第四十九話 軍議(北の砦攻略戦前、藤ヶ崎にて) でござる その三
この含んだ物言いに、再び訝しむような視線が俺に集まった。
「まあ、話の流れからも察せるだろうが『籠城』……、いや、おまえらにより馴染みのある言い方にしようか。『籠街』、これについてだ」
俺は事が事だけに一際注意深く、そして、真剣に皆に語りかけていく。なぜなら、これはこの世界の人間にとって正義と良心の否定に直結しかねない内容だからだ。無論そんな真似をさせるつもりはない。しかし、こちらがそのつもりであっても、それを判断する材料に欠けている状態で聞けば、そうなってしまいかねないのだ。それだけに慎重になる必要があった。
「俺がいくつかこの世界の戦の常識を覆したように、この『籠街』という”戦術”も、実はこの世界の常識の範疇のみに収まるものではないんだ。本来これは今回の北の砦攻略戦とはさほど関係のない事ではある。しかし、この考え方が必要になった時に語っていたのでは、おそらく間に合わない。だから、この機会に今ここで話をしようと思う」
俺は戦術という言葉を特に強調し、戦において「籠もる」という発想もあるのだという事を説明するべく、一人一人の目を順に見て確認しながら、そう宣言をした。
俺が極めて真剣に話をしようとしているのを察してくれた皆は、各々が持っている籠街に対しての嫌悪感を一旦引っ込めて、話を聞く態勢をとってくれる。
正直これはありがたかった。
こいつらは全員、これからの水島を背負う立場の人間ばかりである。それなのに、この世界の常識を盲信し続けるようなタイプだと、たった一人のそれが全体の足かせになる可能性も低くはないのだ。そして、それが足かせになった挙げ句、支払う必要のない命を支払う羽目にでもなったら目も当てられない。
だが、こいつらはこのように話はしっかりと聞いてくれる。その結果、納得すれば従いもするし、逆にそれでも俺が間違っていると思えば、おそらくそれを指摘してもくれるだろう。こういう仲間がいるという事は、えせ軍師な俺にとっては、大層な安心をもたらしてくれるのだ。
「この『籠街』だが、今おまえらがこの戦術に対して思っているものは、そのまま持っていてもらっても問題はない。というか、それはそれで大事に持っていてもらいたい。だが、先ほどから戦術と言っているように、おまえらが持っている印象とはまた違った側面が、この『籠街』にはある」
俺はそこで言葉を一旦句切って、再び一人一人の様子を観察していった。みな真剣な顔つきで聞いてくれており、傍目には右から左に流れている様子はない。むしろ、続きを聞かせろと言わんばかりの貪欲さすら見て取れた。
それによって、気持ち的にも後押しされ、更に言葉を続けた。
「そのもう一つの側面とは時間稼ぎだ。これが有効になる場合というのも、戦には往々にしてある。皆の認識では、戦とは一斉に始めて一斉に終わるものであるというのは、今まで聞いた話から容易に想像できる。しかし、戦そのものがそれに準拠しなくなった時には、こういう考え方も生きてくるんだ」
「なるほど。私たちの方針が、従来の戦の常識を捨てるというものである以上、間違いなくそうなってくるという事ですね?」
「ああ。その通りだ、伝七郎」
俺の説明に一番始めに反応したのは、やはり伝七郎だった。奴は俺の説明が始まって以降、瞑目しながら俺の言葉の意図するところを理解しようと努めてくれていた。ここ最近の伝七郎は、まるで飢えた獣のように従来と異なる思考というものを求めた。安易に迎合しようとはしない。しかし、選択の幅を求めようとしているように見えた。そして、今日もしきりに頷きながら、俺の言葉を検討しているのである。
そんな伝七郎の方を向いて問いに答えていると、
「でも、武様。時間稼ぎって、なんの時間を稼ぐんです?」
そう与平から疑問の声が上がった。
「それは色々な場合がある。が、一番多いのは援軍を待つ為の時間稼ぎだろうな、与平。今までの戦だと、両軍の総突撃で始まり敗軍の壊滅なりし敗走で戦が終わるから、援軍というのは次の戦に備えた補充ではなかったか?」
「ああ、はい。確かにそうです」
「だろ? でも、戦の最中に味方の数が増えるものも、また援軍なんだよ。従来の価値観からすれば卑怯だなんだと言われるかもしれないがな。だが、言いたい奴らには言わせておけばいい。俺たちは勝つ。そして、俺たちはその結果を以て、己らの正しさを歴史に示す」
丁寧に答えていく。当然と言えば当然ではあるが、こちらと元の俺のいた世界では根本的な考え方に違いがある。こういう時に俺の常識をベースにして、”当たり前”と考えてしまう事は極めて危険なのだ。だから、皆の意識に変革をもたらす為には、根本的な部分から説明する必要があった。
「なるほど。戦い方によっては籠街も戦術として有効となる事がある、と武様はおっしゃりたいわけですね?」
そう言って、確認するような視線で俺を見る源太。
「そうだ。これも状況次第ではあるんだが、例えば防衛戦で援軍の当てがあるのに、無理に戦を早期決着する必要はない。援軍を待って、敵に倍する軍勢で相手をタコ殴りにすれば、より楽に、より少ない犠牲で、勝利を手にする事が出来る。それをしないで、犠牲者の山を築いてみたり、あまつさえ不利な戦をして負けるなど、愚の骨頂だ。……最初に言ったように、状況によっては、防衛戦でもこれに該当しない事は勿論あるが、な?」
「確かにそれは武殿のおっしゃるとおりですな。我々の今までの戦に別れを告げる、と武殿はおっしゃった。ならば、それに付随して価値観も考え方も変わるのも道理か……」
信吾も同意と、概ね理解してくれたと思えるつぶやきを漏らす。
皆、俺の言いたかった事を、各々の中でそれぞれなりに消化してくれているようであった。
「ああ。だから、おまえらには『籠街』そのものを嫌って欲しくはないんだ。先ほど『籠街』の話をしていて、おまえらの反応が俺はとても気になった。今のままでは、いつか落とす必要のない命を落とす事になるかもしれないと思った。だから、今この場でこれを話そうと思ったんだ。おまえらは水島の重鎮だ。民を己の命の盾にする事を嫌う事まではいい。だが、命の掛けどころを見誤らないで欲しいんだ」
「……そういう事ですか。確かに何も聞いていなければ、不利であろうがなかろうが、私たちは当たり前のように戦場に出向いていったでしょうね。武殿の言いたい事はわかりましたし、尤もだとも思います。ただ、やはり民の犠牲が……」
伝七郎はそう言いながら顔を歪めた。その膝の上に乗せた手は、開いて閉じて、開いて閉じてを繰り返していた。
その心中が推し量れる。決して軽く見てよい事ではないのだから。でも、俺たちは神ではなく万能ではない以上、すべてにおいて完璧である事など出来るはずはないのだ。故に、足らない俺たちは優先順位と最大限という言葉を生み出したのだ。
「……でるな。外に出向く場合と違って、確実に巻き込む。民の犠牲なしというわけにはいかなくなるだろうよ。だが、そこは最大限に配慮しつつ、言葉は悪いがそれでも出る犠牲はあきらめる事も憶えないといけない。俺たちは犠牲者なしを当然目指す。だが、それが叶う事などほとんどないだろう。しかし何度その時を向かえようと、それを直視したまま再び同じ道を選ばなくてはならない。それが施政者ってもんじゃないのか?」
自分の身に降りかかったときの事を棚に上げて、それでもなお犠牲を承認しなくてはならないのが施政者だ。だから、どんな話を読んでも王は孤独に描かれているのだろう。皆に語りながら、そんな事が心に浮かんだ。しかし、それを無視して、そのまま言葉を続けた。
「これは、いざその場で考えていては遅い事だから、常日頃から皆には考えていてもらいたいんだ。俺たちは『将』なんだと。ただそうは言うものの、これは人の良心に根ざすものを覆さなくてはならない事だから、容易でない事も承知している。順に慣れていこう」
内心俺もよく言うとは思ったが、ここで自信のないような発言は出来なかった。確固たる自信を持って言っているように見えなくてはならない。多分いまの俺の気持ちを理解できているのは、この中では伝七郎だけだろう。だからかどうかは分からないが、最初こそ難しい顔をしていたが、途中からは瞑目しながらむしろ頷くような仕草を見せていた。
そして、口を開く。
「わかりました。武殿が心配されるのももっともです。今の武殿の話は私たちもよくよく肝に銘じておきましょう。いざという時の判断材料を頂けたと、そういう事でよいという事ですね?」
「ああ、その通りだ。将が判断を誤れば、国にとっても、率いられる兵にとっても、そして統べられる民にとっても、誰にとっても良い事は何もない。」
伝七郎は、皆がより心に落としやすいように、この世界の戦場に生きるものがより受け入れやすい言葉に直してくれた。そして、それに心の中で感謝しつつ同意し、言葉を更に続ける。
「これはいつかその時に備える話なんだ。でも、本当に大事なことだから、おまえらにとっては嫌悪感の湧く話でもあるかもしれんが、各自で消化しておいてもらいたい」
それに、と連ねた。
「実際の問題としては民の犠牲以上に、問題は民や兵の気持ちだろう。だから、今のおまえらの『籠街』に対する気持ちを忘れないでくれって、さっき言ったんだ。それによって、お前らが実際に籠もる時に”何をどう準備して、どう籠もるのか”が変わってくるからな。それによって、その最大の障害の大きさは変わる」
そう言って言葉を切った。そして、俺は特に三人の新米将軍たちの様子を伺った。
話を聞いてくれているのは分かっていたが、自分が伝えるべき事をきちんと伝えられているのか不安だったからだ。
しかし俺の不安は杞憂に終わったようだった。奴らも奴らなりに俺の話には思うところがあったようで、俺の言葉を真剣に聞き続けてくれていた。この分なら、各々がどういう結論を出すにせよ、ちゃんと考えてはくれそうだ。この話が全くの無意味に終わる事だけはなさそうだと確信できた。
俺はそれにひとまずの満足をすると、話を変えて本題に戻ることにする。
「それで、だ。ひとまず籠街の話はここまでとして、目先の話に戻ろうと思う。この籠街の件を考えるに至った過程の話だ」
「過程?」
伝七郎が聞き直してきた。
「そうだ。籠街――籠城の件について俺が疑問に思ったとき、一つ思うところがあったんだ」
俺は先ほどまでの話をしていた時の真剣な口調から、しゃべり調子もがらりと変えた。とっておきの悪戯を公開するようにニヤリと笑い、勿体ぶってそう言ってやったのである。
もし思い通りに事が進めば、さぞ愉快な顔をした敵の兵らを見ることが出来るだろう。
それを思うと、どうしても自重できなかったのだ。
「今度の戦……、中途半端な結果はまずない。もし想定通りとなれば、俺たちの圧勝だ」