幕 伝七郎(三) 北の砦攻略戦 その四
「さて、伝七郎様。どうします?」
「有り難うございます、与平。とりあえずは、どうもしませんかね。今少し様子を見ましょう」
与平は前方に意識を集中させたまま、私に尋ねてきた。
そう。今はまだ、このままだ。必ずや機は熟す。私たちが動くのはその時。同士討ちが始まってからだ。
私の警護に集中していた信吾は、横まで進み出てきた与平を見ると、後方にいる部下たちの元へと踵を返した。柵を破壊する手筈を整えに行ったのだろう。
待機している信吾の隊の者も、私の隊の者も、そして与平の隊の者も、各々油断なく中の動きに注目している。適切な緊張感があり、それぞれが皆戦場に相応しい良い状態を保っていた。
そんな我が軍の士気の高さは、先ほどの私の言葉と合わせて、籠もった敵兵を追い詰め、著しく刺激し続けていく。
そしてついに、
「…………もう駄目だ。降ろう」
と、一人の敵兵の口から漏れた。
――――ついに始まった。
表情を動かす事なく、私は心の中で笑みを浮かべた。
そして、背中にそれとなく右手を回す。その手で信吾に合図を送った。
呟かれた降伏の声。だが、それに激昂する声が上がった。
「何を言うっ! 正気か、貴様はっっ」
「その通りだ、恥を知れっ! こんな卑怯者共に膝をつく事など出来ようかっ!」
だが、更に反論を返す者もいた。
「……だがこのままでは、俺たちは殺される。降れば殺さぬと言うならば、降った方が良いではないか。誰だって命は惜しい。そうだろう?」
「こんな卑怯な真似をする輩が約定など守ると思うのかっ!」
喧々諤々の様相を呈する。
中でも交戦派のとある一人は、戦士の誇りを声高に謳っていた。これだけ圧力を掛けられてのその胆力。正直継直の軍に置いておくのはもったいない兵だとさえ思った。
身を置く場所を間違えたのだ。
「こんな恥知らず共に頭を垂れろと言うの……か……?」
つい先ほどまでの仲間に背中から刺されて、彼は大地に倒れ込む。哀れみを感じた。
以降は必然の流れだった。壁の内側では、数人いた交戦派がその様を見て、降伏派を警戒し刃を抜いた。
積極的な降伏派は、ここから見た限り籠もっている者たちの半数ほどだろう。その降伏派は刃を抜いた交戦派を取り囲んで、私たちにその意志を示そうとする。むろん今後の己らの扱いを少しでも良いものにしたいが故に、だ。
残りはもっとあざとい。どちらに加わる事もなく、事の成り行きを見守っている。確実な勝ち馬に乗るために目を光らせているのだ。
――――醜い。ひたすらに醜い。その有様を見て、素直にそう思った。同士討ちが起こるように誘導したのは私自身だ。しかし、醜いものは醜かった。
こういう奴らばかりだから、姫様はこんな目に遭っているのだ。こいつらは水島の病巣そのものだ。
私は無表情を装ったまま、内心毒づいた。
しかし、横の与平はその心の内を隠してすらいなかった。
舌を打ったかと思えば、大地に唾を吐き捨てた。そして鼻に皺をつくって、露骨に不快感を表明している。
私はそんな彼を見て苦笑が漏れそうになるが、なんとかそれを堪える。そのまま無表情を装い続けた。
彼が今どんな気持ちでいるかは手に取るようにわかる。知り合って、もうすでに大分経つ。これは明らかに、彼、いや彼らが好かない光景だった。
そんな事を考えながらも、目の前の動向からは目を放さずじっと観察を続けた。
ほどなくその様は、より激しく、そして、より醜くなっていった。
そろそろ頃合いか――と、私は右足で軽く大地を蹴る。じゃりっと音がたった。
その音に気づき、信吾と与平がそれぞれ最低限の動作で視線をこちらに向ける。彼らがこちらを見ている事を確認し、私は小さく、とても小さく頷いて見せた。
するとそれに応え、信吾は即座に動いた。
配下の兵に目配せをしたかと思うと、無言で左腕を振って主郭を囲む柵のとある一点に向けた。それは門のすぐ左脇だった。
その合図を受けて、数人の信吾配下の兵らが、静かに道端に置いてある丸太と呼んでも差し支えないような木材を抱える。
瓦礫の壁の内側は内輪揉めに忙しく、それに気がつかない。
与平は配下の兵と共に、より一層の警戒態勢に入っている。自身もすでに矢を番え、いつでも弓を引ける態勢を整えていた。
そして始まり――――、
――――私たちは砦を落とした。
あっという間であった。
まず、太い木材を抱えた兵たちの突撃によって柵の一部が薙ぎ倒されて大穴が開けられた。一撃であった。
その開いた穴から、信吾は自身の隊の先頭に立って主郭へと雪崩れ込んだ。
その段になって、やっと揉めていた敵兵たちは状況に気づいた。
しかし、当然何をするにももう間に合う訳がない。敵兵たちは次々と中に押し入ってくる我が軍の兵に混乱するのみだった。いや、混乱と言うよりも絶望したと言った方が正しいだろう。
ある者は苦々しい顔で、心底悔しそうに手にした武具を地面に叩きつけた。またある者は全身をがくがくと震わせ、膝から崩れ落ちた。
それは、いずれの派閥に属していた者であろうと、等しく諦めた瞬間だった。
そして、それが私たちの勝利が確定した瞬間でもあった。
「終わりましたな……。おめでとうございます」
瓦礫の山が除かれた門を通って、信吾がこちらにやってくる。いくらか血を被っていた。混乱しながらも、何名かは自暴自棄になって刃向かった者たちもいたのだ。その者たちの血だった。
そんな信吾の姿を見て、私も労いの言葉を述べる。
「有り難うございます。そしてお疲れ様です、信吾。大事はなさそうですね?」
「はっ。有り難うございます。おかげさまで、この身は傷一つ付いておりません」
やや疲れたような表情を見せながらも、信吾は私の言葉に笑顔を作ってみせた。おそらく肉体的には問題なくとも、精神的に疲労感があるのだろう。
弓隊を率いて信吾やその隊を援護していた与平も、取り繕ったような無表情で、降った者たちを纏めていたが、やはりその表情はともかく、身体から発する気がいつもの与平のものではない。彼はいつも戦の後でも元気なのだが、今日はどこか疲れているように見える。信吾のそれと同じように私には思えた。
将たちばかりではなかった。突撃が始まって以降も敵に身をさらし続けた私を守る為に、周囲を警戒し続けてくれた私の隊の者たちも、目の前で起きた同士討ちにはうんざりしたようで、大きく溜息をついている者も少なくなかった。
確かに今回のこれは、私たちが知る誇り高く戦う戦からは程遠い物だ。特に敵が最後に見せた醜態などは、見ているだけで嫌悪感も疲労感も覚える。これを仕掛けた私自身、武殿より学びたての策の成功に喜びながらも、今までの戦士としての自分が、嫌悪感と共に大きな精神的疲労を感じていた。
しかし、私たちはこれを嫌うのではなく、慣れなければいけない。現に今回も武殿の言っていた通り、ほとんど犠牲を払う事なく完勝し、砦を陥落させている。その事が、如何なる言葉よりも雄弁に方針の正しさを語り、これ以上なく今までの私たちの未熟さを教えた。
まだ血の匂いが散りきらぬ主郭の入り口で、武殿らが戦場に選んだもう一つの戦場――麓の方を向く。当然ここからではそこは見えない。ただ、この砦をとりまく雑木林が見えるだけだ。空を見上げても、陽はまだ登り初めて間もない。まだ微かに星の姿も見えた。戦が始まって半刻ほど、おそらく今は夜明けから一刻ほどの筈だった。
昇ろうとする朝日に照らされた砦を見回し、勝利の余韻も半ばに、すぐに次の事を考える。
さて、これで無事砦は落とせた。あとは一刻も早く武殿らに援軍を送らねば。あちらは激戦になる。
戦の後始末と仮補修で忙しそうにしている兵たちを見ながらも心が逸った。しかし、それをぐっと堪えながら、準備が整い終わるのを待つ。
――――援軍が着くまでなんとか耐えていて下さい。武殿、源太、次郎右衛門殿。