幕 伝七郎(三) 北の砦攻略戦 その三
しかし、門の近くまでやってきて気づく。
ここまでの騒ぎで異常に気がついた敵兵たちによって、主郭への門は封じられていた。もっとも荷車やら薪の束やらが積み上げられた、お世辞にも立派とは言い難い粗末な壁によって、ではあったが。
「お疲れ様です。流石に最後まで一息には攻め込ませてはもらえませんでしたね」
怒号と土埃の舞う副郭から主郭へと続く道の上で、信吾の背中を見つけて声をかける。
攻め込んだ軍勢の先頭で、信吾ら最前線の兵らがそれ以上の進軍が出来ずに留まっていたのだ。信吾は目の前の塞がれた門を見て、舌を大きく鳴らしていた。
私の声に気づくと、信吾は渋そうに歪めていた顔を戻す。
「おお、伝七郎様。お疲れ様です。そうですなあ。流石にそこまでは甘くなかったようで。まあ、あり合わせで何とかしてみました、といった所のようですが」
そう言いながら、瓦礫の山とその向こうに立て籠もっている敵兵らへと、信吾は視線を戻す。
その視線の先を追ってみると、壁の向こうにはざっと二十人弱の姿がまだあり、こちらを警戒している。
のんきに撤去作業などしようものなら、瓦礫の隙間から槍で刺されそうだ。積んである木材の上や門の近くにある平屋の屋根に上って、弓を構えているものもいた。
「さて、どうします?」
そんな中の様子を窺いながら、私は信吾に意見を求めた。
「ふむ、そうですなあ。このまま力尽くで目の前のごみの山を越えても良いのですが、どうせ力尽くでやるならば、門ではなくその脇の柵を破る方がよいでしょう」
「できますか?」
「無論」
信吾は顎に手を当て少し考え込むと、門を通るよりも主郭を囲っている柵を破壊しようと言う。かなり大きく厚い木製の板が並んでいるのだが、そちらを破って通る方が楽そうだと進言してきたのだ。
その案を語りながら、信吾は視線を道の縁の方へとやった。そこには人の胴くらいの太さの木材が山積みにされていた。建築資材にでも使おうとしていたのだろうか。
それを見て、(なるほど、それも一案か)と考える。
主郭へと続く道は塞がれている門を通るこの道一本だ。
武殿はこちらの指揮を私に頼んだ時に、「正面からぶつかるばかりが戦じゃない。可能なら回り込め。後ろから不意を突いて殴れ。挟み討て。卑怯上等だ」と何度も言っていた。徹底して無駄に命を使うな、有効に使えと私に語った。
今回その言葉通りに兵の運用を行うのは、砦の構造上無理がある。しかし、その要義は有効だ。
武の誉れ――士分の根幹である。私たちはこれを基礎にすべてを考えてきた。しかし、武殿は言った。「概念としては尊重する。事実、尊いものだろう。そしてそれは、お前たちこちらの戦士の誇りであり動機でもあるだろう。そういったものは、強さにも直結する。だが見る角度が変わると、それは一転とても脆いものに変わる。例えば俺のように、その価値観の存在を知りながら、その価値観を持たない者には致命的なまでに弱い。大いに利用されるだろう」と。
目の前にある瓦礫の壁を眺めていると、そう話をしていた武殿の顔が脳裏に浮かぶ。
彼なら、これとどう戦うだろうか……。
あそこに指揮官はいない。それはわかった。
あれは私たちの戦い方ではない。あちらに武殿がいるならば、これはわかる。しかし、あちらに武殿はいないのだ。つまりあれは、”私たちの籠街”なのだ。なりふり構わず逃げ、籠もっている。
そして、そこには私たちを卑怯者と罵っている者がいる。ただ怯え震えながら、壁の向こうでこちらを窺い見ている者もいる。それらが一緒になって、そこにいる。
なら、武殿の教えをこの場で生かすには――――。
「信吾。ついてきて下さい」
「はっ」
信吾は軽く頭を下げ、瓦礫の壁の前へと向かう私の斜め前に移動する。私たちはそのまま、門前へと進んだ。
「どうされるので?」
歩きながら、信吾は小声でそう問うた。
「……なに。降伏を勧めるだけですよ。私はね?」
私は信吾の問いにそう答える。そして正面を向いたまま、視線だけを彼の方へと向けて口角を上げて見せた。
すると、今までの私らしからぬ物言いをしたせいか、信吾は少し驚いたように軽く振り向く。そして、細い目を一杯に見開いた。
はは。武殿の真似をしてみたのだが、私には似合わなかったか。
顔の筋が微笑みを作る。しかし、それは一瞬の事。私は気を張り直し、そのまま門前へと進んだ。
そして、声を張り上げた。
「お主らの敗北はすでに決定している。無駄な抵抗は止めよっ。武器を捨て潔く投降すれば、相応に扱う事を約束しよう。が、警告はこの一度きりだ。次はない。この言葉を無視すれば、我々は突撃を敢行し、その時は主らを皆殺しにする。さあ、投降か揃って討ち死にか、好きな方を選ぶが良い。よく考えよ。私はどちらでも構わない」
我ながら悪辣な物言いだった。
私ならば、こんな言葉には決して従わない。先々の為に、この場は自身の口にした言葉に従い相応に報いもしよう。だが、こんな甘言に乗る輩を私は評価しない。
しかし私は、無駄な手間と犠牲を省く為にこれを選ぶ。
投降するならばそれでよし。投降までしなくても、追い詰められた心弱き者らが同士討ち、いや内輪揉めを起こしてくれるだけでも十分だからだ。その間に信吾を突貫させれば良い。突撃する信吾の安全性も格段に増すだろう。
籠もる敵勢に選択を迫ると、私は周りを警戒してくれている信吾に視線を送った。信吾もそれに気づく。それを確認し、そのまま道の縁に山積みになっている木材を見る。
信吾は静かに、そして微かに頷いた。
だが、その時であった。
門のすぐ脇にある平屋の建物の屋根に上った弓兵の一人が、
「黙れっ! 誇り高き戦を汚す卑怯者どもがっ!!」
と雄叫んだ。そして同時に、引き絞られた弓より矢が放たれる。
だが私は、自分に向かってまっすぐに飛んでくる矢を見てのんきにも思う。
(ほう……。継直の兵の割にはなかなかに気骨がある)と。
すでに矢は目前。このままなら私の肩の肉をいくらか削る筈だ。だが――――。
信吾が即座に射線上に割って入る。そして、手にした槍の柄であっさりとその矢を払い落とした。
そしてその払われた矢が地面に落ちる前に、私の背後から数本の矢が飛ぶ。むろん先ほど矢を射った弓兵に向けて、だ。
ひとつ瞬いた後には、彼の右目、喉、心臓、そして、両肩に矢が生えていた。残った左目を見開きこちらを凝視している。そして一拍の後、すでに声を発する事の出来ない口から鮮血を吹き零し、彼はゆっくりと仰向けに倒れていった。屋根の上からその姿が消えると、建物の向こうから重く複雑な音が聞こえてきた。
……………………。
私は無言のまま彼の消えた建物の影を見守り続け、心中で合掌をする。
そんな私の背後からゆっくりとこちらに向かって歩きながら、門の向こう側に向かって語りかける者がいた。
「やんちゃはいけない。選べるのは投降か死か、二つに一つと言われた筈だろ?」
その声は決して威圧的ではない。まるで旧知の者に語りかけるような口調だった。
与平である。いつも通りの人なつっこい笑顔を浮かべていた。だが、その左手には弓が、右手には矢が、いつでも番える事が出来る状態で握られていた。そして、その背後には与平配下の弓兵たちが引き絞られた弓を構えて並んでいた。