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姫様勘弁してよっ! ~異世界戦国奇譚~  作者: 木庭秋水
第二章
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第三十二話 親思う心と親心 でござる その三

 目の前の川面を、黙ったままじっと見つめ続けているお菊さん。いや、おそらくこれは視線がそっちを向いているだけで、実際には何も見てはいないな。


 さて、どうしたものかと考えようとしたその時のこと。静かに、まるで独白するかのように彼女はその胸の内を語りだした。


「昨晩、姫様に聞きました。今日、父に会いに行かれるとか……。姫様、とてもうれしそうに喜ばれて、はしゃいでおられました。でも……」


 彼女は、ただただ胸の内に現れては消える思考の群れを口にしていく。話が千賀の事に触れるに至り、胸の奥がずきりと痛むも、それを邪魔せぬようただ耳を傾け続ける。


「いくつもの国境が近くにある藤ヶ崎の町と民を守ってくれとお館様に頭を下げられ、隠居を止めて預かり、赴任しました。そして、それが父にとって主の最期の願いとなってしまった。お館様の事……、父はもう知っていると思います。父は忠義の人です。こんな事になってしまった以上、頑なに何が何でもこの町と民を守ろうとすると思います。だから……、だから、今まだこちらに連絡がないという事は、おそらく父は私たちを迎え入れるつもりはないのだと思います」


 ……だろうな。


「姫様が無事だとわかれば、常の父なら飛び出てきます。でも、父は動いていない。それはきっと、幼い姫様には町を守る力がないから。今の姫様を受け入れれば、町を危険に晒してしまうから……」


 それもその通りだろうな。その上、己だけが千賀に残された最後の盾だと思い込んでいるとすれば尚のことだ。どちらの意味でも受け入れられないだろう。


「それに姫様の事も、このまま庶人に溶け込んだ方が生き残れると思っているかもしれません。姫様を受け入れれば、姫様を主として戴かねばならない。でも今の状態でそうする事は、姫様を敵の的として晒すようなもの。もしも負ければ只ではすみません。私は女なので軍務の事はよくわかりませんが……、父は何としてでもこの町を守ろうと思いながらも、守れないと思っているのかもしれません……」


 そう。おそらくその通りだろう。


 一度開かれた彼女の胸の堰は目の前を流れる川の水の様に決して留まる事なく、そして、形を成す事もなく只々流れゆく。


 どうするべきはない。どうしたいもない。強いて言えば彼女自身が言ったように、一緒に連れていってほしい、そして父親と直接話がしたい。それだけだろう。


 でも、……うん。さすがは実の娘だよ。多分、親父さんの胸の内はそんなところじゃないかと俺も思う。ただ、そこにお菊さんの事も一緒に交じっているとは思うがね。


「だけど……っ!?」


 更に言葉を続けようとする彼女の頬に、そっと右手の親指を走らせた。それに驚く彼女。


 俺の指は川面の水を触ったわけでもないのに濡れていた。


「……ごめんなさい。言葉が止まらなくて、いつのまにか涙まで。迷惑ではございませんか?」


 濡れた俺の指先に気づき、お菊さんは頭を下げようとする。


「いや、全然。沢山悩んだね」


 恥ずかしそうな、申し訳なさそうな複雑な表情で謝ってくるお菊さんがなんかおかしく思わず口元が緩む。


 目の前にいる彼女は、今までに見た事がない彼女だった。いつもは凛としてて、控えめな癖にここぞという時は勝気で、お姉さんぽくて……。いや、勝気でお姉さんぽかったのは千賀のせいだな。あれがいるから、そうならざるをえんかったのだろう。


 彼女の目元に運んでいた手を、その頬に流れる艶やかな髪に滑らせるようにして離す。


 どことなくお菊さんの顔が赤い。よほど先程の事が恥ずかしかったらしい。そこまで気にする事はないと思うのだが。


「いや、あの……」


 頬に手を当て俯くお菊さん。おそらくどの男に聞いても彼女の第一印象は美しいか綺麗になってしまうだろうが、俺も例外ではなかった。こういう可愛いらしい所があるとはついぞ気が付かなかったな。普段の印象が凛々しすぎるのが原因だろう。


 しかし、だ。こんな彼女をいつまでも眺めながら、ほっこりとしていたい所だが、正直そうもいかない。時間も押しているが、それ以上に彼女を連れていくならば彼女に傷つく覚悟をしてもらう必要がある。そうでなければ、どれ程悲しい顔をされようが、頼まれようが、同行を断らねばならない。問題はどうやってその話を切り出すかだが……。


「武殿?」


「ん? ああ、ごめんごめん。ちょっと考え事してて」


 いかんな。顔に出ていたようだ。


「やはり、私が付いていくのは無理そうですね。いらぬ事で悩ませてしまって、申し訳ありません」


「ん、ああ、いや、そういう訳でも……」


 思わず誤魔化す言葉が口から出かける。


 いかんいかん。彼女の胸の内を思うと、すぐに日和そうになる。お菊さんも心の準備をして話を振った筈だ。ここで逃げるのは、事の難易ではなく、俺の弱さだ。


 それを自覚すると、喉はひりつき、その更に奥では何やら突き上げられているような感覚を覚えた。肩から背中にかけてそわそわと、ゆとり、余裕とは対極の何かが這い上がってくる。


 言わねばならない──。


 両手でパンッと己の両頬を張る。突然の俺の行動にお菊さんは驚き目を丸めた。


 よしっ。


「うん。そうだな。でも、無理だという訳じゃあないんだ。だけれど、もし親父さんがその誇りを汚され罵られる所を、そして、千賀が悲しみ泣く所を見たくない、黙ってみていられないというならば、申し訳ないけれど今回は連れていけない」


 お菊さんの目をまっすぐに見つめてそう宣告する。驚きの他に戸惑いが混ざる彼女の表情。そして、その細い喉が小さくこくりと鳴った。――……




 今朝がたこのような事があり、この後どうなるのかを語って聞かせた。お菊さんはそれでも同行を申し出た。だから、俺は自身の責任の元、それを許可する事にした。


 そして、川の畔で俺が語った内容は、事が終わるまで千賀は勿論の事ほかの誰にも話さないよう念を押した。


 彼女があまりにも不憫すぎて、なんのかんのと理由をつけながら、彼女に選択肢を与えるべく口を割ってしまった俺も修行が足らないとは思うが、俺は人間らしくありたかった。情を隠す努力はしても、情を見失いたくはなかった。でも、軍師としてみれば、それは甘さ以外の何物でもない。思考が二律背反し頭が痛い。


 その揺らぎの折衷案が只の口止めというのはあまりにも拙いが、それでもこれが今の俺の精一杯だと認めざるをえない。我ながら見事に中途半端で泣けた。


 そして更に、自分でやると決めたくせに、いつの間にか自虐的になっている己の思考に気づく。


 その滑稽さに、ため息が漏れるのを止める事はできなかった。


 しかし、そんなものは隣ではしゃぐ千賀の声にかき消されていく。陣を畳んで出発して以降、千賀は興奮しっぱなしだ。余程平じいと会えるのがうれしいらしい。


 そんな主を守るまわりの兵たちも、これでやっと一息つけると安堵の表情を浮かべている。藤ヶ崎に向かって歩くその足取りは常より力強く見えた。


 こいつらはずっと追われ通しだったからな。気を抜くなと責める事などできる筈もない。ただ、それだけにここで失敗すれば、さすがの奴らも心折れるかもしれなかった。周りを歩く兵たちの様子を見てそう思う。千賀やお菊さんや皆の為にというばかりではない。現実的な問題だ。食料や拠点の観点と同列に、兵の心が逃げる事に耐えられるのはここまでではなかろうか。


 一見安定しているように見えて、先の迎撃戦に続き、ぎりぎりの綱渡り感が尋常ではなかった。


 撤退戦は本当に難しい。ものの本やネットでは頻繁に目にした言葉だが、実際にその場で味わってみると想像以上にあれもこれもと問題が積み重なっていて、難しいという言葉自体が生ぬるく感じる程だった。ここを乗り越えられれば多少は楽になるとは思うが、次に脳裏を走るのはやはり「言葉で言うのは簡単なのだがなあ」という一言のみである。


 そんな、ともすれば逃げ腰になりがちの思考に埋もれながらも、足だけは藤ヶ崎に向かって動かし続ける。気が付けば道の両脇にあった森の木々は消えて田畑となっていた。


 そして、ふと道の先に目を走らせる。するとそこには、平積みされた石の壁と木柵に囲まれた藤ヶ崎の町がいつのまにか見えていた。

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