士は王国の守りの要で、普通の貴族たちとはまた違った、誉れ高き華やかな存在として語られる。
強く、気高く、礼儀正しく、慈悲深い、そして戦いの場に身を置き、ある意味儚い存在でもある彼らと、姫君や令嬢たちとの恋物語は、大人気だ。
……そう、大人気、なのだ。この、トリストテニヤでも。
領主の一人娘と、騎士位を剥奪された青年。彼を知れば、その不名誉も、彼のせいではないとわかる。恐らく、罠に嵌められたのだろう。優しく聡明な娘は傷ついた青年の心を癒し、いつしか二人は恋に落ちていく……。
それが! リアルタイムで、かぶりつきで見られるのだ!! 熱狂しないわけが、ないではないか!!
青年は、己の不名誉を恥じ、しかも恩人の娘でもある彼女には、自分から歩み寄れない。娘も、彼の包み込むだけの優しさに、一歩を踏み込めないでいる。
ああ、じれったくて、やきもきする!!
私の目には、もう長いこと、彼らにピンク色の靄がかかっているようにしか、見えていない。特に今日は、ものすごく濃密になっている気がする。
やはり、服喪が過ぎたからだろう。お二人のご結婚も近いに違いない。
私は、『金の少女と銀の騎士』のテーマカラーをサリーナ様に聞かれて、淡く甘酸っぱく優しい色合いのピンクを、迷わず選んだのだった。