第三十八話 論戦 でござる その三
通された部屋は二間続きの大広間だった。
正確には大広間に小さな広間がくっついたような構造だ。大広間は襖で囲われていてどこからでも出入りが自由にできる構造ではあるが、主を除いて基本出入りはその小さい広間を通ってなされるものと思われる。そして、大広間には上段の間が設えられており、一面木の床である室内の中で、そこにだけ畳が敷かれていた。
そして、部屋の周り、襖の向こうには結構な人数のお客さんが駆けつけている。素人でも感じるほどの殺気を振りまき、まるでそこに自分たちが存在している事を誇示しているかのようだった。
いかにもな造りであり、いかにもな雰囲気があった。一戦の舞台にふさわしく不満はない。
平八郎は千賀をその大広間の奥に設えられた上段の間に案内し、自分は下に下がり対面する形で座った。
俺と伝七郎も部屋脇に控えた。お菊さんと信吾は、上段の間に座った千賀の斜め後ろに分かれて座った。信吾は護衛として、お菊さんは婆さんの代わりとして。
「では、改めまして。永倉殿、お館様”不在”の中、姫様のご到着まで、ここ藤ヶ崎の防衛お疲れ様にございました。千賀姫様も貴殿の忠義にたいへん感謝しておりましょう」
まず最初に不在という言葉を強調し、平八郎に釘を刺しにいく。奴も千賀をいたぶりたい訳ではないので、こう言っておけば、無意味にそれを口にはするまい。平八郎はその言葉に反応するそぶりはなかったが、顔を伏せ気味に胡座をかいたままただじっと目を閉じ聞いていた。
本来、こういった進行は伝七郎の役割であると思うのだが、今回は俺と交代だ。伝七郎も口を開かない。そして、その事を当然ついてくるのかと待ち構えてはいたのだが、平八郎にはそちらに話を持って行こうとする気配すらなかった。
つまり、それだけ警戒されているって事、だよな。俺を後ろに下げるのではなく、この場で平八郎にとって情報が一切ない不確定要素である俺を検分し量りたい、と。多分、そういう事だろう。
「ありがたき事でございます、姫様。されど、この地はお館様より”私が”預かりし土地。死力を尽くして守るのは当然の事ゆえ、改めての謝儀など無用にございます」
その代わり、平八郎はまず「己が」という言葉を強調し応じた。
ちっ。あくまでも俺らを蚊帳の外に置いておこうってか。
とはいえ、このまま素直に返しても、のらりくらりと躱されそうだ。そろそろ有効打を決めるべく話の流れを持って行かなくては。
それぞれの立場と主張を確認し終えたならば、次に打つべき手は組織の系統をはっきりさせる事。ならば、虎の子を得るために巣穴に飛び込むまでだっ。
「はは。さすがは水島にその人ありと呼ばれる、永倉殿。ご人格の方もその名に恥じぬものにございますなあ。我々もその背中を見習って精進せねばなりますまい。されど、”臣下の”忠節をしっかり把握する事も主の務め。まだ姫様は幼うございますが、より立派な主君たらんと努力されておられます。それを喜び、感謝して主の謝辞を受けるのもまた”臣”というものにございましょう」
埒があかぬ探り合いに、内心いらついてはいた。しかし、それを顔に出さないように注意しつつ朗らかに笑ってみせる。
そんなささやかな俺の努力が実ったのか、これは少し効き目があったようだった。平八郎の眉が小さくぴくりと動いた。こちらが探り合いをやめて動いたと理解したからだろう。それは即ち、平八郎の想定よりも俺の踏み込みが深かった、あるいは早かったという事。今までの会話の傾向から、辛辣な事を言っても、早々に直接的には来ないだろうぐらいに考えていたに違いない。
よし、捉えたっ。この機を逃すべきではない。再び、その面の皮が鋼鉄製に戻る前に釣り上げてやる。
渋々「左様にございますな」と口にする平八郎に、再び先ほどの言葉を蒸し返してやった。より辛辣に。
「そうですとも。それゆえに、これほど近くにおりながら貴殿から三日も音沙汰がなかったにもかかわらず、姫様は貴殿を叱責されないのですよ。体が動かなかった? 理由になりませんな。貴殿は使者一つこちらによこしていない。貴殿がした事はこちらから出した使者に居留守を使った事くらいだ。こちらから出向かなければ三日ははたして何日になったのでございましょうな?」
笑顔のまま、平八郎を罵倒する。手持ちの切り札を切って、居留守だと言い切った。
奴にはその心に秘めた誓いがあり、思いがある。居留守だと言われた事自体はなんでもないだろう。だが、俺の言葉全体に纏わせた雰囲気はそれを足蹴にするものだった。
俺の思惑通り……とはいかなかったが、それに応じるように平八郎の気配は変わる。
奴は激昂しなかった。発する気配が不自然に内向きになった。まさに静かに腹にため込んでいるといった感じだ。
「……ほう。神森殿が何をおっしゃりたいのか、私にはよくわかりませんな。私にもわかるように、もう少しはっきりと言われてはいかがか?」
平八郎は目を細め、俺に向けて殺気を放ってきた。
うわあ。こう、蛇に睨まれる蛙の気持ちがこれほどわかる瞬間もそうそうないって感じだ。爺さん、千賀に対しては取り繕っていても好々爺然とした雰囲気が隠しきれていなかったが、やはり生粋の武人だよ。この脳筋世界で侍大将やってたってのは伊達じゃない。見事に俺だけに向けて先鋭化した殺気を放っている。
くそったれがっ。素人さんに浴びせていい殺気じゃねぇだろ、これ。自重しろ、爺っ。
「では、はっきり言い直しましょう。何を考えて、このようになさっているので? 貴殿には謀反の疑いがあります。……たとえば、この部屋の襖の向こうに伏せてある兵。これでいったい何をなさるおつもりです?」
ここは賭だ。もし、この男が俺の想定通りに俺たちを試しに来たのではなく、端から本当に謀反を画策していたのだとしたら、残念ながらここで終わる。
平然とした顔を保つのがそろそろ難しくなってきた。胃が痛い。文字通りの意味で胃袋を握りしめられているようだ。
「……なんの事を言っているのか、私には皆目見当がつきませんな」
平八郎は鋭い目つきのままニッと凶暴な笑みを浮かべ、あからさまに惚けた。
ちっ、ブラフかよ。こんのヒヒ爺がっ。俺は歳をとっても絶対かわいいお爺ちゃんになるぞ。今、心に決めた。まかり間違ってもこんな狸爺にはなるまい。この爺は狸なんてかわいいもんじゃあないけどなっ。
そして、惚けながら平八郎はさりげなくコンッと小さく床板を拳で叩く。すると、周りに伏せていた兵の気配が散っていった。
正直ほっとした。でも、胃痛の代償にこれで確信も得た。奴は間違いなく試しに来ている。それはつまり、話に余地があるという事に他ならない。
奴が試しに来ている以上、選んだ方針はこれで間違っていない。あとは結末までの筋道をどうつけるかだ。落としどころは一つしかない。奴も俺もここまでやった以上、何も失わない結末は一つだけだ。それだけの覚悟を持って、この爺さんも動いたはずだ。
こちらがお行儀よく大人しくしていたら、試す気すらなかっただろう。そんな相手を口先だけで説得などできるわけがない。だから、
「はははははっ。私の気のせいにございましたかな? いや、失敬失敬。何、てっきり貴殿が欲に溺れて、この領地を私物化しようと画策したのかと思いましたよ」
目は冷静に平八郎を捉えたまま、馬鹿笑いをする。そして、更にそう煽ってやった。
だが、反応はない。平八郎は静かにこちらを見据え、俺の腹の底まで見通そうとするかのように、黙してじっと見つめたまま視線を動かさない。
まさか外した? いや、そんな訳はないはずだ。
内心そう焦ったが、当の平八郎はその挑発に乗せられた気配はないくせに、思案気に黙ったままだ。
広間に人の声がない時間が流れ続ける。それがいかほどであるのかは、その時間を共有する人それぞれに異なるだろう。俺にはそれが長く感じた。そう、この身を這う汗の気持ち悪さを存分に堪能できるほどには長く感じていた。
「……仮に、もしも仮にその通りだと言ったとしたら、主らはどうするつもりなのだ? その折には、主らはここで死ぬ事になるのだが」
ふん。やっと腹割って話す気になったという事か。まったく脅かすなよ。
その言葉に若干の心の余裕を取り戻す。死ぬ事になると脅されてるのになと妙な気持ちになったのも事実だが、実際のところ俺はその言葉に間違いなく安堵を覚えた。
建前の話は終わりだと爺さんが告げたせいだろう。これで本気の話し合いができると確信できたのだ。
だから多少演技がかった態度で、手の平を上にした腕をオーバーアクションぎみに大きく振り開き、肩を竦めてそれに応えて言ってやった。
「さて、どうしたでしょうな。ただ、私から言える事は一つです。貴殿を知るものが揃いも揃って言った事がございましてな? 先ほどのような事を言った私が言うのも何ですが、それだけはないだろうとは思っていたのですよ」