第三百二十六話 幕 伝七郎(六) 白の館攻略戦 その四
ピョウと雪交じりの風が走る音がやけに大きく耳に響いた。陣幕の中、私、信吾、そして目の前の甚兵衛も口を開かない。
ただ甚兵衛の笑みは、私のその言葉にもいっさい崩れなかった。沈黙を保ちながら、ただ静かに笑み、そして私の目を見ている。
だから、私も微笑みを浮かべたまま。ただ待ち続けた。
あとは甚兵衛の出方次第。目の前の男がどう身を振るのかを見せてもらわなければ、こちらも対処のしようがない。
だから、静かに待ち続けた。
どれほどその時間が続いただろうか。その時を経て、甚兵衛は顔に張りつけていた笑みを更に強めてようやく口を開いた。
「はい。存じておりました。そして、泉様と貴方様……どちらがこの町を”取られる”のかを見ておりました」
悪びれた様子もなく、まるでちょっとした秘密を明かすように言う。
「意外ですね。もう少し粘ると思っていたのですが」
「その方がよろしかったですかな?」
「まさか。手間が省けて、こちらにとっても好都合ですよ」
こちらも堂々と応ずる。
お互いさまということだろう。ともに相手の腹の中をわきまえた上でとぼけているだけなのだ。
ただ……『泉』……か。やはり、惟春ではないのだな。
甚兵衛は一石を投じてきた。ここからどうするかだ。
「それで、あなたはどちらです?」
「どちら、とおっしゃられると?」
「『安住』か『佐方』か?」
甚兵衛の目を真っ直ぐに見据えて、笑みを浮かべたまま、率直に問うた。
武殿は、このどちらかだと言っていた。もし、始めから継直の手の者だとしたら、打ってきた手が迂遠すぎると。継直と金崎は表だっては同盟関係だが、腹の中は互いの首を狙っていた。だから、継直にしてみれば建前の同盟関係を利用しつつ我が身のことしか考えていない金崎の家臣団を本気で狙うのが最短であって、その家臣団を隠れ蓑に領内の不穏分子を煽るのは手間が増えるだけではないか、と。
その話を聞いて、なるほどと思わされた。
ただ、どうしてこの男が敵だと思ったかを尋ねても、『感』だと言い張られたが。
たぶん、あの人は『感』という名の『理屈』で臭いをかぎ分けるのだろう。あの人の考えを読むことは難しい。だが、出てくる答えにほぼ間違いがない。特に『人』に関することは。
ただ、武殿が言わんとすることはすぐに理解できた。とはいえ、『継直の手の者に二心を持つ者がいた』のと『他勢力もしくは独立勢力の横やり』の区別は私には付かなかった。
だが、武殿は『九分で安住』だと言った。どちらかなどと言いながら、ほぼ断言したようなものだ。
それを踏まえての一手ではあるが……。
私の問いに、甚兵衛は初めて顔をこわばらせる。それは刹那のことだったが、確かにこの男は驚愕の表情を見せた。
ただ、すぐに元の作った笑みに戻し、
「……どちらだと思われます?」
などと尋ねてきた。
だから、少し遠い目をするようにして甚兵衛から目を離し、口を開いた。
「さて、それは分かりかねますが……先年、安住殿と佐方殿の国は国境で大戦をなされたばかり。両国ともに国力の回復に奔走していると聞いております……」
とぼけて、関係のなさそうな話を始める。
甚兵衛も口を挟むことなく、目だけを鋭く光らせながら静かに私の言葉を吟味していた。
だから、『牽制』をしながら追い詰めていく。目の前の男が、『交渉』したくなるように。
「久我島……、北石敷にてにらみ合いが続いているとか。互いが大層な戦力をそこに貼り付けざるを得ず、なかなかに大変だと。……もし、北石敷の西……高梨の地あたりが手に入ると、安住殿はかなり楽になられましょうな」
安住、佐方、そして金崎の三国の国境あたりで、安住と佐方はにらみ合っている。だから、ここ金崎領側の国境付近にある高梨の地を押さえられたら、安住にしろ、佐方にしろ、相手よりかなり優位に立てる。
それを独り言のように呟いてやったのだ。『安住』の人間に。
私の言葉を聞いた甚兵衛は、先ほどまでの作った笑みではなく、鋭い視線はそのままに腹に含むものを隠さぬ笑みを浮かべた。邪鬼が笑うと、このような笑みになるのではないかと思える笑みだった。
「……それは、楽になれましょうな」
「我々も継直の相手が忙しいし、山向こうの高梨までこれから出向こうというのはなかなかに大変。困ったものです」
そう言ってため息を吐いて見せる。
それに対し、甚兵衛は小さく一つ頷いた。
「左様にございましょうな。ただ、この美和の地を落として、迫る水島継直様の兵を退けられましたなら、貴国にとっては別に高梨のことなどお気になされずともよろしいのでは? 安住、佐方にとっては重要な地となれど、水島家にとって同様に重要かと言われると、私にはそうは思えませぬが」
そして、およそただの商人らしくない物言いをした。どうやら、この男の目に適ったらしい。
だから、そう読めたと伝えてやる。
「……そうでしょうね。おそらく、私たちは田島より内側までにとどまるでしょうね。山向こうになる高梨は……さて、どうなりますかな?」
すると、甚兵衛は意を得たりとばかりに、凶悪な笑みを更に深くして言った。
「……金崎惟春様は腹を召されました。重臣の方々もことごとくが倒れられて、今は水島継直様のところの泉様がご自身の率いてこられた兵のみを用いて守っておられます。時間を稼いで継直様のご到着を待っておられるのでしょう。とはいえ、神森様が火を放たれたので、もういくらも耐えられる状況ではありません。時間の問題でしょう」
……なんと、惟春はもう死んでいたのか。
正直、この言葉には驚愕させられたが、それをわずかにも表に出さないようにしながら、更に尋ねる。
「金崎家の重臣たちも?」
「鏡島様以外はお亡くなりになられました」
「鏡島は?」
「安住を頼って逃れております……が、『お館様』は適当に利用するおつもりのようですな」
「……なるほど」
ここまでくると、驚くの驚かないのという範疇の話ではなくなるが、話は核心に迫っていた。己の驚愕などに関わっている場合ではない。分かっていたふりをしながら、全力で頭を巡らし続ける。
「北で我が国と貴国の兵がぶつかっております。もし、貴国が高梨を譲るつもりがあるならば、お館様は兵を退かせるでしょう。貴国が水島継直と同じ天が仰げぬように、安住も佐方と同じ天は仰げませぬ」
「分かりました。では、『お館様』とやらにお伝え下さい。我らは国境の山脈の内側……田島から北をもらいます。そこから東には関知しない、と」
「……かしこまりました。正式には会合を設けて……ということでよろしいでしょうか」
「かまいません。では、よしなに」
「……はっ」
なんというか、たぶんそうなのだろうとは思っていたが、いざ本当に武殿が語ったとおりだと分かると、ほっとすると同時に背中が寒くなる。継直に同情の念すらも覚えた。
交渉が終わり、私の前から去る甚兵衛の背中を見送る。
「……やはり、惟春が相手だったのではなかったのですね」
同じく立ち去る甚兵衛の背中に目をやっていた信吾が、そう語りかけてくる。
「ええ。惟春が相手だったにしては、妙なところが多すぎました。ただ、それが分かっても、現状白の館の攻略に関しては何の足しにもなりませんが」
「このまま持久戦……というわけにもいきませんか」
「ええ。それでは武殿が保ちませんし……なにより、今のは互いの思惑が一致しての協定みたいなものですから……こちらが継直に手を焼いているようだと、いつ向こうとの話を復活させるか分かりません」
「もともとは、継直側と話をつけていたわけですしね」
「はい。安住の当主は公明正大な人物……と噂には聞いていますが、国は当主だけで保っているものではありませんからね。下で支えている者たちが、すべて同様とは限らないでしょう。たとえば、あの甚兵衛という人物を使っている者は、たぶんその人物の主と同じ気性の人間ではないでしょうね」
信吾に説明する己の言葉に、漏れ出ようとするため息を耐えきることは出来なかった。