第五十話 藤ヶ崎―水島邸 でござる
打ち合わせが終わると、俺たちはそれぞれに分担された仕事を片付けるべく散っていった。
ここ藤ヶ崎から出す兵は俺たちの手持ちの八十のみ。それでは砦を攻略するのに少なすぎるので、いま砦を牽制している藤ヶ崎の兵も使う。しかし、そちらはすでに単独部隊として運用されているように、改めてそれ用の準備は必要ない。よって、物資はこの八十を基準に考えればよく、皆でその準備に取りかかったという訳である。
こう言うと俺も一人前のように聞こえるが、残念ながら俺は伝七郎の付録となっていた。単独で動くにはこの世界について知らないことが多すぎたし、また資金運用等に関する権限もなければ、配下の兵卒も持っていなかった。つまり、全うに仕事をする為には準備しなくてはいけないものが多すぎたのである。
ないものだらけで、もし無理を押して単独で行動しようとすれば、必ず問題が発生すること請け合いだった。それを避けられる一人で出来ることとなると、千賀の遊び相手、昼寝、散歩の三つだけである。「働きたくないでござる」と言っていたが、今現在の俺は「働けないでござる」の人だった。
結果、伝七郎と共に行動して奴のサポートに回る事が、いまの俺に出来る最大限の貢献なのである。(やばい。今の俺って役立たず?)と哀しい思いが脳裏を過ぎるも、物には順序というものがあると己を慰めるしかなかったのだった。
そして今、俺は伝七郎と千賀の部屋へと向かっている。伝七郎が打ち合わせの後、「ちょっと付き合ってください」と突然言い出したからだ。
俺に否やはなかったが、少々気まずい思いがなくもない。伝七郎は、俺がからかったせいで舌出して走り去った千賀を追ったので、昨日の時点ですでに会っている。だが、俺はあれ以降会っていないのだ。
やべーな。まだ怒っとるだろか、あのチビ。
昨日の一件のことが頭を過ぎるが、それに対しては一片の悔いもなかった。幼女の反応が面白かったので、あれはあれで良いのである。故に、いま俺に必要な事は反省ではなく、如何にこの場を切り抜けるか、只それだけだった。
そんな事を考えながら、千賀の部屋まで続くツヤツヤでピカピカな板張りの廊下を歩いて行く。成金趣味からはほど遠いが、豪華としか言いようのない見事な廊下であった。
(ホントよく一領主でこんな館建てられるよな……)ともう何度目だか分からない感想を抱く。しかし、何度も何度もそう思えるほど、この館は本当に見事であったのだ。ぱっと見の印象は落ち着いたものではあるが、冷静に細部に目をやると、恐ろしく金が掛かっていそうなのである。
それに建物ばかりではなく、こうして千賀の部屋への道すがら眺められる庭園も結構なものがあった。幾種類もの立派な木々が植えられた庭の向こうには広い池も見え、そこから小さな川が庭を通っていた。しかし基本的には枯山水の形式で纏められており、石と岩で表現された庭は落ち着きと趣があった。
残念なことに本日は雨天である為、本来の美しさを堪能することは出来なかったが、雨の庭園もそれはそれで美しかった。やはり、こういった和の形式の庭は日本人の心に響くものがある。
そして、そんな景色を楽しみながら更に奥へ奥へと進んでいくと、一枚の扉があった。
扉の前には左右に一名ずつ番の者が控えていた。どうやらこの奥が一般区域とは別けられた、当主ら水島家の者の生活区になるようだ。
伝七郎は番の者に来訪を告げ、扉を開けてもらう。そして俺たちは平伏されながら、そこを通過したのである。
ここに至って、今更ながらに思う。
今まであんな生活だったから強く意識することなどなかったが、あのチビは紛うことなくお姫様で、このイケメンはお偉いさんなのだ、と。
しかし、そんな事を考えながらも、ふと思い出すのだ。
こんな事を考えている事があれに知られようものなら、きっとまた頬を風船のように膨らませて不満をぶつけられるだろうな、と。
ぎゃーぎゃー文句を言いながら、頬をパンパンに膨らます千賀の顔を想像してみた。そうしたら、何故か自分の頬が緩むのを感じた。
まー、平和な光景だよな。ガキが我が儘の一つも言えないような状態じゃ、先も暗いさ。あれが元気で五月蝿いうちは、ここも安泰だ。
そんな思いで、これまでの思考は結ばれた。しかし、そんな俺を見て伝七郎は、「どうかなさいましたか?」と不思議そうな顔をして尋ねてくる。
どうやら俺は、ずっとニヤニヤしていたらしい。頬が緩みっぱなしになっているのを自分でも感じた。
突然横でニヤつかれたら、そりゃ気でも狂ったのかと思うのも当然か――そう心の内で呟いて、俺は「なんでもない」とだけ答える。そして、咳払いを一つして、そしらぬ顔で顔の筋肉を引き締めたのだった。
なんでもない平和な日常を想像してニヤついていたと、正直に語るのは流石に憚られた。俺も思春期なのである。ちょっとだけ気恥ずかしかった。
扉を通り、そんなやり取りを伝七郎と交わしながら歩いていると、ほどなく咲ちゃんに出くわした。
こちらを見つけて小走りに駆けよってきた彼女と、伝七郎は幾言か言葉を交わしている。聞き耳を立てていた訳ではないが、話の内容は丸聞こえである。どうやら昼の間、侍女らはほとんどこちら側にいるらしい。千賀の側仕えなのだから、さもありなんといった所だった。
空気を読みつつタイミングを計って、俺も咲ちゃんに軽く挨拶をする。すると、彼女はにこやかに微笑んで挨拶を返してくれた。今日も愛らしかった。最初会った時は怯えた小動物のように震えていたものだが、藤ヶ崎にやってくるまでにコミュニケーションをとった成果が遺憾なく発揮されていた。ただ、今もこの娘は小動物に変わりはなかった。小動物のように愛らしい。
そんな事を考えていると、「ではまだ仕事がありますので、失礼します」と頭をぺこりと一つ下げて、咲ちゃんは俺らがやってきた方へと歩き去って行った。
そして、そんな彼女の後ろ姿を眺めていて思ったのだ。
この娘もなあ。この腐れイケメンさえいなければ、余裕で攻略対象だよなあ。つか、あれじゃね? 実は俺用に用意されてたけど、攻略が遅すぎて腐れイケメンや野良熊に食われてるとか? と。
冗談じゃない。これをプログラムした無能プログラマーを呼べ。俺が一日掛けてみっちりと『俺の、俺による、俺の為のギャルゲープログラム』ってものを伝授してやる。俺はかなり高速でイベントをこなしているはずだぞ? これで手遅れになるとかフラグ管理のミスか、根本的にプログラムに問題があるかのどちらかしかありえない。プログラマーに責任をとらせるべきだ。いや、待て。糞シナリオのせいかもしれない。ライターも一緒に連れてこいっ。
突如閃いた『もしかしたら俺の女が食い荒らされているかもしれない件について』にむかっ腹が立って止まらなくなってくる。
仕方がないので、とりあえず横にいる伝七郎を叩いておく事にした。
「痛いっ。武殿、一体どうされたのです!?」
突然横から後頭部を叩かれ、伝七郎は目をぱちくりとさせながら、何事かとこちらを振り向いた。
「でかい虫がついていたんだよ。取ってやろうとしただけだ」
「そ、そうですか。ありがとうございます。それで取れましたか?」
「わからない」
「は?」
「いや、すまん。取れたよ」
虫が見えたら良いのに……。そんな心の声とは裏腹に、俺は澄ました顔をして、そう言ってやった。すると伝七郎は、それにわかったようなわからないような複雑な顔をしながら、「は、はあ。そうですか」と答えた。
そんなちょっとしたイベントをこなしながら、俺らはそのまま奥に進んだ。すると程なく、廊下に侍女が一人座った障子の前に着く。どうやら、ここが千賀の部屋のようだ。