第三百二十話 幕 宇和一成(一) 二水の戦い その四
「失敗しただとっ!! なぜ失敗するのだ! たかが金崎の豪族の一つ二つがなぜ倒せん! 貴様らは、そんな者も破れぬほどの無能揃いなのかっ!!」
三森など小さな山里だ。そこの兵など三百もおるまい。神楽に至っては、もっと小さい。そこに数百の藤ヶ崎の兵を足してもせいぜいが七、八百もいたら良い方だ。それに、奴らの侵攻状況を鑑みて、こちらも進軍したのだ。多く見積もっても神森武は千の兵も用意できていないはず。兵を隠蔽しているようだが、そもそも用意できる数に限度がある。そこらが限界のはずだ。
それを倒せぬどころか、このような無様を晒し続けるとは……。このままではお館様のお怒りに触れてしまう。
「は、はっ。申し訳ございません」
「申し訳ないと思うなら、きちんと成果を出せ! 三森は井上に張りつけてやった。兵も奴らの総数と同じくらいくれてやった。それがなぜ、神楽ひとつ突破できぬのだ! きちんと指示した通りにやったのかっ!」
「はっ、それはもちろんでございます……」
「なら、なぜ失敗するっ!」
「申し訳ございません……」
八木が、私の怒声に幼子のように肩を竦ませる。壮年に差し掛かろうという歳はただの飾りか。
それにしても……神森武。本当に小賢しいな。
後方の備えの方が本命だったか。いや、それ以前の問題だ。後方で神楽に出くわしたのには驚かされたが、三度餌を撒いて本命の部隊を送ったというのに負けて帰ってきたのは、あきらかに此奴らの問題だ。最初の五十を除いてその後の二度の五十がほとんど戻らなかったのは予想通りだ。しかし、今回の五百までが半壊して帰ってきたのは此奴らの資質のせいとしか言いようがない。それ以外に考えられぬ。あそこには神楽しかいないのは確認済みなのだ。
三森にせよ、神楽にせよ、惟春ごときに飼われていた者どもに苦汁を舐めさせられるなど……。
「もうよいわっ! 貴様は下がっていろ。この戦が終わったら、相応の沙汰があるから覚悟をしておけ!」
「……はっ」
八木が深刻な顔をして下がっていく。深刻なのはお前自身の無能さだ。
これをどうすべきか……。
此奴らでは、奴らを打ち破れぬ。
かといって、あのような蛮族どもを相手に万が一のことでもあれば、悔やんでも悔やみきれぬ。
悩ましいな。せめて、無能なら無能なりに数の下駄を履かせればなんとかなるという範囲であれば、まだ救いようがあるのだが。
やはり、矢を使うしかないか。出来れば使いたくなかったが、やむをえまい。このままいつまでも足止めされるよりはマシだ。
奴らは槍と湯と石を使うだけだ。櫓の上部に盾を作ってやれば、逆にこちらが一方的に攻撃できる。今のところ三基だが効果が見込めれば、これをもう少し増やしてもいい。崖の縁から三森の兵を退けられれば、こちらの兵を上げられる。上げてしまえば、数の利で押せば神森武を捕らえることくらい造作もないことだ。前をこれ見よがしに三森で固めたということは、ここを抜けば仕掛けはないだろうからな。忍びの不意撃ちに計画を乱されるようなこともないだろう。
よし。まずは櫓の完成を急がせるか。
見ていろ、神森武。捕らえて、苦しませて苦しませて、それから殺してやる。私を愚弄したことを、その絶望と苦痛の中で後悔するがいい。
「敵襲っ! 敵襲だ~ッッ!!」
深夜、突然そんな騒々しい声で叩き起こされた。
目を開けば、橙色の光で滲む天幕が目に飛び込んできた。同時に鼻を突く、焦げくさい臭い。
夜中に襲いかかって来たのかっ!
夜中の襲撃など非常識極まりない。だが、神森武ならやりかねない。すぐさま状況を理解する。
「くっ」
天幕の垂れ布を払い上げ、外に飛び出てみる。
そこには馬鹿どもが慌てふためく、度しがたい状況になっていた。
まっさきに狙われたのは兵どもの眠る天幕。ここはすでに投げ込まれたと思われる火種に炎上していた。油でも注がれたのか、雪の舞う風の中、燃え上がる物はすべて炭に変えようとばかりにごうごうと炎を上げていた。兵たちは逃げ惑っているが、その中に武装した者たちの姿も多く混じっている。それらは、逃げ惑う者たちに容赦なく槍を振り下ろし、命を奪っていた。
「宇和様ッ、敵襲にございますッ!」
周りを見ていると、井上が鎧を脱いだ姿のままでこちらに走ってきた。辛うじて手に槍は握っているが、慌ててこちらにやってきたようだ。
「見れば分かるッ。敵はどこから来たッ」
「舟で川伝いにやってきたようですッ。闇夜に紛れ、油でも染みこませたらしい藁筒を投げ込んできたとか。天幕に火が付き、武具に火が付き、食料に火が付き、それらを消し止めようとした兵たちにもそれと一緒になだれ込んできた敵兵が襲いかかり、兵は混乱しておりますっ。すでに火を消すこともままならず、一刻も早く一度退かれるべきかとッ」
「馬鹿なッ。あのような者たちに、私の背を見せろと言うのかッ」
「されど、一度立て直さねば……」
見れば、多くの兵たちが逃げ惑いながらも、各々が後方の道へと走り出していた。この場所からだと、山側は前も後ろも少し先まで崖が続いており、逃げられるとすれば後ろか川かの二択となる。この寒空の下では川は死地だ。逃げるとしたら、後方になるのも頷ける。
だが……。
「馬鹿な……。このようなことを仕掛けて来る相手だぞッ。そちらには罠があるッ」
「ですが、このような寒さでは川に飛び込めばまず助かりません!」
「だから、素直にこの場で迎撃するのが一番なのだッ! なぜ、そんな簡単なことが分からぬのかッ。兵が命を惜しんで仕事になるかッ」
「……はっ。お叱りはごもっとも、されど今は一刻を争う状況にございます。すでに兵たちは己の命のことで精一杯で、誰かの命を聞いて動くというような状態ではございません。お早く……」
「敵を倒すどころか兵の面倒も見られぬのかッ」
「……申し訳ございませぬ」
井上は何かを噛みしめるようにしながら、ただ一言そう言って頭を下げてきた。頭など下げられても、一文の足しにもならぬと言うのに。
「もう良い。一度下がるッ。お前は、この逃げ惑う馬鹿どもを少しでもなんとかして連れてこいッ。一つ後ろの津々見の町まで下がって体勢を立て直すッ」
「……はっ」
井上は、私のその指示に先ほどと同じような調子で首肯した。