第六十四話 北の砦攻略戦 荒木山麓の戦い でござる その七
「「「「おおおぉーっ!!」」」」
号令に応えるように気勢が上がり、周りの兵たちは雄叫ぶ。
今の今まで、ただ耐えるだけの時間を過ごした。
ただし、時間的には開戦からさほどは経過していない。三十分経っていないはずだ。だが、時間の長い短いの問題ではなかったようだ。
俺が強要したこれまでの時間は、この世界の戦士たちにとってひたすらに屈辱的で、噛み合わせた歯を軋ませるような時間だったのだろう。
それ故の反動だと思われた。
雄々しく、猛々しく。獣たちは咆哮し、己の存在を示す。我慢に我慢を重ねた戦士たちの闘争本能が、炎を吹上げたのだ。
「左右もっと締め上げろっ! そのまま押しつぶしてしまえ! ――みんな、本当にご苦労だった。だが、もう少しだけ頼む。辺りの敵を片付けてしまってくれ」
周りの兵に向かって身体を使い、腕を振り、力の限りに声を張り上げ、次々と指示を重ねていった。そして、俺を囲むようにして守ってくれている――向かってきた敵兵の返り血で全身血化粧が施された又兵衛と護衛たちに向かって労いの言葉と、更なる要求を伝えた。
「「「「「「おうっ!」」」」」
散々酷使しているというのに俺の言葉が届くと、戦士たちは忠実に動いてくれる。応の返事も力強い。士気の高さが窺い知れた。
又兵衛たちだけではない。左右から抑えこんで、伸びた敵の隊列を維持している各小隊、本隊の兵たちも見るからに力強く気勢を上げていた。そして、敵の伸びた隊列を更に細く長く伸ばしていっている。
すげぇ……。
爺さんの兵の練度は、予想していたよりも遙かに高い。精神的にも恐ろしく頑丈だった。
そんな皆の働きぶりを横目に見ながら、俺は次の指示を出す。
そのすばらしく見事な戦い振りにゆっくりと見惚れる事すら、今の俺には許されていない。ここが勝負所だった。
「伝令っ! 次郎右衛門殿に『蓋』をしろと伝えろっ! 寸刻の猶予もないぞ! 急げっ!」
「はっ!」
伝令も、俺の早口でしゃべる指示を聞き漏らさないよう耳をすまし続け、いつでも走れるよう準備を万端に整えていた。
聞き終わると己の任を全うすべくすぐさま、怒号と、悲鳴と、そして武器の打ち合う音が絶えぬ戦場の脇を真っ直ぐに駆けていく。血臭も濃く、そこを走るだけでも十分に大変な筈なのだが、そんな素振りなど全く見せず全力で走っていく背中が頼もしかった。
皆、俺を信じて頑張ってくれている。
絶対に勝つ。ここまで協力してもらって、失敗などできんっ!
我が軍にがっちりと捉えられた敵全軍を見渡し、そして馬上の茂助の位置を確認する。動いていない。最後方で唖然としているのが見えた。
――――勝負ありだ。
それを見て、俺はほくそ笑んだ。
「今だっ! 貝を吹き鳴らせっ!! 大きくっ! 長くっ! 力の限りに吹き続けろっ!!」
そしてすぐに、勝負を決める音色が戦場を包む。俺の言葉通りに、大きく長く貝は吹き鳴らされた。
それは届く――――遠く離れて、飛び出すのをじっと耐えていたであろう源太の元へ。
源太率いる騎馬隊が伏せられた林は、ちょうど敵軍最後尾の斜め後ろにある。
本来は、もっと早く出番があったであろう源太率いる騎馬隊。しかし、茂助率いる軍勢が猪過ぎた事、そして茂助自身が我先にというタイプの将でなかった事、様々な要因が重なって使うタイミングがずれた。
俺たちとはまた違う、逸る心と自制心との戦いをしていたに違いない騎馬隊の兵士たち。そして、源太。
それらを解放してやったのだ。
林の方向を見ると、すごい勢いで林の中から騎馬隊が飛び出してくるのが見えた。見覚えのある槍とでかい図体、そして綺麗な馬が真っ先に目に飛び込んでくる――先頭は源太だ。
将自ら飛び出してきやがった。速い。後ろに続く者たちもそれを必死で追っているが追いつかない。
茂助は『矢』の最後尾。
矢の型が敵将の命を狙う型ならば、本来はもっと前にいるべきだった。矢の型としては、あるいはこれも正解の一つなのかもしれない。が、今回に限ってはあきらかに間違いだ。そこに陣取った事が茂助――お前にとって致命傷となるのだ。
源太は駆ける。茂助に向かって一直線に。
『矢』は『筒』に収まり、もう動かない。
そして、筒に収まった矢の羽根の部分を切り飛ばしてやればどうなるか?
決まっている。――――その矢はもう、使い物にならない。
「皆、もう少しだ! 決して敵兵を外に出すなよっ! ここが踏ん張りどころだ。何が何でも抑えこめぇっ!」
力の限り叫んだ。
奴らに逃げ道を用意してやるのは、もう少し後だ。今はすべての自由を奪ってやる。
兵たちもそれに応えて奮闘してくれる。なんとかこちらの囲みを破ろうと、力任せに暴れる茂助の兵らをうまく往なしていた。
『矢筒』の中で、
「おおおっ! どけっ! どけぇっ!!」
血走った目で二の腕に血管を浮き上がらせて、手にした槍を振り回す者がいた。
「邪魔だっ!」
左右の小隊に挟み込まれて、密になっている味方の間を、唯一俺たちの兵のいない後方に向かって逆走しようとする者もいた。
「あ、ああ…………」
そして、吐息と共に絶望の声を漏らし、その場に立ちすくむ者もいた。
もう一度言おう。この世界は、強い者に優しい世界なのだ。この世界は残酷だった――――。
力任せに暴れても、我が軍の槍兵二人がかりで抑えこまれる。ちょっとした隙を見せれば、四肢に矢も打ち込まれている。すでに三人一組の態勢に近いこちらの兵らを倒すには、武技や身体能力で圧倒的に勝る必要があるが、一介の兵卒にそんな力がある筈もなかった。
後ろ向かって逃げようと背を向けた者は、突き合う槍と槍の間から飛ぶ矢の餌食となっていた。自らが矢となって飛んできたその兵は、人生の最後に本物の矢のなんたるかを学ぶ事になった。そして地面に倒れ込んだその身体は、つい先ほどまで味方であった者たちの足下で、障害物として活躍する事になった。
こうして、自身の敗北を悟った者の数だけが増えてゆく。
その者たちは棒立ちになったまま絶望の声を漏らし、ただの生ある肉の柱として林立していた。
その向こうでは、猛烈な勢いで駆けてきた源太によって、丸裸同然の茂助が馬から叩き落とされるのが見えた。その瞬間、その場に近い次郎右衛門の隊の者たちから「わっ」と歓声が上がる。
ただ源太は、源太の隊の者たちは、そこで止まらなかった。
茂助を馬上から叩き落とした後、『筒』の外に飛び出ているいくらかの敵兵たちの掃討に速やかに入る。
その容赦のない様を見て、大将を倒されてもなんとか抵抗しようとしていた者たちの心が完全に折れた。
それを見て取り投降を呼びかけると、俺たちによって完全に囲まれてしまった敵の残存兵は、みな武器から手を放した。ざっと見て最初の半分程の数――二百五十名程までに減った敵勢の投降だった。