第四十三話 早朝のはぷにんぐ でござる その二
どれ程待っただろうか。まだ数分なのかもしれないし、もしかすると小一時間経っているのかもしれない。額に巻く白鉢巻きに汗が滲む。それが明け切らぬ朝の冷気に冷やされ少々気持ち悪い。
「…………お主、朝っぱらから一体何をやっておるのじゃ? 侍女らが怯えて、儂の所まですっ飛んできたぞ」
目の前の襖に神経を集中させていたのだが、その緊迫した空気を読まずに後ろからのんびりと声をかけてくる者がいた。空気嫁プレゼントしたろか?
「爺さん。おはよう。見てわからんか? 裏切り者を粛正するべく待機中だ。用があるなら後にしてくれ」
「何?! 裏切り者だと? ……いったい、どこに?」
爺さんはその手に持った油皿の裸火の向こうで、じっとりとこちらに向けていた薄目を見開いた。
「ああ、哀しい事に事実だ。潜んでいた。俺も嘘だと思いたい。しかし、俺はこの目で見てしまった。真実は一つなんだ」
俺は爺さんに信吾の裏切りを、そう訴えた。すると爺さんは、真剣な表情をして考え込んだ。
この爺さんも若い時分にはさぞモテただろうという面影が残っていたが、歳食って色々経験している分、物の道理というものもよく理解できているらしかった。俺の言葉から、即座に状況の把握が出来たのだろう。どう対処するべきか考え込んでいるようだった。
意外に話が分かる人間なのだろうか? 先の論戦時には煮ても焼いても食えない印象を持ったものだが。
そんな過日の印象が頭を過ぎった。第一印象としては結構な堅物っぽい気がしたのだ。よもや恋愛モブの悲哀まで理解し、鉄の掟にまで知見が及ぶとは思わなかったのである。やるな、爺さん。
しかし、これは朗報であった。頑張って奇跡的にお菊さんを口説き落とせても、この爺さんが話の通じない人物だったりしたら、大変困る事になる。そうなったら、遺憾どころの騒ぎではないのだから。
そこまで考えが至ったところで、信吾に裏切られ傷ついた繊細な俺の心は、世の不条理に八つ当たりを開始しだした。自分でも分かっていた、それが八つ当たりである事は。しかし、やめられない止まらないものというのは、この世にしっかりと存在するのだ。
そもそも、である。俺が口説き落とせるの落とせないのという話をしているというのに、俺以外の奴にばかり女がいるというこの状況は、一体如何なる事であろうか。
トリッパーな俺って、この世界では一応主人公の筈である。異世界トリップとはそうでなければならない筈なのだ。
異世界トリップを夢見て、商業、ネットの種類を問わずトリップものの小説を読みあさりまくった俺に抜かりはない。あれらを読んで憧れたのだ。それぐらいは知っている。常識である。
しかるに、この世界に来てからというものの、苦労はしこたま背負っている気がするが、会う女会う女攻略対象外なのはどういう事なのであろうか? はじめは咲ちゃんで、最初から腐れイケメンに惚れていて対象外。無理矢理ターゲットにする為には、伝七郎をどこかに埋めてこないといけない。その後は幼女だった。そして、やっと見つけたのがお菊さんである。
まあ、彼女一人でも全く問題がないと言えば、確かにないとは言える。
――ただし、攻略できればなっ。
ターゲットが高嶺の花どころではないレベルの女一人ってどうなのよと思わずにはいられなかった。普通ギャルゲーでは、簡単にいけるのから攻略難易度の高いメインヒロインまで選択の幅というか余地というものがある。それが攻略難度最高レベル一人とか、俺の戦闘力では無理ゲー感半端ないんだが? 炎上レベルの手抜きゲーの烙印を押されても文句は言えんと思う。
だいたい、である。俺の周りのイケメン率が異様なのも果てしなくおかしい。
伝七郎とか源太は存在しちゃいけないレベルだろ? こういうのは二次元の中だけにしてくれと思う俺は、世界の約半分の賛同を得る自信がある。それに奴らほどではなくとも、与平だって生まれた世界が世界なら、電波に乗って、お茶の間で老いにも若きにもち○こさえついてなければきゃーきゃー言われてるだろ? なんで、それらがすべて俺の周りに集まってくるんだ?
この仕打ちをどう考えたら良いのだろうか。奴らと並ぶと、背景に埋もれるどころかメッセージウインドウで、「一緒にいた仲間の一人が」と表現されそうな気がしてならないんだが。俺は主役であるはずなのに、である。
そんな極悪な環境の中、唯一同じ土俵で語らう事ができる心の友だと思っていた信吾の裏切り……、許せるわけがなかった。
おまえは俺と同じ、恋愛カーストの底辺にいなければいけない存在の筈だ。おまえの顔がそう言っている。なのになんで、こんな明け方におまえの部屋から女が出てくるのよ? それもおきよさんみたいなハイグレードな女が。ちょいとばかりちんまいけれど、それは大した問題ではないだろう。
俺は先ほどもきれいなお姉さんの顔を引きつらせたというのに、お前は布団の中でおきよさんの顔を火照らせたというのか。
つーか、お前のそのでかい図体じゃ、おきよさんの相手は色々と問題が発生するだろうがっ。お前の息子はマッチ棒かっ。
かように深く深く考えが及ぶに至り、更なる暗い炎が俺の身と心を焦がしていった。
ぐぬぬぅ。許せん。許せん、許せんっ。やっぱり許せんっっ!
やはり相応の報いが必要だ。
「……う。……ぞうっ。小僧っ!」
うん? ああ、いかん。なんか爺さんが声をかけていたらしい。あまりの不条理に、思わず自分の世界に引きこもって熱くなってしまっていたようだ。
「ああ。すまない、爺さん。ちょっと考え事をしていた」
「うむ。確かに由々しき事態ではあるからな。主が気にするのもやむをえない事よ。じゃが、いかんせん、ちと周りが騒がしすぎてな。恥ずかしい話、ここ最近ではこんな事は茶飯事なのじゃよ。つい先日も炙りだして、始末したばかりじゃ」
何? そんなにここの風紀は乱れているのか? もしかして、モテナイ俺にもチャンスあり? うはっ、ミナギッテキタゾ。
先ほどまで何もかもを焼き尽くさんと吹上げていた暗い炎は容易に鎮まり、代わりに闘志となって熱を体中に伝えた。
しかし、その身を焼かんばかりに燃え上がる情熱は身の内だけに止まらず、外まで漏れ出たらしい。力む俺に苦笑しつつも、宥めるように爺さんは俺の肩を軽く二度三度と叩いてきた。
むう、いかんいかん。未だ味方とは言えぬ爺さんに気を遣わせているようでは、一人前にはほど遠いな。精進せねば。
それにしても本当に話の分かる爺さんだなあ。そんな重要な情報までさらりと教えてくれるなんて。ここまで物わかりがいいなら、こんなややこしい事をせず、千賀がこちらに戻った時点で、大人しく幕下に戻ってくれれば、色々楽だったのにと思わずにはおれん程だった。
「まあ、そう激するな。気持ちは分かるが、そういう相手なのだ。とりあえず、こちらの事は儂らに任せておけ。儂らはまだお主らには下ってはおらんぞ? 主の言葉通り、実力をもって儂に敗北を認めさせてみよ。今はそちらに注力すべきではないのか? 鳳雛どの?」
……なんだって?