父のたくらみ
エディアルドがトリストテニヤに連れてこられた日の一コマ。
「アルフォンス様、いったいどこであれを拾っていらっしゃったんですか。明らかに毛並みが良すぎますよ。親狼が迎えに来たらどうするおつもりなんですか?」
執務室に二人きりになったとたん、トラヴィスは主であるアルフォンス・ライエルバッハにつめよった。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。それはあの子が自分の命ごと切り捨ててしまったから。私はそれを拾ってきただけだ。むしろ、命の恩人だと感謝されたね」
「どうでしょうか。騙して連れていらっしゃったんじゃないでしょうね。あんなのに復讐されたら、ひとたまりもありませんよ」
アルフォンスの連れてきた青年は、よく鍛えた巨躯を持ち、知的で気高い瞳で、只者ではない気配を放っていた。
「やっぱり、君もそう思うかい?」
アルフォンスは嬉しそうに笑った。
「なさったんですか!? とうとう人攫いまで!!」
額を押さえて、深刻な表情を作り、トラヴィスは世界の終わりが来たかのように叫んだ。……声量は抑えていたが。
「私が同意を求めたのは、そっちじゃないよ。なぜ疑うんだろうね、君は。偶然だよ、偶然。婿リストには上げてあったけどね」
ほら、と言って、彼は机の引き出しから紙を一枚引っぱり出すと、トラヴィスに渡した。
ここトリストテニヤのライエルバッハ家は、名門ではあったが、少々毛色の変わった家柄故、結婚相手に代々不自由してきた。
当主が男で、嫁を貰う分には、芸術に造詣の深い珍しい家と縁続きになってもよい、という家がないこともなかったが、当主が女であると、婿を探すのは至難の業であった。
ライエルバッハは武力を持たない。政治に参与もしない。そんなところにせっかく育て上げた息子をやっても、種馬の如く飼い殺されるだけで、なんの益にもならない。
そうでなければ、王に反旗を翻す旗印にまつりあげられるだけである。王位の簒奪でも望まないかぎり、無用な心労を背負い込むだけであった。
そんな家に、誰が血縁の男子を送り込みたいと思うだろうか。
そんなわけで、一人娘の父親である彼は、娘のために、婿候補のリストを作り上げていたのだった。
トラヴィスはそれに目を走らせた。
「ルドワイヤ辺境伯の五男とは。よくもまあ、こんな理想的な大物から。……ああ、やはり。銀月の騎士とはよく言ったものですね。私も一目でそう思いました」
「サリーナが気に入りそうだと思ってね」
「罠を張って嵌めて騙して連れていらっしゃったと」
間髪入れず確定的に言われて、アルフォンスは苦笑した。
「しつこいよ。私はやっていない。けれど、わかるだろう、あの目を見たら。彼は圧倒的な強者で、曲がることを知らない。その傲慢さが、彼のまわりに墓穴を掘った。それに、自ら嵌り込んだんだ。彼の自業自得だよ。でも、まあ、それも今回の挫折で、少しは丸くなるんじゃないかな」
「そうでしょうか。私には、ずいぶん危うく見えましたが」
おとなしくふるまってはいたが、瞳の奥に、消しようもなく揺らめく、強い意志が見て取れた。
「あの子は傲慢だが、まっすぐないい子だ。その傲慢も、能力の高さのせいで、やってもできないことがあるということを知らないだけらしくてね。彼自身はけっして奢ってはいないよ。それに、今回のことで世の理不尽を知っただろうに、それでも己を曲げない。あの誇り高さに、私は痺れたよ」
「要は、大変に気に入られたのですね」
「うん。死なせるには惜しいと思った」
「さようですか」
それほど身の入らない返事に、アルフォンスは身を乗り出し、執務机に両肘をついて、組んだ指の上に顎をのせた。
「そうだねえ。では、彼に真っ暗闇でカラクリ甲冑をけしかけたら、どうすると思う?」
トラヴィスは、少し考えてから答えた。
「さあ。でも、騎士だったというなら、立ち向かってみせてほしいものですが」
「うん。それで彼がどうするか見れば、君も納得するんじゃないかな」
「かしこまりました。ここでの生活に慣れましたら、彼に夜の戸締りを任せましょう。それでよろしいでしょうか」
「うん。じゃあ、それまでに、もっとおどろおどろしくなるよう、玄関ホールの飾り付けを変えようか」
「さっそく手配いたします」
「ああ、楽しみだねえ」
似たもの同士の主従は、とびきり人が悪そうな笑みで、頷きを交し合ったのだった。
この暫く後。
「ご無事でしたか」
壁に飾ってあった戦斧で、完膚なきまでにカラクリ甲冑を破壊した青年は、必死な瞳で彼らを気遣った。
その時、彼らは、トリストテニヤとライエルバッハ家の安泰を確信したのだった。