第三十四話 推して参る でござる
守衛が群れ成す正門前。二百はいるだろうか。林立する槍は剣山のごとし。その穂先にはどれも殺気の花を咲かせていた。
これ、数千の軍を指揮するようになったら、また違う感動を抱くのだろうか? 満開の花畑を見た様なある種の感動でも覚えるのだろうか?
場にそぐわぬ感想が胸中に湧く。不思議と不安が際限なく湧き立つような事もなく、胸の鼓動も心臓を破らんとする事もない。
妙に腹が据わってしまったのか。あるいは、ここのところ常態化しているかつての非日常のせいで、感覚が麻痺したか。それはわからない。でも、ただ一つ分かるのは、この手に握る千賀の小さな手のぬくもりとそこに滲む汗がそうさせているという事だ。それは間違いなかった。
「このまま千賀を先頭に俺と伝七郎は前に出る。信吾は念の為千賀の真後ろに立て。何もないとは思うが何かあったら頼む。準備はいいか? 始めるぞ?」
藤ヶ崎の守衛たちの待つ正門に向かって歩みを止める事なく進みながら、静かにそう告げる。
「いつでも構いません。よろしくお願いします」
「お任せを。必ずお守りいたします」
各々が返答を寄越す。先の打ち合わせの時とは違う腹を据えた男の声だった。これで目の前だけに集中できる。
信ずるに足る良い答えに喜びを覚えた。
成り行きで得た仲間なんだがな。これ以上は望めんなあ。ツイてないようで、ツイている。このトリップはいったいなんなんだろうな。
そんな思いを抱きながら、最後に千賀を見下ろし声を掛けた。
「じゃあ、千賀? 行くからな? ちょっとだけ怖いだろうけど、我慢してくれよ?」
「わ、わかったのじゃ」
千賀はふんむと荒い鼻息を一つ出すと、肩に力を入れて踏ん反り返った。いつぞやと同じ姿に失笑を禁じ得ない。
はは、本人真剣なつもりだろうが、傍目には可愛くて仕方ないわ。でも、茶々を入れて、邪魔はすまいよ。こいつはこいつなりに懸命なのは間違いないのだから。
始める前に千賀のせいで思わぬガス抜きもできて、適度な緊張だけが体に残る。そして、そのまま進む。
すると、すぐに前方から大きな声で静止がかかった。
「止まれぇいっ。いずこの者かは知らぬが、この町になんの用だっ」
門の前守衛たちの先頭にいる壮年の男が声を張り上げた。
その男は体も大きく、腕も太かった。どうやら力自慢のようだ。
男は手に持った槍を振り上げ構えながら威嚇する。
ただ、その男が身に纏う装具は周りの兵たちを同じものであり、どうも将兵という訳ではなさそうだった。仮に士分であっても、おそらくは下級と思われる。しかし、その顔は使命感に燃え、軍を率いて突然町に現れた者から、町を守ろうと気張っているのは目に見えてわかった。
ふーん。やっぱ、良い兵だな。短絡ではあるけれど。永倉平八郎、やはりあいつらの言う通りの器の将って事か。
そんな将に勝てるのかと少しの弱気が心の内に芽吹く。しかし、それはすぐに刈り取り穴に埋める。(そんな事は最初からわかってたじゃないか、今更怯えるなよ)と、そう己を叱咤する。
そして、目を閉じ大きく息を吸うと、目の前の男と言わず町中に響けと大喝した。
「千賀姫様の御前であるっ! 控えぬか、愚か者がっ。貴様らこそ、いずこの兵であるかっ!!」
突然の大声に横で千賀が飛び上がる。目を見開いたかと思うと、次にはうるると涙を目の端に溜めて、胸の前で二つの小さな拳を作っていた。
あー、すまん。すまんが、ちょっと今は構ってられん。そのまま我慢だぞ、千賀?
横で伝七郎が千賀の肩に右手を掛け、大丈夫と笑いかけている。
一方、よもや叱責で返されるとは思っていなかったであろう壮年の男は、俺の怒声に固まっていた。その後ろの守衛たちも程度の差こそあれ、似たようなものだ。
「聞こえぬのかっ。控えろと言っているっ! そこの者っ。任務に熱心なのは認めよう。しかし、いま主が誰に槍を向けているのか承知しているのか? 答えよっ!」
更に飛ばす俺の叱責に段々と守衛たちの驚愕が混乱に変わっていく。先の壮年の守衛は歯を食いしばり、冷や汗を流している。その顔は微かに痙攣していた。
悩んでいるようだった。この槍を降ろすべきなのか、降ろしてはいけないのか。構えた槍の穂先が揺れている。
「しかし、そこの者がひめ……」
言葉の途中で即座に割り込む。
「口を慎め、下郎っ! 姫様に向かってそこの者とはなんたる言い草であるかっ」
烈火の気合いで押し込む。問答などさせん。
「お主、今の一言で首を跳ねられても文句は言えぬぞ?」
その一言に顔面を蒼白にする守衛の男。そして、まともな思考を奪うべく安心と緊張の狭間で揺さぶっていく。
「……とは言え、主らごときでは姫様のご尊顔を知らぬのはまだ理解の範疇である。今謝罪すれば、姫様のご厚情を賜る事もできよう」
その言葉に少しほっとした様な顔をする兵。しかし、悪いがそんなに甘くないんだ。こっちも必死なんでね。
「しかし、その横におられる佐々木伝七郎殿まで誰ひとり知らぬとなれば、これは問題ぞ。佐々木殿は姫様の守り役にて、永倉殿とも懇意であった者。そして、後ろにおられるのは永倉殿が実娘、菊殿。確認せよ。その顔を知るものは誰一人おらぬのか?」
「あ、あいやしばらく」
「だから、主らはどこの兵だと聞いておるっ! 水島の兵なのか、永倉の兵なのか。それともまさかまさか継直の兵なのか。……お主、己の主に門の外で立って待てと言うつもりか? 事がはっきりしたまさにその時、その首が飛ぶ事になるのだが、それを承知の上で言っているのであろうな?」
兵の顔色が憐れみを誘う。すでに青だ白だという段階を越えていた。もう、目の前の兵に自前で心の動揺を収める手段はないだろう。そう思える程に狼狽えきって、気持ちがよさそうには見えない汗を大量に流していた。
しかし、それに構わず混乱しきった兵に容赦なく次々と圧力をかけていく。この兵には悪いが、ツイてなかったと諦めてもらうしかない。そして、想定通りその動揺は波紋のように後ろで控えている数多の守衛たちの方への広がっていった。すでに最初にあった触れれば刺さりそうな殺気の群れは雲散霧消し、代わりに困惑が渦巻いていた。
「あ、う、あ……」
「どうした。はやく確認できる者を連れてこぬかっ! いったいいつまでお主らは門の外に姫様を立たせておくつもりなのだ?」
もうすでに男には俺の言葉に反応できるだけの心胆は残っていなかった。極度の緊張に見舞われ、口角に泡も見える。言葉にならぬ言葉を口から漏らし、呻くだけであった。
よし。これで初戦は勝負あった、かな? とにかく永倉平八郎を引っ張り出さん事には話にならん。
軽く目を逸らし、横の伝七郎を横目で見る。奴もこちらを向いていた。少々驚いているようではあったが、こちらは問題なさそうだ。一つ頷き、以降は話を合わせてこいと促す。その意図を汲み取ったか、奴も小さくこくりと頷き返してきたのだった。
ただ、俺の横で千賀が俯き、小さく震えている。
怯えてしまったのかと思った。
しかし、そうではなかった。目の周りを赤くして若干の涙を溜めてはいたが、そこにあったのは怯えではなかった。
千賀は怒っていた──。大きな目を吊り上げ、下唇を強く噛みしめていた。そして、俯き口を開く事無くじっと堪えていたのだった。