第六十七話 我慢できない事ってあるよね? でござる
結局、茂助は、解放されるその時までは俺の言葉に従うという条件を呑んだ。さんざんごねられはしたが。
そしてそれにより、一席を設けるという話も、茂助は本当に苦々しそうにしながらも受け入れた。
ただし茂助は、北の砦でだと思っていたようだ。だが、俺が用意するといったのは藤ヶ崎で、である。
落としたばかりで各施設の損壊著しい、しかも十分な人数が配属されていない無防備な砦に、こんな人数の捕虜全員を連れて行ける訳がない。残存兵力全部集めても、捕虜の数に比べて万全の態勢ではないのは明白なのだ。
それに、そもそもそれがなくとも俺にとっては、合理的且つ迅速に迎えるのは好ましくないのだ。有り体に言えば、『不都合』なのである。
藤ヶ崎で、と俺が口にした時には再びの一騒動であった。
しかし俺の「解放するにもただ解放する事は出来ない。時間もある程度は必要となります。ならば一度皆藤ヶ崎に入ってもらった方が、我々も様々な手間が省けます」との言葉に、茂助は不承不承ながらも了承したのだった。
本当のところとは少々『時間が必要』の意味合いが異なるが、これも事実であるので、それで押し通したのだ。
本来の筋から言えば、奴には選択権などない。あくまでもただの捕虜なのだから。
しかもこの世界の価値観から言って、茂助程度では丁重に扱えとすら言える身分ではない筈だ。捕虜の価値としては、一兵卒に毛が生えた程度の感覚になると思われる。
しかし俺が、あたかも奴に選択権があるように振る舞い続けているので、このような話運びとなっているのだ。
その甲斐あって、いま茂助は俺を舐めきっている。俺はとるに足らない若造で、自分の手の平の上でいいようにできる――そう思い込んでいる。
すべて俺の思惑通りであった。
――――もっとだ。もっと油断しろ。
心の中で何度も呟いた。
お前、いやお前らは、最後の最後の時まで気がつかなくていい。……そして、新生する水島の人柱となれ。
継直に与した者たちは、欲に負けて先代水島領主の血肉を食った者たちだ――――。
継直に与した者たちは、千賀の首で更なる栄華を望もうとした者たちだ――――。
先代領主一家を贄に捧げる事に同意した者たちなのだ。究極的には、駆り集められた一兵卒ですらもそう見なせる。
それぞれにそれぞれの事情があるのは分かる。
ただ、俺らがそれを酌量せねばならない理由はない。なぜなら『敵』とはそういうものだからだ。たとえ細かい理由を知らぬ一兵卒でも、俺たちにしてみれば、その所行は許しがたい。故に俺らがこれらを贄にしたとして、文句の一つも言わせるつもりはないし、そもそも聞く気もない。
俺らが耳を傾けるのは、市井に流れる風聞だけである。権力者の宿命として、これからは逃れられない。
が、いずれの国体を持つ国にせよ、敵の泣き言を聞く国家などあろう筈がないのだ。建前としてはある。だがそれはあくまでも建前であり、もし仮にそんな国家があるとしたら、そんな国は遠からず滅亡するだろう。
しかも、一度は選ばせてやったのだ。これが最大限の慈悲だった。しかし、それを蹴った。
投降者のうちどれ程が茂助と同じ選択をするのかは分からないが、いくらかはそれぞれにある理由で同じ選択をする者たちも出るだろう。
だが慈悲は一度だ。二度はない。
選択されたその結果に、配慮をするつもりはない。そうする事に、わずかばかりの躊躇いもない。
丹精込めてシナリオを書いてやる。存分に絶望の味を楽しんで、そして速やかに地獄へと向かえ――――。
俺は正直苛立っていた。あのチビが追い回される姿を見続けて、苛立ちを覚えずにはいられなかった。
確かに俺は、生まれ育った世界の違う異世界人だ。当然持っている価値観も常識も、なにもかもがこの世界のそれとは違う。それは事実だ。
故に違うその価値観で、この世界の善悪を計ろうとするなど愚かを極める。それに庶民には縁遠い話ではあるが、あちらでも似たような話は今以ってない訳ではない。また、過去の話をするならば当たり前にあった。
だが、それがどうしたというのだ?
俺にとってはそんな事実など、そのすべてが「だから何?」で片付く話だった。
愚か? 今更だよ。こちとら神童と呼ばれた事はあっても、お利口ですねと言われた事はないんだ。
そんな俺にとって、そのような言葉が躊躇う理由になりえる訳がない。
正誤の問題じゃないのだ。
気に入らないものは気に入らない――俺にとって、それ以上の理由など必要なかった。
千賀の置かれている状況はあまりに不憫すぎる。俺一人くらい、面と向かって「気にいらねぇ」と言ってやっても罰は当たらないだろう。まあもっとも、伝七郎その他がこれを聞けば、それは聞き捨てならんと言うだろうがな。『俺たち』に訂正しろと言うだろう。
だから俺の目の前でそれをやった以上、俺は俺が気に入らないから、継直とその一党には破滅してもらう。それだけである。
独善上等だった。
縄を引かれてやってきた茂助との話し合いが終わると、奴の縄を解くように俺は指示をした。そして今度は俺の前にやって来た時とは異なり、源太の所の兵に案内されるようにして、俺の前から下がっていった。牢には入れないが、奴には常時監視が付く。それは一般の投降兵と同じである。
茂助と兵を離し、そして兵もいくつかのグループに分けて、藤ヶ崎に付くまで常時監視するように指示をした。むろん茂助がいたので、言葉柔らかく、だ。それでも意図は十分伝わっただろう。兵は理解できずに悩むような素振りは見せず、こちらの指示に即座に応の返答をしていた。
「武様。またどうしてあのような?」
茂助らが下がった方を眺めたままでいると、茂助が完全に離れた事を見届けた源太が、それまで閉じていた口を開いた。俺の態度が理解できないといった感じだ。ただ、その表情に浮かんでいるのは不審ではなく、疑問だった。
どうして……か。
「なあ、源太。奴も、それから投降兵の内こちらに降らないと言った者たちも、十分にもてなしてやってくれ。武具もしっかりと念入りに磨いてやって欲しい。ああそれと、武器は北の砦にて解放する時に返す。その時まではしっかり管理しておいてくれ」
源太の方を振る向く事もなく、また質問にも答えず、俺はそう言葉を返した。
「は、はあ」
源太はなんとも歯切れの悪い返事をする。
そんな源太の返事を聞き、俺は意味ありげに口だけで笑んだ。いや正確に言うと、誰に気を遣う事もない今、目が笑ってくれなかったのだ。
「ああ、それと源太」
「はい」
そう声をかけながら、俺は源太の方にゆっくりと振り向く。そして、小さく、低く、呟くように言った。
「――――俺は今、とても怒っている」
「は?」
その言葉に、とうとう源太は首を傾げてしまった。
ああ、いかん。流石にこれはなかったか。没頭していた思考に引き摺られすぎたようだ。
俺は心を落ち着ける為に、深く胸の内に淀んだ空気をゆっくりと吐いた。そして同じようにゆっくりと、新鮮な空気で肺を満たす。そして心中を整理し、明瞭かつ純度の高い意思を取り出した。
俺はニィッと悪い笑顔を浮かべて、それを口にする。
「……そうだな。うちのガキを追い回すな。ぶち殺すぞ? ――って話だ」
すると、今度は言いたい事が伝わったらしい。源太もフッと軽く鼻を鳴らすとニヒルな笑みを浮かべて言った。
「……なるほど」
彫りが深く和風とは言い難い顔の造りをしている源太に、その仕草はとても似合っていた。
「ん、そういう事。だから、よろしく頼む」
「はっ。承知しました」
俺の言葉に今度は戸惑わない。源太ははっきりと、そう返事をした。
やはり『何をするのか』は問題ではなかったようだ。『何を思っているのか』のみが問題だったらしい。
「いやあ、本当に大したものですなあ」
すると、黙って俺たちのやり取りを見ていた又兵衛が、そう口にしながら輪に入ってきた。
「おっと、いけない。又兵衛、本当にご苦労様。そして、有り難う。貴方が、そして隊の皆が奮闘してくれたからこそ、この勝利はもたらされた」
「一人逸らして神森様の手を煩わせてしまったというのに……、もったいないお言葉でございます」
労う俺の言葉に又兵衛は、被った返り血が半乾きになっている俺の姿を見ながらそう言うと、静かに目を閉じ、そしてその場に膝を着いた。
正直驚き、声が出かけたが、俺は己を律する。ここは又兵衛の顔に泥を塗らない為にも、無様を晒す事は出来ない場面だと己に言い聞かせた。俺は皆を率いる大将なのだ。
「もったいなくなどない。事実だ。胸を張ってくれ。些細な事など気にするな」
「重ねて真にもったいないお言葉でございます。しかし、やはりこの勝利は神森様であったればこそだと思います。これは皆がそう思っておりましょう。私どもも力を尽くして戦いはしましたが、これ程までに犠牲少なく勝利できるとは正直思ってはおりませんでした」
俺が言葉を重ねようと、又兵衛は静かに横に首を振り聞かない。そしてその代わりに、顔を横に向け眺めるような仕草を見せた。
俺もその視線を追う。そこには生き残った本隊の者たち――つまり又兵衛の率いる兵たちがいた。
他の部隊の兵たちもざっと見渡す。全体で、およそ八割近くの兵が生き残っていると思われた。敵は半数が戦死し、残りが捕虜である。
戦死者の割合だけを見た時、あちらの世界の現代の戦争ならば、全滅と表現するのに近い損害を受けている。しかし敵方との比較でみれば、確かに圧勝と言ってもよい結果であった。まして槍で刺し合うような戦をしての結果である。奇跡的ですらあった。
それ故に、指揮を執った俺の力が特異に見えたのだろう。
でも実際は、だからこそ俺の戦果とは言い難い。俺の知識の力も多少はあった。それは認める。が、それだけで導ける結果ではないのだ。
「それでも、だよ。貴方たちの奮闘のおかげだ。改めて言う。有り難う」
「……はっ」
今度は否定しなかった。又兵衛は再び静かに目を閉じると、短くそう返事をした。
そしてそんな俺と又兵衛を、源太がとても誇らしげな顔をして見ていたのだった。
その時、前方の次郎右衛門の隊からわっと歓声が上がった。
すぐさまそれに反応し、膝をついていた又兵衛も立ち上がる。そして俺たちは、揃って何事かと歓声が上がった方へと目をやった。
次郎右衛門の隊……、特に異常は見られない。いや、兵が皆同じ方向を見ているな。
それに気がつき、今度はそちらに目をやる。荒木山の麓、ちょうど茂助たちが開戦前に現れた位置辺りだ。
そこには伝七郎の旗印と思われるものがあった。その旗を掲げた兵たちが、森の影から次々と姿を現していたのだ。
「伝七郎か」
「信吾もいますね」
俺の呟きに、隣で源太がそう補足した。
まだ三人衆の旗はない。将になったばかりでまだ準備が出来ていないのだ。
だから源太による補足は、直接本人を見つけてのものである筈。
俺では伝七郎の旗の色彩やそれっぽいデザインから、おそらくそうではないかと見当を付けるだけで精一杯だ。人物を見分け、信吾を特定する事などできない。
なのに、源太にははっきりと信吾の姿が見えているらしい。
いくら信吾の身体が大きいとはいえ、この距離でよくもそこまではっきりと見えるものだというのが、俺の率直な感想だった。