第三百十五話 二水の戦い その四 でござる
「ご報告致します! 柿屋重秀様、森島利宗様、優勢にございます!」
……嘘だろ。左右に崖がある狭道で正面から突っ込んだだけだぞ。力押しで1.5倍の敵……しかも歩兵で騎馬隊を無理やり押しのけやがった。
正直、ガチに組合ってこちらも相応の被害を出しながら勝つというシナリオを想定していた。だが、蓋を開けてみたらとんでもないことになった。
敵の騎馬三百をうまくいなしながら重秀が引っ張ってきた。それは、流石は我が副長と言うべき手腕だった。そこまではいいんだ。そこまでは。想定していた通りだ。
んが、しかし。
そこに意気揚々と喜喜として突っ込んだ利宗の……いや、三森の戦果までは流石に想定できなかった。喜喜なのか鬼気だったのか……生き残った敵兵にちょっと聞いてみたい。無理みたいだが。
俺はその報告を取り乱さずに座ったまま聞いているだけで一杯一杯だ。口を開けば間違いなく、
「……はああぁ??」
という言葉が飛び出すだろう。威厳を保つのも一苦労なのです。代わりに、満足げに頷いた敦信が伝令兵に詳細を問うている。
「敵方大混乱にございます。柿屋様は、森島様を確認するやいなや部隊を二つに分断。真ん中に到着した利宗殿を迎え入れる体勢をとりました。それを見た森島様は、進軍の勢いを殺すどころか勢いを増し、柿屋様の部隊に加わらずに走り抜け、柿屋様を追撃してきた敵兵に突撃。正面を撃破。鼻先を叩きつぶされた敵部隊は混乱に陥り、そのまま森島様と反転した柿屋様の部隊との乱戦に入っております。されど、敵方は激しく混乱きたしており、こちらが圧倒的に優勢でございます!」
……いやさ。そこが明らかにおかしい。敵の先鋒は騎馬隊だったよね? なんで、それに歩兵が突っ込んで、こちらが一方的に袋だたきに出来るのさ。いくら騎馬の機動力を生かせない場だと言っても、おかしくね? 馬だぞ、相手は。人間は走ってくる馬に喜喜として突っ込んではいかんだろ。ましてや、それで五体満足のまま元気に暴れ回るなんてのは、以ての外のはずだ。
馬防柵を作るための杭を見た利宗が、出陣前に丁度いいからくれと言ってきたが、多分そういうことなのだろう。槍の代わりに長い杭を担いで、並んで突っ込んだに違いない。だが、いくら重秀が引きつけるように連れてきた速度の落ちた騎馬といっても騎馬は騎馬だ。馬なのだ、相手は。人間が正面から突っ込んで無事でいちゃあいかんと思うのですよ。
好きにしていいと言った俺が言うのもなんだが、激しく常識的におかしかった。百歩譲って、体力的にそれが可能でも、走ってくる馬に杭を突き立てるって、まともな神経していたら出来る事じゃあない。
しかし、伝令兵に巫山戯ている様子はない。少々興奮気味ではあるものの、きちんと己の務めを果たしているように見える。だから、まず間違いなく報告通りの事になっているのだろう。興奮気味なのは仕方ない。そりゃあ、そうだろう。戦において勢いというものは、本当に重要だ。戦場に出ている者ならば、どんな地位にいる者でも肌身で沁みて知っている。だから、物事がおかしいかどうかなんて些事よりも、現実に初戦で味方が勝利を掴もうとしている事実の方がはるかに重くて当たり前である。
「分かった。下がれ」
「はっ」
辛うじて俺はそう口にすると、伝令兵は頭を一つ下げて下がっていった。
「……すごいな。三森の戦って、こういうの?」
寒風吹きさらしの陣幕の中、何人もの兵たちが忙しそうに動き回っているところで、俺は少々脱力しながら敦信に声を掛ける。そこで、それなりに気を張っていたつもりだったが、思っていた以上に胆に負担を掛けていた事を気づかされた。
「これも、にございます。我らにとって戦とは意義にございます。それを貫く為の心の強さこそが誇りにございますれば」
「槍の強さじゃない?」
「本質的には。ただ、その心の……魂の強さを誇り示すために、我らは槍の穂先を研ぎ続けているのです」
「なるほど……」
こりゃあ、惟春に扱えないわけだ。俺も少し勘違いをしていたと反省せざるを得ない。
金崎家の腐った連中にはさぞ煙たかったことだろう。でも、神楽といい、この三森の兵たちといい、使いこなされていたら、本当にやばかったなあ……。
こっそり冷や汗を流す。
だが、それと同時に今味方である頼もしさも感じずにはいられなかった。こういう力と芯を持ち合わせた兵というのは本当に得がたいものなのだ。
俺もいつまでも腑抜けていられない。
切り込んだ者たちは、優勢と言ってもさすがに無傷というわけにもいかないだろう。二、三十名の死者は出ているはず。
これを無駄死ににしないのが俺の仕事だ。せっかく命を張って力尽くで奪い取ってきてくれた先手……絶対に生かしてみせる。
頭の盤面を次の局面に動かしていく。
様子見の敵の先鋒を想像以上に楽に処理できたことで、敵の動きは少し変わる。
寡勢に後手を踏んだ宇和一成は、かならず軍を固めて前に押し出してくる。
戦場として考えたときに、軍を動かす事が可能な脇道のない一本道でぶつかっている。奴らはその道を選んだし、俺もそこで迎え撃ったのだから。そして、こちらが守りとはいえ、明らかに少数。まして、五十という少数の兵を放っておかずに嬲りにきたあたりからも、あきらかに格下を相手にする気でいたはずだ。
しかし、そこで土を付けられた。
話に聞く宇和一成の性格から言って、この『些細な』敗戦を奴は許せないだろう。
といっても、己が身を的にする性格でもないから、『兵』の鎧を纏って動いてくるはずだ。だから、敵軍全体が前掛かりになる筈……。
俺が出ていかなければ動かずに兵を押し出してくる。だが、俺が姿を現わせばどうなる? 奴は己の優性を誰の目にもあきらかにする好機と捉えるだろう。天井知らずの自尊心の高さが必ずそう思わせる。
なら、俺が打つ手は一つ。少し手を早めよう。
「敦信。俺たちも出ていくぞ。お前は俺の副将として付いてくれ。残念ながら、率いる兵は朱雀隊でも三森の兵でもなく無茶は出来ないと思うが、なんとか取りまとめて欲しい。多分、この初戦のおかげであっさりと宇和一成は出てくるぞ……先頭切ってはこないだろうがな」
「頭に血を上らせて、でございますか?」
「いや、多分冷静を装ってはいるだろうな。だが、内実は腸煮えくりかえっているだろう。伝七郎の話だと、奴は自尊心の塊みたいな男らしいからな」
俺はそう言いながら座っていた床几から腰を上げる。
「一度前に出て下がる。次の戦場は氷の壁だ」
「はっ」
そう宣言した俺に敦信は深く頷いた。