第二十九話 千賀 でござる
その返答を聞き、婆さんは心底苦々しい顔をする。そりゃあ、そうだよな。婆さんにしてみれば、何がどうあれ千賀が悲しむ顔なんぞみたくはないだろう。俺だってできれば見たくない。
俺と婆さんがそんな会話を交わしていると、千賀は退屈そうに足を投げ出して、ぱたぱたと足を振って遊びだす。最初はきちんと正座して俺に向かっていたのだけどな。すまんね。
確かにこんな会話じゃあ、退屈だよな。幼子が作り出す人を和ませる空気と、こんな子を利用せねばならん俺ら自身の不甲斐なさとが合わさり、漏れる笑みのすべてが苦笑に変わる。
そんな千賀をしばらく眺めていたのだが、横から視線を感じそちらを向けば、伝七郎が黙ったままこちらを見ていた。
先程からの俺の言葉を聞き、そろそろ奴にも俺が何をしようとしているのかが像を結びつつあるのだろう。そして、悲しみ泣く千賀の顔を思い浮かべたに違いない。その視線は「本気でやるつもりなのか?」と強い疑問と確認を乗せていた。
だから――。
そうだよ。やるんだよ。そう意思を込めて俺は伝七郎に一つだけ頷く。
それを見た奴は、静かに目を閉じると深い深い溜息を一つ漏らす。その先を見る事を拒絶するように。己の不甲斐なさを嘆くように。
そんな伝七郎に「みな同じ気持ちだよ」と胸の内で言葉をかけると、再び目を千賀に戻す。そろそろ退屈を我慢するのも限界にきているようだ。ぱたぱたと振っている足の振りが大きくなってきた。そろそろ癇癪を起こしそうだ。
「ああ、千賀。ごめんごめん。千賀にも話があるんだよ。もうちょっと我慢してくれ」
「もう、やーなのじゃ。たえもたけるもよくわからん話ばかりなのじゃ」
そう説得を試みるも、千賀はまん丸のほっぺを更に丸く膨らませて視線を逸らしてしまう。
あちゃ、まずった。少し遅かった。
「すまんね。もうその話は終わりだよ。今度は千賀と話がしたいんだ」
拗ねる千賀に苦笑いを浮かべながら、そう語りかける。
「そうなのかや。で、妾としたい話というのはなんじゃ? またお話でもしてくれるのかや?」
自分に対象が移って満足なのか、先程までの不機嫌さはどこかに吹き飛び、俺の方に向き直った。そして、目を真ん丸に見開き何かを期待するような目でこちらを見てくる。
眩しかった。非常に眩しすぎた。特に今の様な後ろめたい思いがある時に、子供のこの目は直視に耐えない。己のすべてを否定したくなる。
ここまでの道中に、あちらの昔話や適当に作った笑える話なんかを聞かせて、千賀の暇つぶしをしてやったのだが、どうやらそれがいたく気に入ったらしい。それと同じ話だと思っているようだった。
無論、今話さねばならない内容はそんな愉快な話ではない。この話は、まず間違いなく一旦千賀を騙す形になる話だ。それが分かっているだけに、感じる後ろめたさは半端なかった。
きらきらと光る期待に満ちたその眼と、純真極まるその言葉と。それらは汚れた自分を自覚させ、傷を負わすのに十分な刃物だった。そして、更に厄介な事にそれを自覚するとそれらはより鋭利な刃と化すのだ。
よもやこの年でそれを味わう事になるとは思わなかったよ。本来こういうのって、親になってから我が子に教わる類のものじゃあなかろうか。
そんな泣き言が脳みその端に湧き出してくる程、今の俺にとってこれはきつかった。しかし、きついきついと言ってられない事情がある。やらねばならない立場がある。
だから、誤魔化す。
卑怯極まる話だ。この後の千賀がどう出るのか手に取るようにわかる癖にと自分をなじる。でも。
「ん。それはまた今度な? 今はちょっと違う話」
そう、何でもない顔で言うんだ。すると、だ。
「そうなのかや。じゃあ、なんじゃ?」
それを聞いた千賀はとても残念そうな顔をしつつも、すぐにそう聞き直してくる。
これなのだ。
千賀は年の割に物分りが良すぎた。そして、TPOを弁えすぎていた。
このがきんちょは基本的に甘えん坊だ。そして、とても賢い。気心を許した相手には、我儘を言う、拗ねる、喚く、泣く。我儘気ままで一見子供らしい。
でも、それは千賀が甘えていいと思った相手にだけ、甘えていいとわかっている時だけだった。その相手に構ってもらいたいから、そういう行動をとる。しかし、そうでない相手やそれが許されないと悟った時には、素直で聞き分けの良すぎる子になった。
どちらも千賀には変わりない。しかし、俺には、これはどちらという話ではないように思えた。同列ではないのではないかと。元々の甘えん坊だけど、素直で聞き分けの良い性格を例外として作っているのではないかと。そう思えた。
子供って、普通は逆だろう。少なくとも俺自身はそうだったように思う。
この旅路の間相手をし続けて、それを感じる機会が非常に多かった。そして、その理由が傍にいない両親、そこから来る寂しさである事は容易に想像ができた。
俺には、千賀が俺らに言う我儘は、その満たされぬ思いを埋める為に、信じた相手との絆を量ろうとする代償行為のように思えて仕方なかった。なぜなら、信じた相手が決して許せぬ状況で我儘を言うのは代償行為になりえないから。それをすれば拒絶されてしまうから。
だから千賀は、頑なにそれをしようとしない──。
おそらく、こんな理路整然としたものではなく本能的なものであろうとは思う。しかし、そんな他人との距離を測ろうとする千賀の態度が、子供の相手をしつつも子供の相手をしていないような釈然としない感覚を俺に与えた。
千賀はまだ幼児と言える年齢だぞ? そんな年頃の子供ってもっと自由でもよいものだろう? もっと満たされていてもよいものだろう? そう思うのだ。
空気を読むとか弁えるとか――そんな事は大人になってからやればよい。子供は、本来そんな事をせずとも満たされているべきではないのか。なんのかんのと言いながらも、俺も両親からそれを受け取っていたぞ。でも、千賀のそれは永久に満たされない。継直の手に掛かり、この子の親はもういないのだから。
そして千賀は、それを知らない。
伝七郎や皆が千賀を甘やかしてしまうのは、それが最大の原因だろう。お菊さんだってなんのかんのとお小言を言いながらも、千賀にはすこぶる甘い。皆それを感じているからこそ、これを甘えさせたいのではなかろうか。
まあ、それでも甘えてくれるだけ良しだとは思うが。それすらもしてくれなかったらと思うと、まだ救われている気がする。
しかし、今俺はその哀しき信頼を利用しようとしている。そんな身の上の幼子が精一杯の力で作り上げている聖域を、泥で汚そうとしている。
やはり碌な死に方はできそうになかった。
まだ端くれにもなれていないのにな。
今回、そんな軍師の業を否応なく学ぶ事になった。
「千賀は……永倉平八郎の事覚えているか?」
千賀の目を見ながら尋ねてみる。
「平じいの事かや? もちろん覚えているぞっ。平じいはよく妾と遊んでくれたのじゃ。でも、とと様におねがいされてとおくに行ってしまったのじゃ。とてもかなしかったのじゃ。でも、平じいはかわりに菊をつれてきてくれたのじゃ。だから、今はさびしくないぞ?」
平じいと言った時に見せた信頼しきったような表情は千賀が伝七郎やお菊さんを見る時呼ぶ時に見せるその表情と何ら変わる所がなかった。
その当の千賀は、今も「ほんとうじゃぞ?」と何度も念を押して強がるのに必死だが。
んー。やっぱり、そうだよな。伝七郎や三人衆から聞いた話から推測はできていたが、永倉平八郎が千賀にとってどういう人物なのかはこれで確定した。それはつまり、最終的には千賀の為になる筈だが、途中で泣かれて俺が嫌われる事もこれで確定したという事だ。
「……そっか。そん時に千賀はお菊さんと初めて会ったんだな。それでな? 千賀。実は今すぐ近くにその平じいがいるんだわ。明日、俺たちはその平じいに会いに行くんだが、千賀はどうする?」
「な、なんじゃと?! ずるいのじゃ、たける。妾も平じいに会いたいのじゃっ。妾も行きたいのじゃ。たける、何とかしてたもっ」
俺の話を聞き、目を見開き驚く千賀。そして、すぐに身を乗り出すようにして地面の上に敷かれた敷物をぱしぱしと叩きながら要求する。
「わかった、わかった。じゃあ、明日一緒に行こうか?」
もちろん、そう言うと思ったさ……。
「やったのじゃ。さすがたけるなのじゃ。うれしいのじゃ」
俺がそう答えるとぱっと顔を輝かせ、両手を叩いてその小さな体をいっぱいに使って喜びを表現する千賀。その姿は誰が見ても大層うれしいのだろうとすぐに理解できるものだった。
本当に微笑ましい。できれば他意なく眺めていたい光景だ。でも、それは叶わない。今回俺が務める役割は軍師だから。軍師の務めとは理があればそれを殊更に謳い上げ、なければ無理やりにでも作る事。その役目は自陣に如何なる手段を用いてでも利をもたらす事。
すでに辿る筋はこの胸の内にある。だから、笑えなくても笑顔を浮かべる。
未熟な俺のその笑顔はまだまだ作り物めいていただろう。それが自分でわかった。
己の未熟さが人として喜ばしく、軍師として情けなく────。
心和ませるはずのその光景は俺にそれを教えたのだった。
13/2/04
千賀は数えで五歳だぞ→千賀はまだ幼児と言える年齢だぞ?
表現がピンポイントすぎるので修正します。