第三百二十三話 二水の戦い でござる その八
爆音が鳴り響き、白い大地は大穴を開けた。
密集陣形を敷いていた宇和らは、半分以上が即死した。
残りも死ななかっただけで深刻な傷を負っているのが一目で分かる。あと十分もこの世に残れない者が一割。体の一部を吹き飛ばされている者が更に二割といったところか。ざっと八割以上が戦闘不能となっている。
しかし、まだ二割が残っている。
このまま、成功の余韻に浸っている暇はない。
すぐに踵を返す。ぶっちゃけ、大急ぎで逃げなければならない。
先ほどまでは動けなかった者たちも、いまは動ける。疑心と恐怖という心の鎖は、高まった生物の本能によって断ち切られてしまったから。
窮鼠猫をかむ。今の彼らは生き延びることに必死なのだ。猶予はない。
俺が未だ火薬の煙晴れぬ戦場に背を向けると同時に、三方の出口から太助ら率いる騎馬隊が全力で突っ込んできた。
吉次と八雲の部隊が先に襲いかかった。正面出口から全速で突っ込んできた太助とその部隊が俺の横で一度止まる。
「ったく、ホントひやひやだよっ! 武様、はやく下がってくれ! それと、これは絶対菊様に言いつけるからなっ!」
今回、氷柱の林を作ったり、この最後の詰めの役目を担ってもらう為に『待て』を申しつけていた太助が、悲鳴や剣戟の音に負けじと怒鳴るように早口でまくし立ててくる。根に持っているらしい。
「勘弁してくれ……。って、まあ、それは後だ。油断するなよ。数は少なくなったが、今の奴らは生き残る為に何でもやってくるからな」
「分かってる!」
そう応える間も惜しかったのか、分かっていると言ったときには太助の奴はすでに部隊の先頭に立って馬を走らせていた。蜘蛛の子を散らすような状態の敵を更に追い詰めるべく、先に飛び込んだ吉次や八雲と阿吽の呼吸で掃討戦に入っていく。
俺も、太助の言葉に従って、出口に向かって小走りに駆けて逃げる。衣装が足に絡んで、うっとうしい。先程までの堂々とした態度はなんだったのかと突っ込まれそうだが、気になどしていられない。つか、こっちが素の俺な訳で。
菊に告げ口をされた時に言い訳の一つも出来るように、必死になって頑張って逃げた。……そう言ってみたところで褒めてくれることはないと思うが。
それでも、必死になって足を動かした。
そして、太助が突っ込んできた出口に無事着いたところで、蒼月が待っていた。
「はあ、はあ、はあ。蒼月、うまくやってくれたな」
「お見事でございました。よもや、裂天の術をこの様に使われるとは……。堰を破った時にも思いましたが、武様の知はまこと余人を以て代えがたいものにございます」
「ちょっぴり大掛かりではあったが、こんなのは茶番だよ。妖術よろしく見せただけで、本来の形で術を使っただけだ。まだ、前の方がオリジナリティーがあったと言えるだろうな」
「おりじなりてぃ……ですか?」
「あ? ああ、ええっと、独自性……かな?」
「武様は、時々不思議な言葉を使われますな。独自性……ですか。今回のも十分にあったと思いますが。ただ、少々ひやひやさせられましたが」
「さっき、太助にも言われたよ。でも、多分ああするのが一番安全だったと思うぜ? あそこで兵を連れて出るなら、そもそもこんな形に持っていく必要がないし。ただ、そうしていたら勝っても負けてもそこで詰みになっただろうな。また、ビビッて幾らかの護衛を付けても、宇和たちの動きを止める要素がそれだけ弱くなった。むしろ、より身を危険に晒すことになっただろう。だから、あれはあれで最善だったんだよ」
……ただ、この説明で菊が納得するとは思えないが。だから、太助は菊に言いつけると言ったのだろう。あのセリフ……俺の弱いところを確実についた実に良い攻めだ。会心の一撃といっても過言ではない。
太助も成長したなあ……なんて現実逃避をしたくなるほどには、ホント良い『口撃』だった。
「……そうですな。それで、その『詰み』についてなのですが」
「ああ。どっちが出て来た?」
「松倉秀典です。継直自身は新たに占領した土地を落ち着かせることを優先したようですな」
旧水島で爺さんと並び称されていた男……か。ちぃ、いっそ継直自身が来てくれていた方が楽だっただろうな。継直の守り役だった将で、継直の造反においても継直に付いた元宿将。
うちの三馬鹿……もとい三本旗に対抗して作った三爪の一人……。まあ、他二人と比べて格が図抜けているから、本当の意味での三爪とは、この松倉秀典のことを指すと言っても過言ではあるまい。
宇和一成にしろ、イマイチ情報が集まらない鬼島彦十郎にしろ、積み上げた実績という点において松倉秀典には遠く及ばない。俺や伝七郎と爺さんくらいの差はある。
「ちぃ、厄介な方が来たな。でも、松倉秀典が出て来たなら、それが本命だ。早急にこちらも態勢を整えなおさねばな」
「はっ。……しかし、なぜ次の軍が来ると知ることが出来たのです?」
俺の命に返事をした蒼月は、興味深そうに尋ねてくる。
「それは簡単だ。先に来たのが宇和一成だったからだよ」
「宇和一成も三爪の一人……本命でもおかしくなかったと思いますが」
「この二水が通常の町ならな」
「ああ……なるほど」
蒼月は得心がいったとばかりに、大きく頷いた。
そう。『今現在の状況』で、この二水の攻略に『継直』が『宇和一成』を向かわせたのがおかしすぎるのだ。惟春と継直で二股をかけていた鬼灯の話でも、継直の性格は今まで話に聞いていた通り……、いや、むしろそれ以上に疑心が強いと思えた。
そんな男がだ……二水を抜けば、『今の俺たち』を一気に丸裸に出来るこの好機、この状況で、そこそこ戦功を積んだ程度の者を使うだろうか。使わないな……。そんな大事な局面を任せられるわけがない。
状況が許すならば、自分以外の者に任せようなどとは考えないだろう。 兄に造反したときにも無条件で味方をしてくれた己の守り役だった男……これが継直にできる精一杯の妥協のはず。
つまり、継直本人か松倉秀典以外が相手なら、それは『はったり』ってことだ。必ず、後ろに本命が控えている。
「そういうこった。さあて、こっからはガチンコだぞ? もう小細工は使い切ってしまった。道化師にされたと言えども、宇和一成は宇和一成。それなりの兵も持たされていた。とても簡単に処理などできなかったから、こちらも切り札を切らされた。もう俺たちに残っているのは、なんとか温存できた兵力だけだ」
「なんの……武様がいて、朱雀隊がいて、三森がいて、そして我々神楽がいる……。何を恐れましょうか」
俺が軽く脅してみたら、蒼月はむしろ笑みを浮かべた。そして、こう言う。
本当に腹を決めてくれているのだと知り、胸の内が熱くなった。
「ああ、そうだな。それに……『俺たち』に打てる手は耐えることしかもう残っていないが、『水島』に打てる手はまだまだ残っている」
「なるほど……いや、さすがは武様。それが狙いだったのですか……」
ここに至っては、蒼月も俺の狙いが分かったらしく、目を見開き驚嘆の表情を浮かべた。
「とはいえ、俺たちが耐えられなければ、すべておしまいだからな。勝敗の天秤は一気に継直に傾く。だから、ここからが正念場。なんとか耐えてみせるぞ。そして、耐えきられたら……俺たちの勝ちだ」
俺は、そう見えるように不敵に笑って見せた。
「はい。ですから、我々の勝ちです……でしたな?」
俺が表情を作ったのを見破ったのだろう。蒼月は、少し茶目っ気を含んだ笑みを作って、俺に返してきた。おそらく……蒼月らを招聘したときのことを言っているのだろう。俺は、確かに俺が勝たせるから勝つと言った。
「ああ、そうだな」
俺もそれに応える。即座に頷いてみせる。俺のその言葉を信じた人間を前に、俺がケツをまくるわけにはいかない。
「さて、やるかね。勝利への道筋は立てた。その基盤も作った。あとは、伝七郎……お前次第だ」
太助らによる残敵の掃討ももう間もなく終わるだろう。俺は、遠く美和の地で奮戦しているだろう伝七郎に、そう語りかけずにはいられなかった。