第六十二話 北の砦攻略戦 荒木山麓の戦い でござる その五
左右の弓小隊から放たれる矢の雨が、下がる敵勢に収束する。
それは再び少なくない被害を奴らにもたらした。
「おのれ、小僧め。貴様らも戦をする気があるのかっ!」
下がる足を止め茂助は吠えた。俺ばかりか、俺の命に従って動いている兵たちにも罵声を浴びせる。
しかし、それに応える者はいない。
俺も応える気はない。
端から理解を求める気はないからだ。開戦した瞬間から、奴らは俺らの獲物だ。獲物は狩る対象であって、会話の相手ではない。
その鳴き声は位置を知る情報である。意味など理解する必要はないのだ。
――――やっているさ。ただ、猪の縄張り争いには興味がないだけだよ。
だから、心中でそう呟くに留まる。代わりに頬の筋肉が、俺の心の声を語った。
しかし当然の事ながら、次郎右衛門の隊の更に奥――本隊にいる俺のそれを茂助が見る事はない。
茂助のその問いに、俺たちの誰もが答える気がないと見るや、奴は下がる軍勢に紛れて馬首を返した。更なる侮蔑の言葉を吐き続けながら。
兵たちがその言葉に釣られないか一瞬心配したが、次郎右衛門に救われたようだ。兵からの彼への信頼の高さが、茂助の声を遮断したのだと思う。そう評せるほど、後ろから見渡した兵たちに全く動揺が見られなかった。
本当に大したものだとその様を見渡していると、
「とりあえず一合目は、我々の勝ちでございますな。今の斬り合いにて、若干あったと思われる彼我の兵力差は埋まったかと」
と、俺の隣で黙したまま最前線の様子を注視していた又兵衛が、その目を反らす事なく言った。
「ああ。初手は俺たちの勝ちだな。そして、この分だと次を取れば、俺たちの勝ちがほぼ決まる」
「……次を取れば勝ちですか?」
「勝ちだな」
俺の言葉に又兵衛はゆっくりとこちらを振り向き、その真意を窺おうとする。
そんな彼に、言葉短く俺はそう断言し直した。
又兵衛はその言葉を理解しかねているようだった。それに不安そうにも見えた。
だが、その言葉は嘘ではなかった。次で一方的に削ってパワーバランスを崩す事が出来れば、策を用いない戦い方をする奴らでは、俺の用いる戦術と次郎右衛門に鍛え上げられた兵たちに対抗する術がないからだ。もし奴らが、一旦劣勢に傾いた軍を立て直しそれを覆せる兵たちであり敵将ならば、こうも簡単に初手を献上してはくれなかっただろう。
「だが、まだ気を緩めるなよ。むしろ、これからだ」
ただ、それはそれなのだ。油断するつもりは毛頭ない。道永の時のような失態を、再び繰り返すのはごめんだった。あの時はたまたま事なきを得たが、今度もそうだとは限らない。
こちらを向き何かを言いたそうにしていた又兵衛は、その俺の言葉に目を見開いた。
「……そういう事だ。いいな? 副将殿」
「はっ!」
そして繰り返した俺の言葉に、今度は短く切れの良い――如何にも戦人という応答を、又兵衛は返してきた。
そんな彼を見て、(いや、まったく世話をおかけします)と、年若い指揮官を支えようとしてくれている副将殿に感謝した。
そして、視線を前線に向け直す。
その後すぐに、ちらりと脇目で一瞬だけ彼に視線を戻した。すると彼も、どこか安心したように再び前線を眺めていた。
しばらくそのまま、奴らの動向を見守った。
すると、俺たちから十分な距離を取ったところで奴らは後退を止めた。そして、そのままその場に固まっていたかと思うと、大きくその形を変えようとしていた。
「再び動きます」
その動きを見て、又兵衛からもそう進言が来る。
「その様だ。だがあれは……」
俺は正直少々驚かされた。
なぜなら、奴らが動きは陣を敷く動きだったからだ。奴らが敷こうとしている陣形は、鋒矢の陣――矢印のような形状の貫通力の高い突撃型の陣であった。
この世界には戦術はない筈だろ。どういう事だ――――?
内心焦る。
「……どうやら『矢の型』のようですな。深い位置にいる我々を集中して狙いたいという事でしょう。まあ、妥当ではありましょうか。ただ、どうやらあの将は、大きな口を叩く割には小心者のようで」
多分少し顔に出してしまったのだろう。又兵衛は俺の心中を慮るように、短く解説を含めた所感を述べた。その顔に、やや茂助を侮蔑するような表情を浮かべながら。
どういう事だ?
又兵衛が特に驚きを見せないところからも、またきちんと名前があるところからも、陣はこちらでも特別なものではないらしい。ただし、彼らはそれを『型』と呼んでいる。
だが一つ疑問が残るのは、『鋒矢の陣』というのは攻撃的な陣であるという点だ。故に、その陣を敷いて”小心者”と言われるような要素は、本来ない筈である。
見れば、確かに茂助の位置は矢で言えば羽根のあたり。『鋒矢の陣』としては、かなり後ろ気味の位置である事は確かだ。また、又兵衛が『ただ』と前置きをして言っているあたり、『矢の型』としてもこの将の位置は特殊な部類と言えそうだ。
それにその『型』という言葉にしても、やはり少し引っかかる。
伝七郎はこちらの戦を『かたまりでぶつかり合う』と言っていた。俺もその言葉のままに理解していた。故に『個人戦の集合体』であり、集団としての意志はない戦闘を想定していたのだが、それは間違いだったようだ。
こちらにもこちらの世界の事情に沿った陣形『型』があるのだ。
確かにこちらの戦は、個人戦の集合体のような戦だ。そういう世界だ。
でも、ぶつける塊には形があるんだ。
してみると、最初の闇雲に見えた突撃も、俺にはただ突っ込んできたように見えたが、あれは密の状態を敵にぶつける『型』だったのかもしれない。
そこまでは理解した。だが、どうにもすっきりしない。
何だ。何が気になっているんだ、俺は。
『かたまりをぶつけ合う』――――。
『かたまりには型がある』――――。
『矢の型』……。深い位置にいる俺たちを狙う……。
…………そっか。そういう事か。
自身の思考にどうにもひっかかりを覚え、なけなしの脳味噌を使ってその原因を考えた。そして、わかった。その原因が。
否、原因と言うより、「気付けよ、俺」という、俺自身からの助言だった。
「又兵衛。次の奴らの突撃で致命傷を与えるぞ」
俺は又兵衛の方を向き、そう宣言した。
「なんですと?」
又兵衛は突然告げられるその宣言に、目を丸くした。
「悪いが、もう驚いている時間は無い」
そう言って敵の方へと目をやってみせた。そこでは、もうすでにほぼ矢印の形状に陣形が組み上げられようとしていた。
「伝令っ」
「はっ」
すぐ側で控えている兵がすぐさま近寄ってくる。
「――――の内容で次郎右衛門殿に伝えろ。急げ」
「はっ」
伝令は俺の言葉を持ってすぐさま次郎右衛門の元へと走った。しかし、駆けていく伝令を見送る暇もなく、俺はすぐに又兵衛に向き直る
「又兵衛っ」
「はっ」
「――――と兵を動かす。色々と初めての事ばかりで難しいと思うがやってくれ」
「…………本気でございますか? 神森様」
「むろん本気だ。ついでに言うと、正気だぞ?」
俺の話を聞き、又兵衛は絶句していた。信じられない者を見るような目をして、俺を見ている。
「どうだ? やれるか?」
改めて俺は聞き直す。
そんな俺に、又兵衛ははっと我に返り、軽く俯くと首を振った。
そしてすぐに顔を上げる。その顔は、もう動揺してはいなかった。
「なんと破天荒な事を考えるお方であろうか。ですが、そこまで信頼していただいて、否やとは申せません。私も武人の端くれでございますからな。……必ずややり遂げてご覧にいれます。お任せ下さい」
「わかった。頼んだ」
その又兵衛の言葉に、俺は即答した。
俺は腹を括っていた。そして、又兵衛も同様に腹を括ったに違いない。彼の顔は、覚悟を漲らせていた。
――――この命を賭け金に、奴らを嵌めてやる。
俺の糞意地が勝つか。奴らの悪運が勝つか。勝負だ。
これが成功すれば、伝七郎を待つ事なく、俺たちの勝ちとなるだろう。
元々の策は伝七郎の援軍を待っての挟撃だった。しかし、このままこれを採用するのは不味い。奴らは、俺の想像以上に猪過ぎた。少しでもこちらを警戒してくれれば時間稼ぎという選択肢もあったが、このままでは援軍の到着前に消耗戦となる。
躱すのも逸らすのも限度があるのだ。付き合っていたら、こちらの兵も限度を超えて消耗させられる。それは避けなくてはならなかった。
先ほど明確に優位を作ったツーマンセルも、それなりには対応されるだろう。具体的には、避けたい乱戦に持ち込まれる形で。
ここは勝負に出るべきだ――理屈は勿論、なにより俺の感がそう言っている。
俺は最後の検討を終え、下腹に力を入れ直す。握る拳に力が入った。
やはり、これしかない――――。
(さあ……、来いっ!!)
するとその時、又兵衛が叫んだ。
「来ますっ!」
「「「「おおおぉぉぉっっ!!」」」」
又兵衛の声に反応する。反射的に視線を前方の敵に合わせた。
そのとき目に映ったものは、雄叫びを上げる敵勢が駆け出す瞬間だった。