第二十六話 信用と不審の狭間で でござる
「武殿。やはり考えすぎでは? 平八郎様は、姫様を孫の様に可愛がっておられました。あの方が裏切るなどという事はありえないと思うのですが」
幕で仕切られた部屋の中央で机を挟んで床几に座り、俺と伝七郎は互いに意見を交わす。
伝七郎は、どうしても納得いかぬようだ。まあ、それもそうか。奴はお菊さんの親父さんを相当尊敬しているみたいだしな。それが根拠となって、今こうしている事を無駄と思っているに違いない。
近いが故にって奴だろうな。おそらく対象が永倉平八郎という人物でさえなかったら、俺が言うまでもなく伝七郎自身が手を打っただろうに。
残る三人。信吾、源太、与平は口を噤み言葉を挟む気配はない。脇に控え、沈黙したまま立っている。今は自分たちが口を出す場面じゃないと考えているのだろう。
ただ、その表情を見る限り、多分奴らは伝七郎寄りの意見だろう。決定されれば従いはするが、やはり得心はいかないという雰囲気だ。
お菊さんの親父さん。相当な人物のようだ。最低限こいつら全員が信じ、尊敬するに足る人物であるという評価なのだから。つまり、ほぼ間違いなくそういう人物なのだろう。先の戦いで多くの言葉を交わした伝七郎。継直につかず、まだ逃亡するしかなかった伝七郎を選んだ三人。こいつらの目は信じるに足る。その目は決して節穴ではない。
ただな……。だとすると、そっちの方がやっかいなんだぜ? 伝七郎。
「伝七郎。言いたい事はわかるが、今は確実に行くべきだろ? 俺らは今、些細な失敗を埋め合わせるだけの力すらない。ちょっとした事で致命傷になる。一つ一つ詰めながら行こう。な?」
得心いかぬ様子の伝七郎を宥める。今細かく説明したところで納得いかないのは同じだろう。
頑固、実直、情に深い。そして、有能。
そんな将が地力十分で余力もあると思われる都市を守っている。たとえ周りに味方が存在していなくとも、そう易々と落とされていないという伝七郎の見立てはそこまで的外れではない。
つまり、継直にすでに落とされた上で偽装されている可能性は低い。そして、永倉平八郎が裏切っている可能性はもっと低いだろう。だが……。
「はあ。武殿がそうまで言われるなら、そうしますが、しかし……」
伝七郎にしては、口にする言葉の尻が不明瞭だ。
「……そうですな。伝七郎様。武殿の言われるように、今の我々に余裕がないのも事実です。念には念をという方針に否やはありません。確かにあの永倉様を疑うというのは用心のし過ぎかと思いますが、それでも理にかなわないという話ではありません。偵察がもう少し詳しい情報を持って帰ってくる事を期待しましょう」
俺と伝七郎の意見を交わす勢いが落ち着いた所で、信吾が今まで噤んでいた口を開いた。
「そうですね。それにやっぱ継直の動きが鈍いのも気になりますよ。あれから、まったく追ってきてませんし。永倉様を疑う訳ではないけれど、何かしら関連があるのかもしれない。何にしても情報が少なすぎます」
与平もいつもの、ともすれば少年と見紛うような明るい表情ではなく、引き締まった一端の将の顔つきで己の意見を述べた。
「……それに、永倉様自身の振る舞いが少々おかしいのも事実です。あの方なら、姫様の無事がわかれば、おられるなら我先にと飛び出して来るでしょう。しかし、そんな気配もなければ、向こうからの連絡もない。先の偵察の話では永倉様は不在であったとの事。ですが、四方八方の領主が虎視眈々としているこの状況で、あの方がこの町を空けるでしょうか? それこそありえません」
源太もその思う所を口に出していく。その太めの眉を寄せて、どうにも解せぬと言わんばかりに腕を組み、その彫の深い端正な顔を顰めながら。
そして、ありえぬと言った後、源太は一つ大きく息を吸う。
「……藤ヶ崎が何者かと交戦状態にあり一時的に出ている可能性ももちろんございましょうが、その割には町が落ち着きすぎています。遠目で見た限りではございますが、大通りを行き交っている人間の量が前に町を見た時とほとんど変わっておりません。ここから完全に判別するのは難しい所でございますが、大通りを行き交っていたのはおそらく大半が商人です。行商も含めた。つまり、その意味する所は、藤ヶ崎の町自体が戦闘状態ではないという事です。今のこの状況でそれをなすのは至難の業でございましょう。少なくとも領民の信頼の厚い平八郎様が出払っている状態で、周りからも狙われながら出来る事ではないと思います」
言いたくない事を無理やり言ったのだろう。源太は、途中で言葉を切ることなく、吸い込んだ息とともに一気に吐き出すようにしながら、言葉を並べた。
「……なるほど。いけませんね。大将ともあろうものが冷静さを失っていたようです。確かに妙ではあります。そして、そうであるなら、武殿の言う通り慎重であるべきでした。詳しい情報が入るのを待つとしましょう」
三人の言葉を聞いて、伝七郎は普段の冷静さを取り戻したのか、感情を脇に置く事にしたようだ。自身の頬を両手で挟むようにぱちりと叩き、目を閉じ首を振る。
仕方ない。言ってみれば、これは尊敬する師匠を疑うという事だから。関係が近くなればなるほど想定しづらい上に、そこに気が付いた所で内心穏やかでおれなかっただろう。まあ、それでも将ならば、それを抑え込まねばならないのだが。
でも、俺らは揃いも揃って若造ばかりだ。いざその立場になれば、頭でわかっていても理想通りに振る舞えない事などあって当然。こんな事を考えている俺とて例外ではない。今俺がこうも冷静なのは、単にこと対永倉平八郎に関して第三者だからにすぎない。何せまだ会った事すらないからな。
「いいさ。それにお菊さんの親父さんがどうこうというのと、継直の妙な対応とが関連しているとは限らん。それぞれが別々に動いていて、それを俺たちが同時に受けているという可能性もある」
実際の所、多分そうだろうと思うよ。伝七郎。俺の予想通りならば、その上で対応策を考えねばならない状況となっている筈だ。
「時に、どうしても確認しておきたい事があるんだが。いいか?」
「何でしょう?」
偵察が戻ればおそらく確定してしまう永倉平八郎との敵対関係。その前に確認しておかねばならない。
己の感情を無理に抑えようとしているのがはっきりとわかる、やや疲れた表情で伝七郎はこちらに目を向け直してきた。
「水島家は臣下に土地を与えていたのか?」
これははっきりさせておきたかった。俺もしっかりと奴の視線を捕える。ここを適当にしておくわけにはいかない。
「土地を与える? ああ、知行の事ですか?」
「そう。その土地を支配し統治する権利と義務を負うという事。意味もあっているか?」
「はい。合っています。それで水島が臣下に対して知行地を出しているのかという事でしたね? これは否です。水島も此度のお家騒動前はそこそこに大きな領主ではありましたが、臣下に褒美で土地を出せる程ではありませんでした。時代が平和なら、あるいは一部の重臣たちぐらいには知行地を出せたかもしれませんが、今は乱世ですからね。広大な領土を持つ大領主ならともかく、水島の領土程度で土地そのものを臣下に出してしまっては、周りと競えるだけの力を維持できなくなります」
へえ、知行って言葉が通用するとは思わんかったな。
「念を押すが、つまり、ここ藤ヶ崎は水島家の直轄地という事でいいんだな?」
「その通りです。ですが、そのような事を聞いてどうされるのです?」
「ん? 念の為だよ」
これで懸念材料もなくなったな。
それがわかった所で、俺は軽い口調に戻してそう恍けた。
伝七郎は、まだ俺が何を考えているのか察する事は出来ていない様だ。それ以上の追及こそしてこなかったが、視線を外しつつ、そんな俺の質問と態度になぜと考え続けている様子だ。
「そう悩むな。禿げるぞ。今禿げたら咲ちゃん泣くぞ?」
いつまでも眉根を寄せ首を捻り続ける伝七郎に、俺は先程同様いかにも軽く語りかけた。大した事でもないと言わんばかりののんびりした口調で。
変に力む事はないさ。偵察が戻るのを待とう。まだ焦る必要はない。どうであっても打つ手は必ずある。というか、無理やりにでも捻りだす。
だから、今はまず焦らない事だ。焦って打つ手を間違える事の方が今は怖いんだ。
使者と偵察を出して二日が経った。
無論、藤ヶ崎の館に出した使者は当日のうちに戻っていた。
後ろ……、俺達がやってきた方向。つまり、継直の本拠方面へと放った偵察が戻るのはまだまだ先だろう。というか、しばらくは戻るまい。探る先が遠いし、広い。藤ヶ崎の町に放った方の偵察はもうそろそろ戻る頃だ。永倉平八郎自身とそれが率いる藤ヶ崎の旧水島兵の動向を何とか掴んできてくれるとよいのだが。
使者は、予想通り永倉平八郎と面会する事叶わず、再び不在であると告げられただけだという。
更にもう一日経過する。これで陣を張って三日。
そろそろいいかな。ちなみにこの陣から藤ヶ崎の館まで、何をどう準備をしようとも半刻もかからん。往復だけで他に何もしなければ、歩いても一刻で十分お釣りがくるだろう。
町に放った偵察が戻るのを只管じっと待つ。
そして、その日陽が落ちてしばらく経った後、本部の天幕に来てくれと伝七郎からの伝令がきた。ようやく戻ったようだな。