第三十七話 論戦 でござる その二
「ところで永倉殿。ずいぶんと姫様を迎える準備に手間取られたようにございますな。三日ほどの遅参といったところでしょうか。何かございましたか?」
「……特になにもござらんよ。なにぶん最近は寄る年波に勝てなくなってきましてな。少々病みがち故にこちらに戻るのが遅れただけでござる」
「……左様にございますか。貴殿は水島家の宿将。またそれを除いても、もし貴殿に何かあれば、姫様は大層悲しまれるでしょう。ご自愛下さりますよう」
「暖かいお言葉、忝うござる。ところで貴殿は先ほど姫様がこちらにおいでになる折に同道される事になったと申されたが、いったいいずこの出の方なので? 少なくとも水島に神森という武家はなかったように記憶しており申す」
互いがそれぞれの出を伺い、そして、軽く探りを入れあう。
「左様。南方の小領の出でございます。流れていた所を姫様に拾って頂いたのですよ」
ちっ。もう少し詳しく地理を聞いておくべきだったな。
「ほう。浪人にござるか。昨今のきな臭い時勢の中さぞご苦労なされたのでしょうな」
平八郎の目が細まり、視線の圧力が増す。
「いやいや、私など。将として酸いも苦いも味わわれた貴殿から見れば、まだまだ小僧にございますよ」
しかし、それには気がつかぬと惚けて躱しに行く。
実際に小僧だしな。ここんとこのヘビーな展開に自分でも忘れがちになるが。でも小僧のままでいると、本当に死にかねんのでやむをえんのだよ。
内心そう呟く。
言葉は丁寧だが、互いにその言葉に刃物を仕込んでは斬りかかりあった。時に受け、時に受け流しては次の斬撃を放つ。それを繰り返し続ける。そして、次には刃を合わせてみての力比べ。形なき刃がぎりぎりと鳴く幻聴すら聞こえてくるようだった。
最後の「酸いも”苦い”も」の挑発は効いたようだ。その言葉以降、平八郎の発する圧力が上がったのがはっきりとわかる。それがただの勘違いではないのは、目前の鉄面皮が一瞬崩れた事からも明らかだろう。
この突然のやりとりに、千賀は平八郎の腕の中でぽかんとした顔をして俺たちを見上げていた。横の伝七郎は先ほどの正門の一件で、俺がどういう方針でこれからこの件に向かうつもりかはあらかた想定できていたのだろう。普段とは異なる俺の態度に最初こそ若干目を丸くしていたが、今はそれを表に出してはいない。信吾やお菊さんは後ろだから様子はわからないが、口を挟むような事はなく、事の成り行きを見守っているようだった。特に信吾は余計な事に気をとられている暇などないだろう。いつ藤ヶ崎の兵が飛びかかってきても不思議はない。
「さて、永倉殿。いつまでも姫様を、このように館の前に立たせておくというのもいかがなものかと思われます。広間に案内なされよ。すでに用意はできておられましょう?」
「左様にございますな。むろん用意できております。さ、姫様。こちらへ」
「う、む? わかったのじゃ。平じい、あんないしてたも?」
平八郎に抱きついていた千賀はそういって離れると、平八郎の手を握った。そして、平八郎も立ち上がる。
……。ふん、やっぱり無理してやがる。確かに面には鉄の皮が張ってある。その口にする言葉もささやかながら距離を置いてはいるのだろう。だが、飛びつく千賀を抱き留めた時、千賀を怪我させないよう気遣う突発的な仕草。でかい自分と手をつなごうとする千賀を気遣って、腕がつらくないように中腰気味になっている無意識下のその動作。それらがあんたの気持ちをあんたの顔や言葉以上に能弁に語っているよ。
こんなものを見せられたら、なおの事負けられんだろうが。
脳筋が基本線っぽいこの世界のこと、多少は永倉平八郎もそうだったらいいなあとは思っていたが、その希望は儚くも散った。あいつらの言葉を聞いていて、この希望は望み薄だろうとは思ってはいたから、その通りになっただけの事ではあるが。とはいえど、脳筋過ぎても、それはそれで俺たちの命はなかったのだから、ある意味よかったとも言える。
まあ、最良とは言えずとも良と言えるといったところだろうか。この場限りを考えれば、もう少しできが悪い方が楽だった事には違いないが、そこは考えようだ。これはすわなわち、ここを乗り切ればそれだけ優秀な将が増えるという事でもあるのだ。そう考えれば悪すぎるという事もなかった。
とはいえ、想定よりはかなりきつい。言うまでもなく舐めていたわけではない。だが、想定をかなり上回っているのは認めざるをえなかった。
でも、今更後には引けない。どんな相手だろうが、なんとしてでもここで説き伏せねばならん。――さもなければ、誰も幸せにはなれん。俺らは死ぬ事になるだろうから当然として、千賀もお菊さんも、そして、平八郎の爺さん自身もだ。だから、この一戦は絶対に勝つ。負けぬではなく、完全に勝ちきってみせる。
誓いを新たに己を鼓舞しつつ、千賀の手を引いて案内する平八郎の後を黙ってついて行く。他の皆も黙ってそれに従った。
よく磨かれた廊下を通り、館の中をしばらく進んだ。
あまりゆっくりと眺められた訳ではないが、館は相当に立派だった。顕著な所で欄間などの意匠が、遠目にも安いものではないとわかる。木材の材質なども当然吟味されているだろう。そして、はっきりとした所で何よりも建物自体がとても大きかった。ちょっと立派なお屋敷ですねというレベルは遙かに超えている。少なくともそこらの普通の小領主が持てるレベルの屋敷ではない筈だ。
これらの意味する所はこの町、そして旧水島領は相当に裕福な領地であったという事だ。そして、それがどういう事を招くのかというと、だ。まず、侵略だよな。ましてそこを統治する家の力が弱まったとなれば、周りの領主たちはここを奪うべく動き出して当然だ。それが乱世というものの筈だから。そこに生きた事はなくとも、学んだ歴史がそれを教えてくれている。
これらの情報から推測するに、やはり平八郎自身が動けぬ理由は高確率で周りの領主どもの動きのせいだ。あとは先の報告にあった北の砦の件。継直もこの町を欲している。
だから、平八郎は四方を敵に囲まれていて本人が出られずとも、北の砦を取り戻そうと軍を出している。なぜなら、そのまま放っておけば、この藤ヶ崎に継直の軍が押し寄せ囲まれる。こちらの感覚だと、それは即ち最終決戦を強要されるという事に他ならんだろうからな。
うん。無茶苦茶きつい状況で耐えきっているとしか言いようがないな。歴戦の名将が追い詰められて暴走したとしても笑う事など到底できんわ。こうして、小さいとはいえ一軍を動かすという経験をしてしまった今なら、なおの事だ。
伝七郎らではないが、尊敬さえできるよ。十分誇っていいだろう。己こそが水島の盾であると自認したとして、傲慢とは言うまい。
でも悪いが、それをいま認めるわけにはいかないんだ。あんたの誇り、汚させてもらう。