第三百二十五話 幕 伝七郎(六) 白の館攻略戦 その三
「士気……ですか?」
「はい。厳密には、士気とは言えないものなのかもしれませんが……。
戦場ということを考慮しても、目が血走っているというか、鬼気迫るというか……。腹が空いているのは分かるのですが、それで崩壊することもなく、座った目をしたまま攻めかかる我々に抗ってきます」
問う私に、信吾は再び難しい顔になってそう言った。
鬼気迫る……か。人間腹が減れば、当然目も血走るだろう。だが、そこまでになってなお統制がとれているというのが異常だ。
「……仕方ありません。時間はありませんが、ここで焦って攻め急ぐのは得策ではありませんね。もう一度、包囲を維持しましょう。そして、話を聞いてみることにします」
「話を聞く……ですか?」
私の言葉に、信吾は首を傾げた。
「ええ。武殿がここを出発する前に『気をつけろ』と言っていた人物がいましてね」
「ほう……」
「桔梗屋甚兵衛という反物屋だそうです」
「反物屋……ですか」
「ええ。この町の反物屋で、惟春に反旗を翻した民たちの代表……だそうですよ。本人の言を信じるならば」
「……それは」
「はい。当然、そのようなものではなく、現在の白の館と繋がっている人物のようです。武殿は、白の館から遣わされてきた人間だから、もし必要になったら、うまく利用しろと言っていました」
「なるほど……『現在』のですか」
私の言いたいことが理解できたのか、信吾が意味ありげに私の言葉を繰り返した。
「はい。『現在』のです」
今、美和の町は燃えている。
私たちが攻め込んでいるせいでもあるが、それだけではない。惟春とその重臣たちが町の物資に手をつけたことで、いよいよ金崎家と美和の町民との間に決定的な亀裂が入った。
もともと美和の町民だけではなく、金崎家とその領民の間には埋まらない意識の差がある。いまの金崎家は領民など己らに奉仕するものぐらいにしか思っていなかったし、領民の方は生かさず殺さず飼われていて気力も奪われていたが、いつ噴き上がってもおかしくない怒りを溜め込んでいた。
それが私たちの侵攻によって顕在化することとなった。私たちに町を囲まれ、外部からの人や物資の流れを絶たれて、町民もいよいよ黙ってはいられなくなったのだろう。ついには反旗を翻した。
その中で、武殿の命を受けて潜入した神楽が放った火が白の館に備蓄されていた金崎家の兵糧を焼き、いよいよ切羽詰まったところで惟春とその重臣たちは暴挙に出た。
町の……町民たちの物資に手を出した。町を囲まれて、戦に巻き込まれる形で不便を強いられていた町民たちの堪忍袋の緒が切れた。
重臣たちの館は町民に囲まれ、白の館も囲まれた。
そこで武殿に接触してきたのが桔梗屋甚兵衛……。
非常に胡散臭い人物だ。だが、それだけにこの理解しがたい状況に無関係ではないだろう。
武殿も真っ黒だと言っていた。関係のあるなしどころか、むしろ敵方だと。ただ、この甚兵衛という人物は利害で動かせるだろうとも言っていた。
だったら、この甚兵衛という人物こそが今の状況を切り開く突破口となるはずだ。
兵は、一度引いて白の館攻略に現状維持を命じた。幸い、疲弊はさせられているので、今のところは静寂を保っている。ただ、すでに追い詰められた獣である惟春が、どう動くかは想像がつかない。以前の惟春なら、我慢しきれず闇雲に打って出てくる公算が高いが、今の館の動きをみると断定するのは危険だろう。もし、打って出てくるとしても、将兵を追い立てて出てくるようなことはあるまい。油断は禁物だ。
「そなたが桔梗屋甚兵衛か?」
館から少し離れた陣中で、件の人物と会う。信吾も同席しているが、この男がこの場で何かを仕掛けてくる事はないだろう。この男の武器は、私や武殿と同じ『頭』だ。
信吾はいつも通り私の側に立ち、もし何かがあってもすぐに割って入る備えをしている。しかし、口を挟むつもりはないだろう。これまたいつも通りに、私と相対する者の動きにだけ気を巡らせている。
私も、床几に腰掛けたまま、目の前で平然と膝を土で汚しながら平伏している男を注意深く観察する。
そんな中で、甚兵衛は白髪交じりの頭をゆっくりと持ち上げた。
「美和で反物を商っております桔梗屋にございます。佐々木様におかれましては、今後ともよしなにお取り扱いいただければ幸いにございます」
張り付いた笑みは商人特有のものだ。今はどこにでもいる好好爺といった感じではあるが、被った面を一枚剥げば、猛禽の目と爪を隠している。
「無事惟春を打ち破ったならば、改めてその話をさせてもらいましょう」
こちらも微笑みを浮かべ、静かに返す。こう言えば、なんの為に自分が呼ばれたのか分かるだろう。もっとも、言わなくてもあらかた予想はしているだろうが。
「もう、間もなくのことにございましょう」
「そうでしょうか。あなたが武殿と接触して以降、色々と大変でしてね」
ちらと視線を送っても、甚兵衛の笑みはわずかたりとも崩れない。
「そう言えば、神森様がおられませんな」
お互いに腹を探りあうだけの無意味な言葉を交わし続ける。武殿のことなど把握しているだろうに、まったく不思議に思っているそぶりもなく尋ねてくる。
面の皮が厚い事だ。
ふむ……一気に切り込むのも手か。どちらかというと、これは私よりもその武殿が得意とする手管だが。
「ふっ。これは異な事を。そんなことはあなたもすでにご存じだったでしょうに」
笑ってみせる。
「さて、それはどういう意味でございましょうか」
甚兵衛の笑みは、それでもまったく崩れなかった。なかなかに肝が据わっている。
なるほどな。確かに武殿の言う通りかもしれない。この人物なら、私たちと惟春を天秤にかけるくらいのことは顔色一つ変えずにやりそうだ。もっとも……彼は、『主はそのどちらでもない』と言っていたが。どうやるとそこまで読めるのか。それは流石に分からない。
だが、あの人の言う事だ……。
――――そうである可能性は極めて高い。
「どうもこうも、そういう意味ですよ。継直が新たに兵を向けてきましたので、その対応に出かけました。ご存じだったでしょう?」