第四十八話 軍議(北の砦機略戦前、藤ヶ崎にて) でござる その二
「なるほどな。北の砦の事については、だいたいわかったよ。あとは伝七郎の言うように、偵察の帰還待ちだな。この内容に特に捕捉がある者はいるか?」
そう言って、周りを見回す。だがこれに対しては、誰からも特に言葉はなかった。
「では、俺たちは偵察が戻るまでに、やれる事をやっておくとしよう。しかし実際の所、今やれる事はそんなにはない。まず、すでに出ている藤ヶ崎の軍の位置はわかっているので、そこまでの移動経路を確定しよう。ここから新たに出す軍は俺たちの兵のみだから、数は決まっているしな」
「そうですね。ここ藤ヶ崎から北の砦までは、この地図にもあるように道は一本です。獣道みたいなものはいくつかありますが、軍隊が移動できる道というのは街道一本きりでしょう。人数が少ないので、ここの移動中に商隊狙いの野盗などに襲われる事もありえますが……」
進軍経路の確定から話を進めれば、すぐさま伝七郎が説明を補足してくれた。また、
「先ほどの話からですと、北の砦とのにらみ合いは、敵を北に見て布陣されているようですな。これならこちらから味方の陣へ移動する分には、敵方からの横やりが入る心配はほとんどないでしょう。ですから野盗対策として、念には念を入れて私の騎馬隊を先行させれば、危険は減るかと思います。最悪の場合でも、逃げる速度が違いますし」
と、源太からの進言もあった。
「じゃあ、経路は街道を堂々と上る事にして、念のために源太に先行してもらおう。伝七郎、それでいいか?」
「はい。問題ないかと」
「ん。では、これは決定、と」
そして、俺と伝七郎で決定まで話を詰める。
これが、ここの所の打ち合わせの基本的な流れであった。
同様にして、兵糧や各種資材、医療品、武具などの在庫状況の確認、荷造りなど、それぞれの分担も決まった。
これらは基本的な方針として、最大数をもって藤ヶ崎側に準備を依頼する事にした。今の状況では、俺たちにしろ、爺さんの藤ヶ崎防衛部隊にしろ、この先なくて困る事はあっても、あって困る事はない。だから財政に余裕のありそうな藤ヶ崎ならば、通常の予備以上にストックを作っておいて、偵察のもたらす状況に合わせて運用をした方が格段に時間を短縮できて、戦略上有利だからである。
これは俺が強く主張して、伝七郎に飲ませた。まあ、理由を説明して「わかりました」の一言をもらっただけなので、飲ませたというのは大袈裟かもしれない。
「武様は強引だけど、ちゃんと先を考えているから性質が悪いよね。いっそ何も考えていなければ、文句も言えるのに」
とは、その時の与平の言である。うっさいわ。なにげに、こいつらを将に引き込んだ時の事を根に持たれているのだろうか。
しかし今は、とりあえず気持ちを切り替えて、最後に注意を促しておく。
「まあ、なんだ? その辺りは置いておいてだな。信吾、源太、与平の三人は、先ほど決めた各自の作業の他にも、兵たちが気を抜きすぎないようにそれとなく注意をしておいて欲しい。兵らに直接促してしまうと、休息そのものの効果が怪しくなるので、それは避けたいが、かと言って戦が近いのもまた事実だからな。気を緩めすぎると、戻すのが大変だ。だから程よく緩ませてやり、緩めすぎないように注意をしてやって欲しい」
「なかなかに難しい注文ですな。ですが、おっしゃりたい事はよくわかります。承りました」
俺がそう言うと三人は頷き、代表して信吾がそう返答した。
そして、他に今できる事はなかったかと再度頭の中のメモ帳をめくっていると、大事な事を確認していなかった事を思い出す。俺は俯き考えていた顔を上げ、伝七郎の方を向いた。
「ああ、そうだ。伝七郎?」
俺はそう言って、伝七郎に呼びかける。
「ん? あ、はい。なんでしょう?」
同じく座ったまま斜め前方に視線を飛ばして思索に耽っていた伝七郎が、俺の呼び声に気づき、再びこちらを向いた。
「いや、一つ確認しておきたい事があってな」
「私で答えられる事ならば、なんなりと」
「ああ、ありがとう。で、早速なんだが、こちらには『籠城』という概念はあるか?」
「……籠城ですか」
「ああ」
俺が『籠城』という言葉を口にした途端、目に見えて伝七郎の顔が渋った。いや、渋るというよりも、嫌悪感を表に出していた。またこれは伝七郎に限った事ではなく、反応の程度こそまちまちであったが、他の三人もその顔から読み取れる感情は皆同じだった。
あー、やっぱりそうか。
これ以上聞くまでもないような分かりやすい反応だった。つまるところ、それ程に、という事なのだろう。だが、これはそのまま放っておく訳にはいかなかった。
とりあえず話を詳しく聞いてみて、それから修正、もしくは奴らの頭の中に違う考え方の種を植えておく必要があった。たとえ、すぐのすぐに考え方を変えるという訳にはいかなかったとしても。
皆の反応を観察しながら、そんな事を考えていると、伝七郎がいつものように細かく俺に解説してくれた。この世界における考え方を踏まえて。
まず基本的に、この世界では『籠城』の前に『籠街』というものがあるとの事だ。これは字面のごとく街に軍――施政者が籠もる事らしい。
そしてそれは、俺たちの世界でいう籠城のように援軍を期待した時間稼ぎの側面は一切なく、腐った施政者が庶民の命を盾とする肉の防壁の事を指すとの事であった。俺たちの世界にもこういったケースがなかったとは言わないが、こちらの世界では明確にこれを指すらしい。
しかし、ただでさえ正面からする戦こそを誉れとするこの世界で、そんな事をするのは民から見ても兵から見ても下の下の施政者であり、結果として籠城――籠街とは論外の施政者が最後に苦し紛れにとる下策中の下策というのが、この世界の常識であるというのが伝七郎の説明だった。
では、拠点攻略戦がどのように行われるのかというと、藤ヶ崎の町に入る折に予想したとおり、軍が拠点に攻め入る事はまずないらしい。攻め寄せた軍は拠点にある軍に対して宣戦布告をする。相手はそれに応じて決戦の地へ赴く。そして、そこでの全軍衝突あるいは全面降伏によって決着をつけるとの事だった。
これは相手も同じ価値観を共有しているからこそのものであろう。しかし、戦をしている互いの陣営ばかりでなく、統べる民や兵も同様の価値観を持っている。その為、施政者としては面子の問題も有り、まず余程でない限りはこの流れで話が進むとの事だ。
では籠街をとった場合、この世界ではどうなるのかというと、これはまず碌な未来がないとの事だった。民の反乱や見限った将兵の造反が相次ぎ、十中八九内部から崩れるらしい。
それ故に統治権を巡るような戦においては、籠街――つまり籠城は選択肢としてすら存在しない、というのが一般的な認識だそうだ。
話を聞き、なるほどなと納得する。道理でこいつらが嫌な顔をする訳だ、と。
でも、まあ予想通りといえば予想通りではあった。何というか、妙に得心がいった気分だ。
だが、こういう話となると、やはりこの機にこいつらのこの辺りの見解を矯正しておく必要性があった。今回はまず関係ないが、こいつらが将である以上は、いずれは絶対に今のままの見解では不味い局面が出てくる。そして、その時に矯正しようとしても、おおよその場合において間に合わない筈だからだ。
だから、
「あー、なるほど。やっぱそうなるんだ。ただ、今の話を聞いて、ちょっと言っておかなくてはいけない事が出来た。今回には直接関係しない話にはなるが、大事な話なので嫌がらずに真面目に聞いて欲しい」
と俺は意を決して口を開く。
俺はこいつらの事が好きだった。くだらない死に方だけはさせたくなかったのだ。