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姫様勘弁してよっ! ~異世界戦国奇譚~  作者: 木庭秋水
第二章
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第四十四話 鳳雛、伏龍を蹴り起こし、そののち天に昇る でござる

「なんだ? それは?」


 おいおい。なんて事を言うんだ、この爺さんは。


 鳳雛? こちらに鳳士元はいないだろ。つうか、いたとして、なんで俺をそう呼ぶ。三国志でも有名どころの軍師様の二つ名を、簡単に持ってくるんじゃありません。あれはまさに鳳雛かもしれんが、あれをそう呼ぶとしたら、俺は縁日のカラーひよこがいいところだろ。正直、同じ鳥類であるだけでもマシだと思えるほど差があると思うのだが?


 爺さんは、訝しむ俺をからかうように笑みを増した。


 そりゃ、そういう厨二ネームには密かに憧れていましたよ? でも、俺はひっそりと楽しんでいたのであって、他人様に知れ渡るのは困るのですよ。だから、思いつく限りのそれらを記したノートはちゃんと机の引き出しの上から二つ目の奥に隠してあるし、念のために引き出しを二重底に改造までしたのですよ? それをしれっと大公開するような真似はやめて下さい。うっかりなんかの拍子に歴史に名前が残ったら大変じゃないですか。未来永劫晒し上げですよ?


 その笑みに苦い顔を向けるが爺さんはそれに一切頓着せず、またもや俺の肩を叩いて笑った。


 いや、笑い事じゃねぇーんだよ。爺さん。


 つーか、痛いよ。俺の体はあんたらのと違って繊細にできているんだよ。牛に跳ねられてもけろっとしてそうな、うちのデカ物二人やあんたのとは違うのです。手加減しているのは分かるのだが、それでもとっても痛いのです。絹ごし豆腐を扱うように、そっと取り扱ってくれい。


「がはは。いや、あのあと伝七郎と少し話をしてな? 伝七郎が主の事をそう言っておったのだよ。『自分はとても幸運だった。逃げ切れず、姫様だけでも逃がそうと覚悟を決めたら、鳳凰の雛を拾った』とな」


 ひとしきり笑った後で、どこか探るような目でこちらを見つめてくる爺さん。


 あの腐れイケメンのせいかっ! おのれ、伝七郎。謀ったなっ。さわやか好青年のふりして、俺一人を晒し上げるとはなんて恐ろしい子っ!


 だが、悪は栄えぬのだ。俺一人だけ後世の青少年たちに厨扱いされるのは御免被る。死なば諸共、一蓮托生。俺にバレタのが運の尽きだ。


「ふん。鳳凰の雛ねぇ。……それは惰眠をむさぼっていた龍の見た夢だよ。伏せていた龍は時を知り、今ものすごい勢いで天に昇ろうとしている。その最中(さなか)、低い空を飛ぶ雀を見間違えたのではないのか?」


「ほう。面白い事を言うな、お主は」


「そうか? 爺さんは過小評価しすぎだと思うぜ。あれは確かに伏龍だよ」


 ざまあっ。これで伝七郎にも恥ずかしい厨二ネームがつくだろう。


 つか、あっちはまじで伏龍たりえると思うがね。俺は所詮バッタ物だけど、あいつは違う。それを証明する決定的な証拠があるからな。俺が飛び込む形になったあの最初の一戦。あそこであいつは誰の力を頼る事もなく、この世界の常識という殻を破っている。そういう事ができる奴の事を、俗に『天才』というのだ。


 それに、今あいつは知らなかったものを知った。それは地に眠る龍を天へと導く決定的な力となるだろう。そして、時も来ている。あきらかに時勢はあいつに昇れと言っていた。


 だから、俺の評価は間違いではない。ただ、それに厨二ネームを付けてやっただけである。このくらいのささやかな仕返しは許されるべきであろう。諸葛亮様かまーん、だーっはっはっはっ。


「ほう。主はあれをそう評価しているという事か。鳳凰の雛に伏せた龍か。姫様も大変なものに守られておるな」


 爺さんはさも愉快そうに目を細め、低く重く小さな笑い声を漏らした。そして、そのまま言葉を続けた。


「まあ、それはそうとして、だ。小僧、侍女たちが怯えておるわ。先にも言ったが、裏切り者の事は儂に任せておけ。主も部屋に戻るがよい」


 爺さんはそう言って俺の肩を再度軽く叩き、火のついた油皿を渡してくるのだった。


 むう。爺さんがそう言うんじゃ、任せるしかないな。一応、まだここは下っていないという設定だしな。向こうの言い分からすれば、ここの主は爺さんだ。意味もなく無駄に争う事はないだろう。


「爺さんがそう言うなら、任せよう。しっかり、びしっと締め上げてくれ」


「承知した」


 俺はそれに諾と言い、それを聞いた爺さんは短く応と答える。短いやりとりではあったが、互いの信頼を深める事ができた良いやりとりであったと言えよう。


 そうして、爺さんの忠言に従い自分の部屋に戻る俺。


 途中廊下で月も星も隠れて、泣いている空を見上げた。今日は雨だ。




 部屋に戻ったものの、興奮して完全に目が覚めてしまった俺は、テレビもゲームも漫画もない部屋で、ただひたすらに夜明けと朝の飯を待つ作業に勤しんだ。


 しかし、雨のせいか雀の鳴く声すら聞こえない早朝の部屋で、程なく俺の忍耐力は限界を迎えた。


 だーーーーーーっ、暇すぎるっっ。


 今まで緊張の連続でそんな事を考える余裕もなかったが、元の世界とこちらでは色々と環境が違いすぎるのだ。たとえば今の俺のように暇一つ潰そうにも、用意されている物が違いすぎた。いま俺の部屋には俺が玩具と認識できるものは何一つ存在しないのである。


 部屋は当然のように畳敷きの和室であり、障子を開けば雨滴の降り注ぐ庭木が見えた。まだ今は暗くて、うっすらと木の影が見えるだけだが。そして、びっくりする事に部屋の中なんだが……、机一つ、箪笥一つない。部屋には、行灯に照らされて揺れる俺の影しかなかったのだ。


 これは、なんかの嫌がらせだろうか?


 しかし、ふと考え直す。そういや時代劇なんかでも、およそ家具と呼べそうなものは、城や大きな武家屋敷の部屋にはほとんど存在していなかったな、と。


 そこで部屋中の収納スペースをすべて引っかき回し、とにかく何かないかと探した。押し入れの(ふすま)も袋戸棚も全解放してやった。なんかRPGロールプレイングゲームの主人公になったような気分がしてきて、ちょっとわくわくしたのは内緒だ。


 しかし、薬草一個転がっていない絶望感を味わうだけに終わる。何もなかった。かろうじて硯箱(すずりばこ)が一つと紙を巻いた物が出てきただけだったのだ。横に水の入った水差しなんかもあるにはあったが……。おそらくは、これだけがこの部屋の備品なのだろう。ゲームみたく、床板の上に飾ってあった高そうな壺を叩き割ってやりたくなる。その衝動を抑えるのに少々の努力を要した事は言うまでもなかった。


 このように以降も結構必死になって探したのだが、とりあえず時間を潰せそうなものは、先ほど見つけた紙と硯箱に入った筆記用具一式くらいであった。


 この酷い仕打ちに少々やさぐれつつも、とりあえずの成果である硯箱に手を伸ばしてみる。当然と言えば当然なのかもしれないが、硯箱の中身は硯と筆である。


 あー、そっか。こういう世界だものなあ。やっぱ筆記具と言えば、筆だよなあ……。


 少し冷静になり、そう考えるに至った。しかし、である。たとえ世界がそうであろうとも、俺は筆なんぞ使えないのであった。その昔、小学校で少し習った気がしなくもないが、教師の評価はすこぶるよろしくなかったと記憶している。以降何もせずほったらかしの状態であったのに、いま書いてみたら突然超達筆になっていましたなどという事は絶対にありえない。


 んー。これはなんとかしないといけないかもしれんね。


 そう結論されるまで、さほどの時間は必要ではなかった。このままでは今後何をするにも不都合が出て仕方がないだろう。なんせ、今のままでは確実に代筆の人間が必要である。当面はやむを得ないのでそれで凌ぐにしても、いつまでもそのままという訳にはいかなかった。セキュリティーの問題もあるし、何よりまどろっこしくて仕方ない。時間は大事なのだ。


 となると、結論的に俺が筆を使えるようになるか、あるいは何か他の解決策を用意するかの選択肢しかない。


 んー。どうしようか。


 俺は腕を組んで、薄暗い部屋の真ん中に座り込む。


 そこで、はたと気づく。


 いま俺が考えるべきはそういう事ではなかった、と。考えるべきは、如何にして朝飯までの暇を潰すかではなかったか、と。


 それまでの思案を、俺はあっさり丸めて投げ捨てた。この暇をどうするかの方が重要に決まっていた。


 しかし信吾のせいで、もう一眠りという選択肢を潰された俺にとって、これはなかなかの難事であった。朝飯まではまだ遠い。


 とりあえず硯に水を張ってみる。そして、墨を擦る。


 なんか偉い先生になったみたいで、テンションが上がってきた。そして、(おもむろ)に目の前に巻いてある紙を広げ、筆を執った。


 字が書けないなら、描けるものを描くっ!


 どれ程の時間が経過したのだろうか。太陽の顔出さぬ天候といえど、さすがに段々と周りが明るくなってきていた。


 そして、更にしばらく。


 遂にできあがる――お菊さんの裸体画が。我ながらに会心の出来であった。このレベルで描けるなら、もしかすると少々の貧乏にも耐えて、描かれたWXYで生きていけるかもしれないと思えるほどだった。『必要は発明の母』という言葉があるが、『必要』の力をまざまざと思い知った気がした。


 紙の中のお菊さんは、ややアニメチックにデフォルメされてはいるが、彼女の魅力を十分に描ききっているものと自負できる。彼女は普段の清楚できりりとした印象を残したまま、挑発的且つ淫靡に誘っていた。


 二律背反したそれらが、確かにそこに共存していたのだ。どうせ字が書けないから絵でも描くしかないと描いてみた訳だが、存外悪くない。いや、悪くないどころか、かなりイケていたのだ。


 芸は身を助けるとはよくいったものである。文化祭の裏で、あはんでうふんな十八禁の薄い本を、漫研の奴らと作って売りさばいていた経験が遺憾なく発揮されていた。


 渾身の作品を畳の上に敷き、眺める。まるで畳の上に寝転がったお菊さんに誘われているかのようであった。


 正直、ここまでのものが出来上がるとは思ってもいなかった。


 んーむ。やはり絵は愛だな、愛。


 そして、雨の降る早朝、俺はひっそりと小宇宙を燃やした。

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