第三百二十二話 二水の戦い でござる その七
一歩。また一歩と歩を進める。
何もないこの『檻』の中、宇和一成とその兵たちが追い込まれて閉じ込められている。
……結局、まだ分かっていないのか。
宇和一成は、戦く兵たちの真ん中で、一人だけ馬に乗って突っ立っているから、遠目でもその存在を確認できる。
こいつは兵を……他人を駒としか見ていない。切り替えて駒として見るのと、駒としか見られないのでは、全く違う。駒と見なされた者にも意思があり、思いがあり、人生がある。それがまったく分かっていない。
傲慢すぎる。
そういう奴は、攻めているときは強い。だが、一度窮地に陥り守りに回ると途端に脆くなる。そらそうだろう。一体誰が、そんな奴を守ろうとするのか。
そもそも、そういう時こそ将ならば配下の者たちの……兵たちの『心』を支えられなければならない。
だが、こいつにそれは出来ない。駒とする兵たちに『心』があることを、頭では分かっていても奴の『心』が分かっていないから。
だから、こいつにこの『禁門縛鎖』は破れない。
石兵八陣――――三国志演義で、劉玄徳の軍師・諸葛孔明が使う架空の陣がある。古代中国の占術・奇門遁甲を利用して構築される。大小の岩を積んで作った迷路で敵を迷わせ、捕らわれた者たちを死に至らしめる。天地を知り理解し、それを使い、人を知り理解し、それを使う……天地人における情報処理の集大成のような陣だ。
お話の中のこと……とするのは簡単だろう。だが、その概念は使える。
岩の代わりに氷を使った。
道を塞ぐ巨大な氷塊も同様に作った。比較的簡単に水を得られる状況があったから、藁と土を使って核とし、そこに水を含ませて育てた。氷点下の環境がどこまで続くかがネックとなったが、それを神楽が保証してくれた。それ故に使えた。
宇和一成。お前は賢いかもしれないが、それと同じくらいに愚かだよ。傲り高ぶった己を律することさえ出来ていれば、そもそもいまの状況に持っていくのさえ難しかったのだ。いや、それ以前に最初にあの氷塊を見た時に、俺に時間を与えることの危うさに気付けただろう。
石兵八陣は、天地人の集大成だ。だが、俺の禁門縛鎖は人が核だ。特に人の要素を強く使ってある。人の心理こそが獲物を捕らえる鎖となり、仕留める牙となる。
追い詰められた弱者の心を知れ。そして、どれほど知識があろうと知恵があろうと、所詮人は一人では何も出来ないと思い知れ。
更に歩を進める。
手にした笏を両手で持ち胸前で構えながら、ゆっくり、ゆっくりと。
頬に叩きつけてくる雪を含んだ風は、一層冷たく強くなってきた。すでに寒いというより、痛さすらも感じる。でも、この天候が俺たちを助けてくれた。だから、不快感どころか有り難うという思いが沸き上がってくる。
まとった神官着がばたばたと騒がしく音を立てているが、それすらも祝福に聞こえてくるから、俺も現金なものだと思う。
目の前には怯える沢山の敵兵がいる。宇和一成もいる。
俺は彼らを一纏めにして『処分』する。
申し訳なくは思うが、それは変えられない。それだけの余裕もないが、それ以上におそらく『次』がある……。これ以上の時間はかけられない。
だから、悪いが死んでくれ。恨むなとは言わない。俺を恨め。
氷柱の林の中に作られた広場で、敵兵たちは一塊になっていた。宇和一成を中心に肩を寄せ合うようにして、超密集陣を敷いている。意味ありげに太助らに率いられた騎馬隊を周囲で走らせた効果が出ていた。言ってみればナチュラルに方形陣を敷いたようなものだ。守りに特化して自然とその形となっている。
しかし……、それが致命傷になる。
俺の視力でかろうじて宇和一成の顔が判別できる距離まで近づく。たぶん百メートルあるかないかという距離だ。
俺は、そこまで本当にゆっくりと、ペースを乱すことなく歩を進め、止まった。
胸元から小さな白い徳利を一本取りだし、中身の酒を振りまいて見せた。そして、彼らに向かって一礼をし、始める。
最後の仕上げだ。
「掛けまくも畏き『火之迦具土神』――――」
三十六……三十五……三十四……。
心の中で数を減らしていきながら、この世界にもいるのかいないのか分からない神に向かって祝詞を奉る。約束された勝利に礼を述べる形で。
こんな茶番でまことに罰当たりと言わざるを得ないが、すべてを穏便に治める為には必要だ。勘弁してもらおうと思う。
「かく仕え奉りて白さくは――――」
十六……十五……十四……。
朗々と奏上する。
その間も敵兵はぴくりとも動かない。動けない。心に頭も体も縛られていて、それどころではないだろう。
ちらりと視線を宇和一成にやった。
奴も他の兵同様に固まっていた。引き攣ったような表情でかっと目を開き、それでもなおの矜持なのかこちらを睨んでいる。
再び腹が立った。
伝七郎なら、少なくともそこで足掻いているぞ……。
そして、『儀式』は最後の瞬間を迎える。
俺の鎖がただの鎖だと思うなよ……。縛鎖は『爆鎖』……。その鎖は爆ぜるんだ。
……三……二……一……零。
「――――畏み畏み白す……」
そう言葉を閉じて、俺は静かに一礼をする。
そして、その瞬間――――。
ドカンッッ。
宇和一成を中心に捕らわれた敵兵たちが立つ大地が爆ぜた。