第五十六話 軍議(荒木山の麓にて) でござる その一
「おお、おお。よう来られた、伝七郎殿。富山の館から無事姫様をお連れしたと聞き及びましたぞ。大功でございますなあ。まこと、よく成し遂げられたものじゃ」
俺たちが幕の中に入った途端、中から声が掛けられる。声の発せられた方に目を向ければ、蝋燭の明かり一つの薄暗い天幕の奥から、中肉中背で好々爺という言葉がぴたりと嵌まりそうな老将がこちらに寄ってくるのが見えた。平八郎の爺さんの白髪も白獅子の鬣のようでかっこいいがこの老将の白髪もその美しさでは負けていない。真っ白であった。
つーか、何気にこっちには天幕があるんだな。たしか、あっちの戦国時代の合戦では使われなかったって話だが……。
今のところの狭い行動範囲の中では、異世界を感じる事はそれ程はなかった。明らかな差として感じたのは、戦の慣習だとか、町の造りだとかくらいだ。生活の中で違和感を感じる事はほとんどなかったのである。しかし改めてこういうのを見ると、今更ながらに(ああ、世界が違うんだ)と感じさせられずにはいられなかった。
俺がそんな場違いな感慨に耽っている間にも、互いの大将の挨拶は進んでいる。
「お久しぶりです、次郎右衛門殿。ご健勝でございましたか? 姫様を無事お連れする事が出来て、私もほっとしておりますよ。でも、もし私一人だったならば、とても達成できなかったでしょう。侍女たち含め、姫様を守って藤ヶ崎までやってきた皆の功績です」
伝七郎はそう言って、俺や信吾に視線を向けた。
「ほっほ、なるほど。伝七郎殿らしい物言いじゃ。それで、こちらのお二方は?」
次郎右衛門は目尻を下げそう言うと、伝七郎の視線に導かれるように、こちらを向いた。
「初めまして。私は神森武。件の大逃走劇のさなか幕下に加わった者です。以後お見知りおきを」
「はっ。私は最近将に取り立てられた者で、犬上信吾と申します。それ以前は一兵卒として、水島家の禄を食んでおりました。若輩ではございますが、以後お見知りおき願います」
その次郎右衛門に俺と信吾は、それぞれ軽く自己紹介をし頭を下げた。
「おお。これはこれは、ご丁寧に。拙者は山崎次郎右衛門。永倉平八郎様の下で将を務める者にござる。こちらこそ、よろしくお願い申し上げる」
「こちらの二人の他に、もう二人将を連れてきております。皆、大変優秀な人材ですよ。特にこちらの武殿の智は、私たちが持つ最大の武器です。必ずや、次郎右衛門殿のお力にもなれましょう」
俺たちの挨拶に応えて、返礼をする次郎右衛門。
「爺さんの下で将を」って事は、臣の臣、いわゆる陪臣って奴だろうか? 長年副官を務めてきたと言っていたし、そういう事かもしれんな。確実には判別がつかないが、そのうち機会があったら聞くとしよう。いずれにしろ、前もって聞いていた通りの人物のようだ。俺の目にも実にまじめで温厚そうな人柄に映った。
そして、そんな次郎右衛門に軽く俺たちの紹介を捕捉する伝七郎。
もうこいつのよいしょに関しては修正する事はあきらめた。つい先日平八郎の爺さん相手にやらかして、苦情を入れてこれである。こう度々やられれば、流石に俺も成長するのだ。どうせ付き合っていれば、実態はすぐに分かる。わざわざ今すぐ修正しなくてもよい。いま一時俺がその辱めに耐えるだけで、時間と修正するための労力が浮くのだ。俺はすでに、その程度の悟りの境地には至っていた。
「おお、それは頼もしい。ささ、立ち話も何ですじゃ。こちらへどうぞ」
そう言って、次郎右衛門は天幕の奥に置かれた床几の方へと俺たちを誘った。
そして、次郎右衛門自身も最奥にある今まで座っていたと思われるものに腰を落ち着ける。それを見て俺たちは、それぞれが思い思いの床几を手にとって、次郎右衛門含め輪席となるように置いて座った。
そのまましばらくは雑談に花を咲かせた。行われた戦いが小競り合い程度とは言えど、こちらの戦況は悪いものではなく、次郎右衛門はその戦功と苦労を面白おかしく俺たちに話して聞かせた。
しかし、それに対し伝七郎が、「では、これで私たちも加わる事になりますし、いよいよ優勢に戦を運べますね」と言うと、それまで自身も楽しそうに話をしていた次郎右衛門の顔が若干曇った。
伝七郎のナイスアシストだった。伝七郎自身そんな簡単に考えていない事は明白である。現に顔を曇らせた次郎右衛門を前にしても、何も不思議がってはいない。
そこでそれを受けて、
「詳細な内容は後日将全員が揃ったところで行うとして、本日は軽く互いの持つ情報を整理し、共有しましょう」
と、俺が切り込みにいったのである。
次郎右衛門もさすがに爺さんの副将を長年務めたと言うだけあって、ただの人の良い老人ではない。この状況を打破する力になりえるのか探っていたようだ。故にこちらがどれだけ知っているのか探りながら、本当に話すべき事は別にあると匂わせていたのだろう。だから俺のこの言葉を聞いて次郎右衛門は、ほんの一瞬、ともすれば見逃しそうになるほど刹那の時間、微かに笑みの種類を変えたのだ。
俺としても、もう少し詳しい『面白くない話』が聞きたかった。
つまり探り合いは終わったのだ。いま皆の思惑が合致していた――――。
こちらが偵察から得た情報を伝える。向こうが現実に刃を突きつけ合いながら得た情報、偵察を出して探り出した情報をこちらに教える。そんな時間が流れた。
ただ、こちらとしては真新しい情報は少なかった。偵察が優秀だったせいだ。しかし、こちらの情報を次郎右衛門に渡す事が出来たので、十分この臨時会議の意味はあった。
はじめ次郎右衛門は、今やってきたばかりの俺たちがやけに詳しい情報を持っている事に驚いた。しかし伝七郎が、先の戦を含めたこれまでの話を順に話していくにつれ、納得がいったようだった。そして最後には「いやあ、大したものでございますなあ」と感心までされてしまったのである。
ただ俺としては、感心を得た事よりも次郎右衛門の及第点を大きく超えたらしいという事の方が大いに意味があった。これは似ているようで違うものである。これでようやく、経験豊富な将に物を言い、従ってもらえる下地が出来たと安堵できたのだ。
だが、この会議はその協力が不可欠である次郎右衛門の評価を得ただけに終わった訳ではない。手持ちの情報の中になかった極めて重要な情報が次郎右衛門からもたらされたのだ。
「将がこちらに向かっている?」
俺はその聞き捨てならない言葉を聞き直した。
「ええ。つい先日も砦の者らと小競り合いがあったのですが、その時に敵将が言い捨てましてな。『おまえらの命運は間もなくつきる』と」
「…………」
俺は次郎右衛門の言葉をその一語すら聞き逃さないように、頭に放り込んでいった。
「戯れ言だとは思ったのですが、妙に気になりましてなぁ……。少し調べてみたのです。無駄骨に終わるなら、それで良いというつもりで。しかし、届いた報告は『富山からの行商が、将に率いられた軍勢を道中で見た』と。詳しく聞けば、旗印などからどうも種田忠政らしく……」
種田忠政?
その知らぬ名に俺は伝七郎に目線を送った。
「種田忠政というと、水島本家ではなく、元来より継直に仕えてきた将ですね。上にはへつらうが、立場が下の者の扱いは非道いものだとか。良い噂は聞かない人物ですね……」
と伝七郎は、その視線に応えて解説をしてくれた。
そしてその説明が終わるのを見計らって、今度は信吾が口を挟んでくる。
「しかし、行商が道中で見たというのはどういう事でしょうな」
「犬山殿、どうとはどういう事です?」
「はあ。山崎様の話ぶりでは、その軍勢はまだこちらに来ていないのでございましょう? 富山からここまでの行軍だと五日から、遅くても七日。道中で見た行商の情報を、偵察の者が聞いて報告に上げる……。その時間を考えると、まだこちらに来ていないというのは遅すぎやしませんか? 道中で何かをやっている、と考えて不思議はないかと」
信吾はその行軍が遅すぎる事を非常に気にしているようだ。それが何故かは分からぬが、碌な事ではなさそうだと言いたいのだろう。相変わらずの糸目で表情は読みにくいが、眉根の皺はそう言っていた。
そして俺は――――、なんとか表に出さない事には成功したが、胸の内で舌を打っていた。
……思ったより時間がなさそうだ。合流してないなら、させない方がいい。合流させてしまっても、砦は問題なく取れるだろう。だが、被害が比較にならない程に増える。今の話では、もういつ合流してしまっても不思議はない状態と考えるべきだ。決戦が合流前になるか後になるか……、これはもう本当に運次第だろう。俺らに出来る事は、とにかく一刻も早く攻略戦を始めてしまう事しかない。それで後は、天運がどちらにあるか、だ。
ここまでの話をそう結論し、俺は口を開く覚悟を決めた。
そして、顔を上げる。すると、目の前で伝七郎も難しげに眉根に皺を寄せていた。
伝七郎たちには藤ヶ崎での会議の折、どう砦を取るのかを説明してあるし、それで方針は決定された。故にこれがどれ程望ましくないのか、伝七郎は理解し苦々しく思っているのだろう。
そんな伝七郎を見ていたら、しばらくして顔を上げた。
目が合う。そして、互いに頷いた。
俺は口を開く。
「次郎右衛門殿、少々話を聞いていただけますか?」