幕 伝七郎(一) とある異界の男との出会い その二
驚いた。ただただ只管に。
あの激しい閃光と耳を壊されるかと思うような轟音の後に、その手を見つめ佇む一人の男。そして、物言わぬ骸と成り果てた盛吉の体。
いったいこの男は何をしたのだ? どういう男なのだ? 敵か? 味方か? それとも……。
ただ、あの男が盛吉を討ち取ったと言う事だけははっきりとわかった。
そこまで考えて、今の自分たちのすべき事を思い出す。
敵を撃退せねばならない。その敵は今統率するものを失い、完全に浮き足立っている。特に騎馬部隊はすでに退却を開始していた。足軽隊百は混乱したまま放置された状態だ。残酷なようだが敵兵を減らす絶好の好機、逃す手はない。すぐに突撃の合図を送らせねば。
即座に法螺貝を吹かせる。
「各々方っ!好機でござるっ!この機を逃してはなりませぬぞっ!!」
力の限りに叫んだ。私たちの持つ虎の子の騎馬十騎が、その混乱する敵足軽隊に突撃する。一方的な狩が始まった。
私たちの足軽と弓隊もその後から駆けていく。そのまま騎馬隊とともに追撃してくれるはずだ。
見れば敵足軽隊も這う這うの体で逃げ出そうとしている。彼らがやってきた方面は開いているので後方の兵には逃げられるだろう。
でも、前から順番に倒せるだけ倒すだけでも十分な戦果が期待できる。こちらは被害をほとんど出さずに。降って湧いた最高の幸運と言っても過言ではない。
それに、あの男……。ものすごい力を持った男なのかもしれない。なにせ盛吉は鎧袖一触で命を奪われていた。
もし、そんな男が私たちに味方してくれるなら、私たちが逃げ延びる確率はぐんと高くなる。姫様や咲殿たちを逃がせるだけでいいなら、更に分がよいものとなろう。
なんとかこの男がどういう男なのか確かめる術はなかろうか。
いや、それ以前にまずは話してみない事には何も始まらぬか……。よし。
「ご助力かたじけない。私は佐々木伝七郎と申す。しかし、驚きました。敵将迫る正にその時、光と共にいきなり現れて、我らを救ってくださったのだから」
私は努めて明るく彼に声をかける。
どうか期待通りの男であってくれ。そう願わずにはおれない。今の私たちにとって、ここを死に場所と決めざるをえなかった私たちにとって、彼は突然降って湧いた希望のようなものなのだから。
「ああ。問題ない。俺は神森武だ。こんな戦場のど真ん中で暢気に話しこけている訳にいかんだろ? ここよりマシなだけでいい。話ができる場所はないか? 正直、聞きたいことが山のようにある」
将を一人倒したにもかかわらず、それをまるでそれがどうしたと言わんばかりだ。彼にとっては当たり前の結果過ぎて、それを誇る気すらもないのか?
それにこのような状況下であるにもかかわらず、なんたる冷静さと堂々たる態度であろうか。
普通なら戦場で、しかも、一戦終えた後に敵とも味方ともわからぬ私を前にしたならば、まともな思考などできはしない。この言葉を発するには冷静さだけでなくとてつもない肝が必要だ
世に名のある将でもいったいどれほどが同様に振舞えようか。
これは大器か? 不条理を哀れんだ御仏が、私たちに遣わした本物の英雄なのか?
いや、まだ結論を出すのは尚早だ。もっと彼を見極める必要がある。幸い彼は私たちと話す気があるようだ。即座に敵にまわる可能性は少ない。
「では、ここの後方に私どもの陣がございます。そちらに移動して、そちらで話をさせて頂きましょう」
そう提案してみる。すると彼は、
「わかった。案内してくれ」
とだけ言った。
私の期待は否応なしに跳ね上がる。恐ろしいばかりの肝っ玉だ。
彼を連れて陣へと向かうのだが、彼は追撃を行う私たちの兵を見て、視線を鋭く変える。
……流石だな。彼の目には私たちの戦い方が、さぞ拙く見えているに違いない。
私も常々思っていた。
私たちの戦の作法は、敵の前に立って、その力の限り戦うべしという、古からの習わしに縛られている。それは力と力を正面からぶつけ合い、勝った者こそが勝利者であるという実にわかりやすいものではあった。
しかし、私も声に出して言う事こそできなかったが、これはおかしくないかと思っていたのだ。確かに勇気と力を示せはするが、無駄に兵を失ってはいやしないかと。
此度必要に迫られる形で、私はその禁を破った。
私が指揮できる立場だったと言う事もあるが、互いの力を存分にぶつけ合える場所ではなく、相手の力が振るえない環境を以って戦った。
そうしたらどうだ。神森殿の助力があったとは言え、敵方の方が圧倒的に数が多いにもかかわらず、見事それを追い返せたではないか。
しかも、こちらにほとんど損害出さずにだ。これは圧倒的な戦果と言っても過言ではないであろう。
彼はもしかすると、いや多分間違いなく、私と同じ事を考えていた人なのだ。そして、私が古来よりの慣習に捕らわれている間に彼はそれを打ち破ったのだろう。だから、彼には私たちの戦い方が酷く拙く見えて、眉を顰めずにはいられないのだ。
そんな事を考えながら、陣の方へと歩いている私たちだったが、互いに口噤むその雰囲気は重い。私はほぼ確信を持ちながら彼に尋ねてみた。
「どうかなされたので?」
「いや、ただ少しな……」
やはり、そういう事のようだ。私は更なる確信をした。
陣に戻ると、私を見つけた咲殿が陣の奥から走って出迎えてくれる。その愛らしい顔に大きな安堵の表情を浮かばせている。
(ああ、私はこの娘をとてつもなく不安にさせてしまったのだなあ)
否が応にも自覚させられる私の罪。男子たるものが女子にこんな顔をさせて良い訳がないのだ。
「ああ、伝七郎様っ。ご無事なお姿を見れて、咲は、咲は……」
「……咲殿。心配かけてすまない……」
もう私に残された言葉はそれしかなかった。
隣りで神森殿から一瞬殺気が漏れる。女子を泣かす私に怒りを覚えたのか? それとも、見事隠し切っているだけで、彼は私たちを一網打尽にするために送り込まれてきた、どこそこの刺客なのか? それとも……。
彼の能力が尋常ではなさそうだと予想できるだけに油断はできない。油断すなわち私たちの壊滅である。
すると、突然神森殿が不審げに問うてくる。
「おい」
「どうかされましたか?」
「率直に聞くが、アマゾネスの起源は日本だったとかいうばったもんの企画番組か?」
「は? あまぞ? にほん? ばん、ぐみ?」
私は混乱した。彼は何を言っているのだ? 理解できない。あまぞとは何か。にほんとは何か。ばんぐみとは何なのだろうか。
すると、彼は訝しげだったその目を見開き、驚いたような顔をする。
「おーけー。今言った事は忘れろ。もっと大事な確認事項ができた………はいか、いいえで答えてくれ。いいか? ここは日本か?」
そして、確認するかのような口調で、彼はにほんという単語に拘った。どうやら、地名のようだが、ここはそんな地名ではない。そもそも、にほんなどという地名を私は聞いた事がない。
「いいえ。にほんてなんですか?」
私はそう答えるしかなかったが、彼はその私の回答を聞くと顎を落とした。私を見る目が私を見ていないような気がする。
しばらく彼は茫然自失していたのだが、すぐに何かを思い立ったのか、再び質問を重ねた。
「あー。なんだ。もう一つ聞くが、今上陛下もしくは大王はどなたかね?」
今度は陛下の事ですか。彼の頭の中では今目まぐるしく情報が精査されていっているのだろう。今この地で陛下と呼べるのは、出雲におられるこの国の皇リエリ陛下くらいだ。
「陛下……陛下ですか? リエリ・クギュミー陛下ですが」
あ……神森殿はとうとう両手両膝を地に着いてしまった。そんなに衝撃的だったのであろうか?