第三百十六話 幕 宇和一成(一) 二水の戦い その二
「一体何をやっている! 相手はたかだか五十だぞっ!」
まったく、これだから能なしは……。
柿屋重秀はやはり誘いだったか。小賢しい。神森武とやら、噂に聞く通りに小細工を好むと見える。
だが、こんな小部隊に良いようにされる方も方だ。継直様の命で、兵をかき集めたものの、こうもボンクラ揃いではなかなかままならない。
「宇和様、大変でございます!」
「今度はなんだっ!」
苛立たしい。
「柿屋重秀の残した者たちを討ちに向かわせた者たちが潰走したとのことにございます!」
「なんだとっ!?」
「ひっ」
思わず漏れ出た怒気に、連絡にやってきた兵が怯えている。そのようなことだから、このような醜態をさらすことになっているのだ。それに足を引っ張られる我が身の不幸を嘆かずにはいられない。
なぜ倍の兵がいて潰走させられるのだ……。
「黙っていないで、さっさと報告しろ! なぜ、兵が多いこちらが潰走しているっ」
「は、はっ! 宇和様がおっしゃられた通りに柿屋重秀は兵を残して伏せていたとのことですが、それにこちらが攻撃を仕掛けると横の藪から横撃を受けたとのことにございます!」
「馬鹿な……。さらに分けられた小勢ごときに混乱を来たして敗走したというのかっ!」
無能極まれり……。
「いえ……それが……」
報告に来た男は、口ごもる。
「報告は正確、迅速にしろ!」
使えない。苛立ちばかりが募る。
「は、はっ! 報告では、横撃をかけてきた部隊は、柿屋重秀の部隊ではなさそうだとのことにございますっ」
「……なんだと?」
私が兵に問いかけると、兵は顔を真っ青にして膝をがくがくと振るわせ始めた。
……話にならぬ。
「震えている暇があるなら、さっさと報告しろ! 柿屋の部隊ではないと判断した理由はっ」
「は、はっ。最初に見つけた部隊は百五十ほどだったそうにございます。されど、横撃をかけてきた部隊も二百ほどいたとのことにございます。結果的にこちらを上回る兵に挟み撃ちにされたとのこと」
……更に兵が伏せられていたというのか。くっ……本当に小賢しい。小者がやってくれる。
「更には……」
目の前の兵の顔色は、すでに青を通り越して真っ白になっている。が、私の更なる勘気に触れることを恐れてか、必死で言葉を紡ごうとしている。だが、整理されていないその言葉は要点になかなか辿り着かない。
「さっさと報告せよ! 更にはなんだっ!」
「は、はっ! その横撃をかけてきた部隊の戦いぶりが尋常ではなかったらしく、鬼人か狂人かというような暴れっぷりで、状況を正確に把握する間もなく混戦に持ち込まれたとのことにございます。そこに伏せられていた柿屋重秀の兵も加わり、こちらが囲い込まれているとのこと。敵方の包囲を潜って、こちらに戻ってこられた兵は十名にも満たないという状況にございます!」
おのれ、おのれ、おのれぇぇぇ……。
鬼人でも狂人でもどちらでもよいわ。そんなことよりも、このままでは不味い。私を認めようとしなかった継高を見限り継直様について、ようやく私に相応しい地位を得る目処が付いたというのに、このような小石に蹴躓いて継直様の勘気を被ることにでもなったら目も当てられぬ。否、それ以前に伝七郎の奴めの拾い者ごときに私が後れをとるなど、あってはならぬことだ。まして、このような能なしどもに足を引っ張られてなど、冗談ではない。
「もう良いわっ」
「は、はっ」
「それで今、戦場はどうなっているのだ? 敵勢は?」
「抜け出せなくなった我が軍の兵と乱戦になっているようにございます。現状なんとか持ち堪えて維持しておりますが、時間の問題かと。戻ってこられた兵たちから増援要請の声が上がっております」
馬鹿なことを……。
こんな無能どもを救うために、更に兵と私の時間を使えと? そもそも、この好機をそんなことの為に使えるものか。ただでさえ少ない兵を、いま神森武は愚かにも分散して使っている。そちらに想定以上に兵が多いということは、この道の先は想定よりもずっと少ない兵しかいないということだ。ならば、我らがとるべき行動など一つだろう。柿屋が向かった方……仁水の村に迅速に向かい、迅速にこれを制圧することこそが正しい。神森武の思惑に乗って無駄に時間を使うなど馬鹿げている。
……私の足を引っ張ることしか出来ないこやつらでも、私の勝利に貢献できるのだ。栄誉な事ではないか。
「そうか。ならば、お前は今からすぐに各部隊の隊長のもとへと走り、全軍前進するように伝えろ」
「は? いや、しかし」
「お前の意見など聞いていない。さっさと行け」
「は、はっ!」
兵は慌てて走って行く。
さて……、どうするか。
このまま、兵を進めるのはよいとして、神森武の小細工はうっとうしいな。こちらが負けることはないとしても、まともに相手をするのも面倒だ。
幸い、ここから先は道は更に細くなるし、道の両端は崖だ。崖の上をとられると厄介だが、逆に言えばそこに注意を払えば、奴の得意手らしい不意打ちは受けない。よしんば受けても、兵を先に行かせておけば、私の身に危険が及ぶことはないだろう。
……軍の足を落として、注意深く進むか。
さすれば、仮に某かの細工がされていても、いくらかの兵を討たれるだけで私の勝ちは揺るがない。数は正義だ。