第三百十九話 二水の戦い その六 でござる
怒号と悲鳴が交差する中、風渦巻く空を見上げ、そして崖下から少し離れて川岸あたりに仮設された敵陣を見る。宇和一成は、本気で俺の首をご所望のようだ。
慣れれば慣れるもんだなあ……。こんな風に命を狙われることを当たり前に受け入れられる心境になるなんて。
そんなことを考えていたら、今日も雪が細かくなってきた。朝一の交戦開始から日暮れまで、今日も緩急の波をつくりながら戦いが続くのだろう。あと、四分の三ほどか。
この雪が俺たちに勝利をもたらす。この細かくなった雪が……。神楽様様だ。彼らの天候予想技術って、本当にすごい。学術的根拠などがあるわけではないが、結果は彼らが言う通りになる。科学が発展する前では、前の世界の人間もこれが当たり前にできたのだろうなあ。
今日で、宇和をここに縛り付けて十一日目。昨夜、太助らから連絡もあった。今日の日暮れぐらいには準備が整う。二週間ぐらいは必要かと思ったが、あいつらも頑張ってくれたんだろうなあ……。
「武様っ」
「敦信。どうした?」
「梯子部隊は撃退しておりますが、少し後方で動きがあります。三つほど櫓を組もうとしているようです。現在土台部の着工だけですが、長い丸太が何本も確認できるのでほぼ間違いないかと」
ほう……。矢でも使う気か。今まで使わなかったのは体裁でも気にしていたのかね。
重秀も、彼が残してきた兵も無事こちらに戻り、山道を氷で塞いだ位置での攻防に移っている。
最初奴は梯子を組んで、それを掛けて兵を送り込もうとしてきた。それに雪を溶かして沸かした湯を上から掛けて、こちらは応戦した。油であったり小岩であったりとバリエーションは豊富だが、元の世界でも城の攻防戦で弓や鉄砲などと並んで普通に使われた手法だ。
相手の出方も、単純に力押しと言えば力押しな訳だが、初手としては当然の出方だ。相手の方が数で勝っている。兵が上に上がれれば、そのまま押し切って勝てる……という算段も悪くない。まあ、俺が宇和なら今回のこの戦いにおいては絶対選ばない手だが。崖の上にいる敦信とその愉快な仲間たちが凶悪すぎる。
ただ、これは俺が三森をよく知っているからで、これを宇和の落ち度とするのは少々手厳しいだろう。初戦で三森の者たちに痛い目に遭わされているが、今ここで正面からぶつかるまできっちり把握するのは難しかっただろうからな。
たぶん、宇和一成は今頃陣幕の中で歯ぎしりをしているであろうが。
敦信とその配下の者たちの戦いぶりは、それはもう凄まじかった。俺ら、よくこれに勝ったよねと思えるほどに。
無限の体力とでも表現すべきか。およそ兵一人が二人分ぐらい働いている。湯の入ったデカイ桶を持ち上げさせれば、兵が二人いると思われるそれを平然と一人で持ち上げ、隣の持ち場の梯子が突破されそうと見れば、ソフトボール大の石を鷲づかみにすると無言でその石をぶん投げる。面頬などではとても防ぎきれない。頭蓋を砕かれた者数名、運良く兜や面頬で粉砕を免れた者も脳しんとうを起こして後続を巻き込みながら落下していくのを目の当たりにした。
うん。でも、お前たちはまだマシな方だぞ――――と。
上まで登り切った勇者も、この十日の間に両手で数えられるほどはいる。
だが、その者たちが上に上ると三森の者たちは……特に敦信の副将の利宗が喜喜として槍を握った。槍って突くものだと思っていたが、野球も出来るようだ。一通り戦いを楽しんだ後、利宗はバットでボールを打つがごとく、人間を打って飛ばした。いや、マジで何メートルか飛んでいた。こいつとは絶対訓練もしたくないと思った俺は正常だと思う。まあ、彼のボスである目の前の男も登り切った勇者の前に愛槍を持って仁王立ちし、睥睨すると無言で蹴り落とすという悪魔のごとき所行を行なっていたので、俺ごときでは彼らと訓練をするに値しないと改めて知ったというだけのことだ。俺をしごきにしごいたあの三人が、実は恐ろしく丁重に扱ってくれていたのではと思わずにはいられなかった。
「武様?」
敦信が余所事を考えていた俺に声を掛けてきた。というか、この状況でこんな阿呆なことを考えていられる余裕がある事自体が三森の者たちの異常さを物語っている。
「ん? あ、いや。すまん。少しボウッとしていたな。あの分だと心配ないと思うが、お前までこっちに来て大丈夫か?」
現在、俺は崖から少し離れてその奥にある林の中に少しスペースを作って待機している。鬼灯ら俺のお庭番衆が周囲を警戒しているだけで、側に兵は置いていない。必要なかったからだ。前面は三森衆が、そして、あわよくばこちらにと誘っている後方には蒼月に率いられた神楽が潜んでいる。知恵が回る相手なのは確実なので、前方で少々派手に、しかし損害は最小限にという戦いをしておいて、時間を掛けて後方に俺を仕留めるための少数部隊を送ってくると確信している。そういう地形になっている場所だからだ。
そして、回り込むのに少々時間が掛かる。
敵に都合よく、しかし実はこちらに都合がいいという状況を用意してある。時間を稼ぎたいこちらとしてはそう仕向ける方が都合が良かった。
「大丈夫です。陣頭指揮は現在父が行っております。病に侵された身と言っても、父は三森の頭領にございますれば、この様な戦場に身を置けて、むしろ生気を取り戻しているように見受けられます」
うん。もう、戦闘民族認定してもいいよね?
「あ、あはは。元気になったのはよかった」
それ以外になんと答えれば良いというのか。
「はい」
「それで、紅葉からの連絡は?」
「本命の連絡はまだですな。されど、ご心配には及ばないでしょう。紅葉も言っていたではございませんか。『我ら神楽が山の中の戦で後れをとることなどあり得ません。それこそ、武様ご本人が攻めてでも来ない限りは』と。現に三度送られた部隊は処理されております。武様の仰る『本命』の部隊も速やかに処理されることでしょう」
「たぶん、今日明日ぐらいだと思うんだけどね」
いや、本当に速やかに処理しているから困る。もう、粛々という言葉がこれ以上なく似合う仕事ぶりだ。三森と神楽――どちらも俺の期待に完璧に応えてくれているという点では同じなのだが対照的だ。動の三森に、静の神楽。そんな言葉がしっくりとくる。神楽の仕事ぶりは、本当に何事も起こっていないかのように時が流れていく。そして、完了致しましたの言葉と共に報告がされてくるのだ。だから、敦信の言う通り、報せがまだないということは命はまだ果たせていないが何も問題は起こっていませんという無言の報告とも言える。
「それが終わったら、いよいよですか」
「ああ。用意も終わっているんだよね?」
「はっ。すべてご指示通りに完了しております」
「そっか。うん。なら、もう少しこのまま待機だな。宇和の兵はじわじわと減っている。宇和一成の忍耐力ではそろそろ限界だろう」
その下についている兵たちは別の意味でもっとね……。
「でしょうな。そろそろ本人も出て来るでしょうか?」
「いやあ、それはどうだろうな」
「攻め寄せる者たちを見ていると、ついこの間までの我らと被って複雑な心境です」
「すまんな。嫌なことを思い出させて」
「いえ。むしろ、今の幸運を感じているところです」
敦信は少し苦笑いを浮かべながらも、そう言ってくれた。
「ん。俺もツイていたよ。お前たちを迎え入れることが出来て」
「有り難いことです」
「さて……、俺もいつまでも呆けてはいられないな。お前たちがこれだけ完璧な仕事をしてくれたんだ。俺がしくじるわけにはいかない」
「『禁門縛鎖の陣』でしたか?」
「ああ、そうだ。奴には効果覿面だろうよ。伝七郎なら……、五分。だが、奴ではこれを防げない。致命的な一敗をくれてやる」