第六十三話 北の砦攻略戦 荒木山麓の戦い でござる その六
『型』――攻守の攻のみに特化した兵の配置と戦法。
伝七郎は、この世界の戦は個々を正面からぶつけ合うと言った。ならば、この『型』とやらの運用も攻に特化されているだろう。詳細な話を聞いて検討するなり、この目で確認するなりするまでは、断定する事は危険ではあるが。
しかし、又兵衛からゆっくりと『陣形』と『型』の差異を聞いている時間はない。見た後で、とかは論外だ。ならば奴らが引きの態勢を取らない限り、そう思って対応しておくのがベターであろう。予断がまずいといっても、絶好機を逃すのは余りにも愚かすぎる。
それに今まで見聞きした情報から可能性を論じるならば、特化した兵の配置と戦法という解釈が一番可能性が高い筈だ。
他の誰にも知られてはならない――決断に対する不安。それを打ち消すために、澄ました顔を作ったまま俺は自分を洗脳する。
その間は刹那の間。平原に生えた秋色の草花を踏み倒しながら、今も敵軍はこちらに向かって駆けてきている。
さあ、どうだ――――?
そう思うと同時に互いの軍の先頭がぶつかり、再び火花を散らし始めた。
「おおおっ!」
「くたばれぇっ!」
「この臆病者共がっ! 尋常に戦えっ!」
襲いかかってきた敵兵は手にした槍で突き込んできた。それと共に叫ぶ激しく、そして汚い言葉は俺のいる場所まで届いた。
今回も敵の突撃にあわせて両弓小隊からの一斉射を浴びせたが、いくらかの成果を上げるに留まったようだ。
最初の突撃の時とは違って、今回は撃ち込んだ矢のうち相当量を手に持った槍で払い落とされた。冷静な対処をされてしまうと、雨と呼ぶには今ひとつ数の足らない一斉射では、やはり効果は思ったようにはあがらない。勿論ある程度の効果はあったが、最初の一斉射撃より効率が落ちていた。それは認めざるを得なかった。
おまけに敵の兵の配置が弓矢状である為、突破しようとする一点に敵兵が次々と押し寄せる。その部分においては数の暴力が発生した。それに今回は横に開いていない分、勢いが先ほどの比ではない。密になって尖っている分、その貫通力は圧倒的なのだ。
だが、ここまでは想定通りだ。
その収束された圧力にも、次郎右衛門の隊はよく耐えてみせていた。先ほどの鍔迫り合いで疲弊した前列と、万全の状態の後列を入れ替えた事も影響しているだろう。
ただそれでも、敵の突進をまとめて受けている隊の中央付近が、徐々に押し込まれ始める。当然だった。そこに敵の力は集中しているのだから。
とはいえ、見ていて面白いものではない。そこでは大事な味方の命が失われていっているのだ。たとえそれが計算通りであったとしても、面白い訳がなかった。
「ちっ。想像以上に元気だな、奴ら」
思わず素直な感想が漏れてしまう。
「真に。しかしそれだけ最初のあれは、奴らの、いや、茂助の肝を冷やしたのでございましょう。わざわざ型を組んでまで、神森様のお命を取りに来ているところからも、それが窺えます」
「やはり狙いは、俺の命かね?」
「間違いございません。矢の型はその為の型にございます。なりふり構わず敵将の命のみを狙う為のものでございますから」
俺と又兵衛は、まるで他人事のような調子で言葉を交わした。
四つの目は、巨大な『矢』を受け止めてくれている次郎右衛門の隊に注がれたままだ。
「ふん。意志は一目瞭然ってか。便利なもんだ」
俺は鼻を鳴らし、そんな皮肉を口にしてみる。すると、
「戦場というものは、将であろうが、兵であろうが、すべからく己が力を示すべき場にございますからな。矢の型の他にも型と呼ばれるものはいくつか存在しますが、それらはすべて邪道の術にございます。正道ではございません。……しかしそれ故に、目的は用いるそれぞれにおいて明確なのですよ」
と、とるに足らないような俺の言葉にも、又兵衛は明確な解説をくれた。どうやら彼も、その上司である次郎右衛門同様に副将適正が高いようだ。
「なるほどねぇ……。でも、俺相手にそれは命取りだな。俺は邪道の申し子だぜ? 邪な道を語らせたら俺の右に出る者はそうそういないよ? なのに、それで俺を倒そうと? 実に良い度胸だ。――又兵衛。太鼓の準備を。合図は『二つと三つ』だ。急げ」
「はっ」
俺はそんな又兵衛に、薄く笑んでそう指示を出す。
又兵衛はもうそれに驚く事も、不安をみせる事もなかった。代わりにわずかの間すらあける事のない返事と、太鼓役の兵へと振り向く動作で応えた。
ドドン――――。
大きく早く二つ打ち鳴らされる。
そして一拍の後、
ドン、ドン、ドン――――。
と大きく三つ打たれた。
すると、次郎右衛門の隊がすぐさまそれに反応した。真ん中から左右に割れだしたのだ。
よしっ。うまく出来ている。
その様を見て、俺は心底喜んだ。
こんな戦い方は初めてであろう次郎右衛門の兵たちだったが、崩れたように見せかけて、その実まったく崩れていない――崩壊を演出した見事な機動だった。
「よしっ。次は俺らの番だ。本隊は交戦しながら下がるぞ。又兵衛、よろしく頼む。伝令っ。――左右の槍小隊に『俺に向かうよう』敵を誘導しろと伝えろっ。弓小隊には槍小隊に混ざり、二人一組から三人一組に移行すように言えっ。そして隙を見て、横からだろうが背中からだろうが敵を射殺すんだ。これは馴染みがないだけで『狙撃』という立派な戦闘術だ。決して躊躇うなと言明せよ! 散れっ! 急ぐんだ」
「「「「はっ」」」」
本隊の将兵らや伝令に大声で次々と指示を飛ばす。兵の意識を洗脳する事も忘れない。わざわざ名称をつけて、それっぽくしたのはその一環だ。
俺の言葉が終わると、伝令はすぐに四方に散り各小隊に向けて走った。本隊の兵たちはゆっくりと腰を落とし、突っ込んでくるだろう敵勢に備えて態勢を整える。
程なくして、次郎右衛門の隊は完全に左右に割れ、堰止められていた力が解き放たれた。次郎右衛門の隊は言うなればダムのようなものだった。こちらの意志によって調整された流れが、俺へと向かった。
「大将首は俺がもらったあっっ!」
「どけどけっ邪魔だっ! 弱卒が道を阻むなっ!」
「どうだぁっ! この卑怯者共がっ!」
開けた細い道に次々と飛び込んでくる敵兵。その者たちは思い思いに喚き散らしながら、自分たちがとうとう優位に立った事を疑っていなかった。
その時には、又兵衛と彼が選んだ十名ほどの精鋭が、専属で俺の護衛に回っていた。そして俺は、彼らに守られながらこの身を敵の鼻先に晒し続けていた。
俺は餌だった。
大将を餌に使うのは危機管理上あまり誉められた行為ではない。しかし、欲に狂った者たちの視野を狭窄させ続けるのに、これ以上適した餌も他にない。
功を求める者、己の力を誇示しようとする者、様々いる。その身を戦に投じている理由など千差万別だろう。だが、そのどれにとっても大将首――つまり俺の首は魅力的な筈なのだ。
そして、奴らは当たり前に俺の首を求めた。次郎右衛門の隊を越えた者たちはこぞって俺のいる本隊へと向かい、俺たちによって用意された道を深く深く突き進んだ。そして、俺の目の前でも護衛の者らと攻め込んできた敵の先団が戦い始めた。
そうして貫通力を増すために元々細く長い『矢の型』を取っている敵勢は、本隊と共に徐々に後ろへと下がり続ける俺を求めて、更に細く長く伸びていった。
敵の左右に展開させた槍小隊――弓小隊の混成部隊もそれに合わせて、より細く長い道を作っていく。敵を挟む壁を作るための人員が足りなくなってくると、混成小隊ばかりでなく本隊の人員も二つに分けて壁として使っていった。
その末に敵が伸びきったのを見届け、俺はそれ以上下がるのを止めた。
完成したのである。――――『矢』をしまう為の『矢筒』が。
矢は飛ぶから刺さるのだ。飛ばない矢は何も殺せない。
だから俺は、奴らを収納してやった。
俺という的に向けて、矢が飛んでくる事は決定していた。しかも予備の矢はない。ただ一本きりだ。
だから矢筋を見極め、その飛ぶ速度と威力を殺して、この手で鷲掴みにしてやった。
ただし、これは口で言うほど簡単な事ではない。
兵たちは、訓練もしていない動きをぶっつけでやらねばならなかった。それに技術だけの問題でもなかった筈だ。中には精神的に抵抗感のある者もいただろう。
何よりもはっきりしたところでは、又兵衛ら俺の護衛役の役割である。どう軽く見ても容易という言葉からはほど遠い。自身が逃げるという選択肢はもちろんの事、護衛対象の俺を逃がすという選択肢もないまま、倒しても倒しても延々とわき出る敵から俺を守り、戦い続けなくてはならなかったのだから。
しかし、皆やり遂げてくれた。敵が完全に伸びきり筒の中に収まるまで、自軍を崩壊させないようにしながら、崩壊を演じきってくれた。
ここに来て、この奥深くまで攻め込んできた者たちは何かがおかしい事に気がついたようだった。「ちきしょう、嵌められたっ!」一人の敵兵がそう叫んだのだ。それを皮切りに敵勢に動揺が広がった。
ある者は横の壁をこじ開けようとした。しかし、ツーマンセルで待ち構える槍小隊の兵らによって容易に阻まれる。そして、弓小隊の者は躊躇う事なく槍を打合わせる脇から矢を撃ち込んだ。
ならば、と行き先がない者たちが狂気の末に再び俺の方へと向かってくる。
だが、
「ふんっ! しっ!」
「ひっ……ぐぶっ」
「あ……う゛ぁ」
激しく槍の柄が打ち合わされる音が響き、そして新たな死体が転がるだけだった。
護衛の者たち鋭く突き込まれる穂先を逸らし、そして逆にその敵兵の喉を突き抜かぬようにして殺していった。また敵の喉に穴を空けたばかりのその穂先は、そのまま即座に近くにいた他の敵兵の喉の前へ滑る。そして、その喉を切り裂いた。
確かに精鋭だった。
俺には、護衛の皆が一騎当千の英雄に見えた。
その者たちはただ一人の例外もなく全身返り血にまみれ、もうすでにまっ赤だった。喉を刺し貫かれた敵兵が吐く血は、俺の頬にすら飛んできていた。それは、ぬるりと生温かかった。
本当にすごかった。そんな状態になる程戦っているというのに、又兵衛は言うに及ばず、護衛たちの誰一人として倒れていない。本物の戦士の誇りと力を、まざまざと見せつけられたような気がした。
そんな優秀な護衛に守られながら、俺は戦場を見渡す。
そろそろ、かな?
敵に止めを刺すべく、次の指示を出そうと思った。――――その時だった。
とある敵兵の一人が、又兵衛と力比べをしながら体を崩すようにして俺へと突っ込んできたのだ。手にした槍ではなく、大きく開いた口に光るその歯を武器にして。
その表情は憤怒に満ちていた。いや、俺の首という宝を前にした、歓喜だったかもしれない。いや、これですべてが片づくか――狂気。
俺に向かって倒れ込むようにしながら、そんな顔が首めがけて突っ込んできた。
怖かった。本当に怖かった――――。
その様を見て、とっさに腰が落ちた。左手に握るものへと無意識に右手がいった。そしてそこにあった物を握ると、そのまま右手を横に薙ぎ払った。
それは本能的な行動。そして、その結果は偶然の産物だった。
手首に衝撃が走った。そしてその衝撃は、肘、肩、そして背筋へと次々に駆け抜けていった。
狂ったような表情で固まった首が一つ、踏み荒らされた地面へと滑り落ちていった。落ちるまでの間にその双眸は二度瞬いた。そして”ぼてっ”と重く柔らかいものが落ちるような音がすると、首なしの武者はまるで壊れた蛇口のように赤い水を吹き上げた。
それは温かく滑り気のある水だった。赤いような黒いような水だった。そしてそれは――――、とても生臭かった。
今それを全身に浴びている。頭から被っていた。
それでも俺は目を大きく見開き、血を吹上げるその首なしの武者を見続けた。額を伝って目に入りそうになる返り血を、血に塗れた刀を握ったままの手の甲で何度も拭い続けた。どこもかしこも赤かった。
気がつくと、大して動いた訳でもないのに荒い吐息を吐いていた。そして、新たな空気を求めて更に大きく息を吸っていた。しかし、そうして肺に入れる空気はとても不快だった。
とうとうやってしまったか……。
もうすでに、人を殺す命令を何度も出している身。それはわかっている。今更の感想だった。
それでも、手に残り、脳に残り、そして心臓に残る初めて自らの手で人を殺した感触は、心身に絡みつく。胃の腑の底からせり上ってくるものを感じる。
が、歯を食いしばるようにして、それを飲み下した。何度も何度も、それを繰り返した。
そして、力の限りに吠える。
この戦に関わった我が軍の兵たちの功績を称える為に。そして特に、返り血で真っ赤に染まった又兵衛と護衛役を見事勤めあげた者たち向かって、その奮闘を称える為に。俺はこの戦場すべてに響くよう高らかに、そして厳かに宣言した。
「”我ら”が策は成れりっ! 者どもまことに大義であるっ! これより反撃の時ぞっ!!」